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LOST LOG 4617 Re:Log  作者: 臥裳斗真


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第04話 戻らない方が正しい ②

 二人で迂回路へ移る。水面から時間を置いた場所で、セラが小さく言った。


「次から、言う」


「何を」


「先に行く時」


 カイは何も言わなかった。


「自分で見た方が早いと思った」


「ああ」


「でも」


 間を置いて、続けた。


「退路、潰した」


「そうだな」


「そこは否定してくれてもよくない?」


「違うのか」


「……違わない」


「なら」


「ほんと、そういうところ」


 いつもより小さい声だった。それでも、言い訳はしない。失敗を自分で認めるところは、嫌いじゃない。


「次から言えばいい」


「うん」


 性格を直す、という話ではない。先に動くこと自体は悪くない。昨日、点検道はセラが見つけた。自分一人なら出なかった答えだ。問題は、共有しないことだけだった。


 足元の水が、いつの間にか変わっていた。さっきまで乾いていた場所に薄い流れができて、靴底を濡らす。壁の水跡の色と高さと音も、少し変わっている。


「時間がない」


「潮?」


「ああ」


 水位の上がり方が予想より早い。最初の崩落が水路を変えて、流れを速くしているのだろう。


「撤退」


「水脈は見えた」


「なら十分だ」


「入口側の割れ目だけ見れば、原因まで――」


「見ない」


「でも」


「依頼は水脈確認と安全調査だ。水脈は確認した。危険も確認した。終わり」


 セラは奥を見ていた。近い。あと半歩だ。だからこそ危ない。


「……分かった」


 今回は進まない。それだけで、違う。


 迂回路を戻る。通路は狭く、カイが先、セラが後ろ。


 足元の水が、さっきより確実に増えている。泥が柔らかくなって、亀裂に水が入り込んでいた。崩落で荷重が変わって、潮が上がって、地盤が緩んでいる。


 急ぎたい。だが一人幅の足場が濡れている以上、走れば転んで余計に遅くなる。


「足元」


「分かってる」


「右壁」


「うん」


「次、段差」


「見えてる」


「……」


「何」


「ちゃんと見えてるなと思った」


「どういう意味」


「さっきは先に行った」


「それ根に持ってる?」


「持ってない」


「絶対ちょっと持ってるでしょ」


 話しながら進む。声がある。後ろにいる。それだけで位置が分かる。


 少し広い場所を抜けると、次は細い足場だった。右は壁、下は暗い。


「俺が先」


「ああ」


 一歩、二歩、三歩。体重を安全側へ移して、振り返る。


「来い」


 セラが一歩踏み出した瞬間、上から小石がぱらりと落ちた。


「……待て」


 天井の亀裂を見る。泥と濡れが増えている。


「走れ!」


「え」


「今!」


 セラが踏み出したその瞬間、岩が動いた。


 今度は誰かが何かをしたわけではない。ただ水と亀裂と重さが、足場をまとめて落とした。


「――っ!」


 音が大きくなって、洞窟全体が震える。砂と岩と水と土煙。カイは反射で前へ、安全側へ動いた。セラは反対側。その間に岩が落ちて、積もって、壁ができる。


 視界が消えた。


「カイ!」


 向こうから声がする。


「怪我!」


「ない! 動ける?」


「動ける!」


「今いるところ、水来てるか!」


「まだ! 足場も広い!」


「上へ逃げられるか!」


「少しなら!」


「どれくらい上がれる」


「頭の高さくらい!」


 カイは一度、息を吐いた。


 まだ時間はある。今すぐ死ぬ場所ではない。それが確認できた。


「そこで待て!」


「分かった!」


 自分側の出口方向を確かめる。ここは崩落で迂回した先で、今いる位置からなら出口側へ戻れる。


 頭の中に手順が勝手に並ぶ。外へ出る。ダンとミロはもう外か、その手前にいる。ギルドへ伝わるのも遅くない。人手、道具、縄、支点。


 ただ、来た連中はこの中を知らない。


 一度目の崩落の位置。迂回路の幅。二度目で落ちた足場の形。水位の上がり方と、上がる速さ。セラが今いる場所と、そこから何歩で高い側へ移れるか。


 それを全部知っているのは、自分だけだ。


 外へ出て案内する。それが一番早い。


(戻るな)


 答えは明確だった。理由も十分にある。


 戻れば、知っている人間が危険側へ移る。最悪、セラの位置を伝えられる人間が誰もいなくなる。


 ずっと前、洞窟や遺跡や雪山で、道が分断されたことは何度もあった。そのたびに同じことを言った。戻るな。外へ出ろ。救援を呼べ。一人増やすな。


 四千六百十七時間、危険な場所での正しい判断は、戻らないことだった。助けるなら安全側から。感情で人数を増やさない。


(外へ出ろ)


 一歩、出口側へ足が出た。


「カイ!」


 声に、足が止まる。


「聞こえてる!?」


「聞こえてる!」


「行ける道ある?」


「今見てる!」


「無理なら動かないでよ!」


「分かった!」


 声はまだ普通で、元気で、怪我もなさそうだった。だから今、外へ出れば救援は間に合う。それが一番いい。


 カイは右上を見かける癖の途中で止まった。何もない。HPも、マップも、パーティ欄も、残り時間も、位置表示も。もう知っている。


 視線を横へ動かすと、岩の向こうに人がいる。


(出ろ)


