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LOST LOG 4617 Re:Log  作者: 臥裳斗真


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3/14

第01話 表示されない ③

 カイは左手を軽く上げた。インベントリを呼び出す癖だ。当然、何も出ない。


 知っていて手が動いたことに、腹が立った。


 服の内側から清潔な方の布を裂いた。水で洗って、圧迫してから巻く。結び目は傷の真上を避ける。手は迷わなかった。


(ユナなら二十秒で終わってる)


 思ったところで、手が遅れた。


「……」


 ユナはいない。レインも、ミアも、ガレスも、ノエルも、エリオも。


「……今考えても仕方ない」


 声に出した。そうしないと、その先まで考えてしまいそうだった。


 包帯を巻いた腕を動かすと、ずきと痛みが走る。反射的に右上を見そうになって、途中でやめた。


「……痛い」


 数字ではない。ただ痛い。それだけだった。


 朝日の位置。木々の密度。斜面の向き。小さな水の流れ。


 順番に確認した。


 水が集まる場所があるなら、人が住んでいる可能性も上がる。


「水は下」


 立ち上がる。


「水路があるなら、人もいる」


 一歩、右腕が痛む。二歩、身体が少し重い。三歩目で歩けると判断して、歩いた。


 森を下る。途中で何度か止まって、傷を見た。体温、呼吸、意識。数字がないので全部推測だ。


 HPバーというのは、なくなって初めてありがたみが分かる。


 疲れれば重くなるし、出血すれば寒くなる。当たり前のことなのに、妙に新鮮だった。


 やがて木々が薄くなって、視界の先が明るくなる。森を抜けた。


「……」


 カイは足を止めた。


「町」


 遠くに港町が見えた。海と帆船。煙。石造りと木造りの建物。水路。工房らしき煙突。


 思っていたより大きい。


 NPCか、と反射的に考えて、すぐ消した。まだ何も確定していない。


 行ってみるしかなかった。


 十分ほど進んだところで、足が重くなった。


「……まずいな」


 街道脇の木へ手をつく。包帯を見ると赤い。血が滲んでいて、指先も少し震えている。


 歩ける。ただ、かなり怪しい。ここで倒れたら、さすがに笑えない。


 カイは街道脇へ座り込んだ。


「……寒い」


 その時、遠くから人影が来た。金色の髪の少女で、大きな荷物を背負っている。


 向こうもこちらへ気づいたらしく、足が少し速くなった。走るほどではないが、明らかにこちらへ向かってきている。


 十メートル。五。三。


 少女はカイの前でしゃがみ込んだ。


「……生きてる?」


「たぶん」


「たぶんって何」


 会話は通じる。最初に確認したのがそこだった。我ながら、かなり色気がない。


 少女の視線が右腕へ落ちる。


「うわ」


「酷い?」


「酷いっていうか」


 包帯を見て、結び目を見て、それからカイを見た。


「巻き方だけ妙に上手いのが怖い」


「褒めてる?」


「褒めてない」


「そうか」


「ちょっと残念そうにしないでよ」


「いや」


「今、ちょっと残念そうだった」


 表情に出ていたらしい。自分では無表情な方だと思っていたので、意外だった。


「血、まだ出てるじゃん」


「止血はした」


「止まってないじゃん」


「減ってはいる」


「そういう問題?」


「多分」


「また多分って言った」


 少女が呆れたように息を吐いて、それからカイの手へ触れた。


「うわ。結構冷えてる」


「そうらしい」


「自分のことでしょ」


 少女は荷物を一度地面へ置いて、自分の外套の留め具を外した。


「待て」


「何」


「血で汚れる」


「洗えば落ちる」


「お前が寒くなる」


「今寒いの、どっち?」


「……」


 止まる。


「俺」


「じゃあ着てて」


 見ず知らずの人間で、助ける義務もない。外套を貸せば自分が損をする。合理的ではない。


 なのに、肩へ掛けられた外套はひどく暖かかった。


「……ありがとう」


「うん」


 少女はそれ以上、何も言わなかった。恩を売るでもなく、大したことをした顔もしない。


 変なやつだな、というのが多分、一番近い。


「さっきから何?」


「いや」


「すごい見られてる気がする」


「確認してた」


「何を?」


「……」


 カイは反射的に、少女の頭上を見た。


 何もない。名前。所属。レベル。職業。好感度。


 当然、何一つ表示されていない。


 だから、仕方なく、という言い方も変だが、カイは少女を見た。ちゃんと。初めて。


 金色の髪は、よく見ればところどころ跳ねている。額には薄く汗が浮いて、頬には小さな土汚れ。荷物を背負って歩いてきたせいか、呼吸も少し乱れていた。


 完璧ではない。ゲームのキャラクターメイクみたいに、どこから見ても整っているわけではない。


 生活している顔だった。さっきまで、自分とは何の関係もなかった人間の顔。


「……何?」


 少女がもう一度、眉を寄せる。


「……綺麗だなと思って」


「…………は?」


 何で言った。言った本人が一番分かっていなかった。


 町までの距離。治療できる場所。ここがどこなのか。聞くべきことはいくらでもあるのに、よりによってこれだ。


 少女の目が大きくなって、頬に赤みが差した。


「……歩ける?」


 話を変えられた。かなり露骨に。何の判定に失敗したのかは分からないが、失敗したらしい。


「七割くらい」


「何の七割」


「歩行可能率」


「そういう意味じゃない」


 立つ。一瞬、身体が傾いた。少女の手が伸びる前に、カイは近くの木へ手をついた。


「立てた」


「七割じゃないでしょ、それ」


「歩行可能なら」


「はいはい」


 少女が荷物を持ち直す。


「町まで案内する」


「仕事の途中じゃないのか」


「帰り道」


「荷物」


「ついで」


「怪我人の案内」


「それもついで」


 親切を過小申告する癖でもあるのか、と少し気になった。


「名前は?」


「セラ」


 少女は歩き出しながら答える。


「セラ・アルノー。そっちは?」


「カイ」


「カイね」


 それきりだった。


 どこから来たのか。なぜ森から出てきたのか。なぜ怪我をしているのか。セラは聞かなかった。


 ありがたかった。説明できることが一つもない。


 町へ近づくにつれて人が増えた。魚籠を運ぶ男。荷車。洗濯物。煙。子供。職人。船員。


 水路沿いには規格の揃った木製部材が積まれて、工房の前では金属部品が箱ごとに分けられている。排水路があり、滑車を組み合わせた荷揚げ機がある。


 思ったより整っていた。


 それ以上に気になったのは住民だった。


 誰も、自分のためには動いていない。魚を運ぶ。値段を交渉する。子供を叱る。こちらを見もしない人間の方が多い。


 NPCにしては、とそこまで考えて止まった。


 違う。自分が、まだそういう見方をしているだけだ。


「カイ」


 前から声がした。


「こっち」


 セラだ。表示ではない。頭上に名前が浮かんだわけでもない。人の声で、自分の名前を呼ばれた。


 なぜか、引っかかった。


「何?」


「いや」


「今日、いや、多くない?」


「そうか」


「それも多い」


「……」


「今、黙ればいいと思ったでしょ」


「思った」


「正直だなあ」


 セラが笑う。声を上げるほどではなく、楽しそうに。


 二人はそのまま丘へ上がった。やがて視界が開けて、港町の全体が見えた。海。市場。工房。帆船。煙。人。


 その景色を見た瞬間、カイの頭へ別の場所が浮かんだ。


 壁一面の地図。レイン。ミア。ガレス。ノエル。エリオ。ユナ。


 誰かがいた場所で、戻ればいると思っていた場所だった。


 ゲームだからではない。そこが自分の帰る場所だったから、そう思っていた。


 カイの足が止まる。セラはそのまま一歩、二歩、三歩と先へ進んで、途中で振り返った。


「カイ?」


「……」


「来ないの?」


 カイは町を見て、セラを見て、それから癖で右上を見た。


 何もない。目的地も、クエストも、マーカーも、正解も。


 なら、自分で決めるしかない。


「……行く」


 カイは歩き出した。少し前には金髪の少女、肩にはその少女から借りた外套。右腕は痛い。町は知らない。世界も知らない。


 異世界転生、ね。まだ分からないし、かなり雑な仮説だ。


 ただ、一つだけは分かる。


 ここはEIDOLON FRONTIERではない。


 町へ入る。魚を売る声。荷車の音。船員の怒鳴り声。子供の笑い声。


 どれも、自分とは何の関係もない音だった。


「カイ」


 前でセラが振り返る。


「置いてくよ」


「怪我人なんだけど」


「七割歩けるんでしょ?」


「……覚えてたのか」


「自分で言ったじゃん」


「そうだった」


「ほら。遅い」


 カイは足を速めた。


 また右上を見る。何もない。KAIという文字も、HPも、生存時間も、目的地も、何一つ表示されていない。


 四千六百十七時間、生き残ったキャラクターは、もう消えた。そう表示された。


 なのに。


「カイ」


 もう一度、前から呼ばれる。


「今行く」


 死んだはずの名前が。


 この世界では。


 ちゃんと誰かに呼ばれている。


 それが。


 妙に悪くなかった。

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