 一歩。


(戻るな)


 正しい。


(呼べ)


 正しい。


 足が動かなかった。


 この止まり方を、一度だけ経験している。膝から下だけが、別の指示を聞いている。


 あの時は、そのあと身体が勝手に逆を向いた。


 今日は、向かなかった。


 足は止まったままだった。


 九分の遅れ。潮、崩落、救援。全部分かっている。答えも出ている。


 出口を見る。岩壁を見る。その向こうを見る。


 カイは数え直した。


 外へ出て、ダンを呼んで、ここへ戻るまで。九分。水位は九分で膝上まで来る。来たら、あの足場は使えない。


 答えは変わらなかった。出た方が、全体の生存率は高い。


 変わらないまま、もう一つ数えた。


 出た場合、助かる確率が一番低いのは誰か。


 セラだ。


 向こうで同じ計算を何百回もした。答えはいつも、確率の低い一人を切る側だった。切って、全体を残す。それが正しい。


 正しいまま、四人が落ちている。


「……今回は、やらない」


 声に出した。誰にも聞こえていない。


 聞こえていなくても、言ったのは自分だ。


 カイは背を危険側へ向けた。足が勝手に動いたのではない。向けた。


 一歩、二歩。ここまで動けば、もう止めなかった。


 別の細道の先に、水が見えた。もう膝下まである。流れも強い。


 カイは腰の調査ロープを外して、支点になりそうな岩を触った。表面は濡れているが中は硬く、まだ使える。携行ピトンを打つと金属音が洞窟に響いた。固定を確かめる。荷重に問題はない。


 皮肉だと思う。初日に工房で見た金具と、岩壁で何度も使った道具は、似ているようで違った。今、手にしているのはこの世界の道具で、それを使っているのはKAIの手だ。


 考えるな。今、必要なのは使えるかどうかだけだ。


 水の中を進んで、足場を選んで、崩れかけを避けて岩壁を回る。水音が大きくなって、自分の呼吸が聞こえるほど近い。


 そして、見えた。


 細い足場に、金色の髪。


 無事だ。でも、その後ろで水が増えて、足場の端が細かく崩れていく。パラ、と石が落ちる音。


 考えるより先に、口が開いていた。


「セラ!」


 声が洞窟に響く。セラが振り向いた。


 一瞬、目が大きくなる。多分、名前を呼ばれたことに驚いたのだろう。今はどうでもいい。


「左!」


 動いた直後、今まで立っていた場所へ小石と土が落ちた。


「ロープ!」


 投げると弧を描いて届く。


「腰じゃなく腕!」


「分かった!」


「岩の右!」


「ここ?」


「もう一つ右!」


「これ?」


「それ!」


 こちら側の固定は、ピトンと岩角の二重で確認済みだ。


「来い!」


 一歩、二歩。足場がミシ、と嫌な音を立てる。


「止まるな!」


「分かってる!」


 三歩目で岩が落ちて、足場の端が切れた。


「っ!」


 風が一瞬、金色の髪を大きく揺らす。


 身体は浮かない。飛ばない。ただ落ちる。その軌道が、半歩だけずれた。


 木箱の時も、水路を確認した時も、いつもそうだった。そこだけ足りない。風は、その半歩ぶんしか届かない。


 それでも今回は、手が岩に届いた。


 掴む。身体がこちら側へ着地する。


「……っ」


 カイもロープを引いて、後ろへ一歩下がった。ピトンの頭が少し曲がっているのが、引いた手の感触で分かった。


 二人とも同じ側にいる。


 息が荒い。距離は一歩。触れてはいないし、抱き止めてもいない。それでも、同じ場所にいる。二人で迂回路へ移る。水面から時間を置いた場所で、セラが小さく言った。


「次から、言う」


「何を」


「先に行く時」


 カイは何も言わなかった。


「自分で見た方が早いと思った」


「ああ」


「でも」


 間を置いて、続けた。


「退路、潰した」


「そうだな」


「そこは否定してくれてもよくない?」


「違うのか」


「……違わない」


「なら」


「ほんと、そういうところ」


 いつもより小さい声だった。それでも、言い訳はしない。失敗を自分で認めるところは、嫌いじゃない。


「次から言えばいい」


「うん」


 性格を直す、という話ではない。先に動くこと自体は悪くない。昨日、点検道はセラが見つけた。自分一人なら出なかった答えだ。問題は、共有しないことだけだった。


 足元の水が、いつの間にか変わっていた。さっきまで乾いていた場所に薄い流れができて、靴底を濡らす。壁の水跡の色と高さと音も、少し変わっている。


「時間がない」


「潮?」


「ああ」


 水位の上がり方が予想より早い。最初の崩落が水路を変えて、流れを速くしているのだろう。


「撤退」


「水脈は見えた」


「なら十分だ」


「入口側の割れ目だけ見れば、原因まで――」


「見ない」


「でも」


「依頼は水脈確認と安全調査だ。水脈は確認した。危険も確認した。終わり」


 セラは奥を見ていた。近い。あと半歩だ。だからこそ危ない。


「……分かった」


 今回は進まない。それだけで、違う。


 迂回路を戻る。通路は狭く、カイが先、セラが後ろ。


 足元の水が、さっきより確実に増えている。泥が柔らかくなって、亀裂に水が入り込んでいた。崩落で荷重が変わって、潮が上がって、地盤が緩んでいる。


 急ぎたい。だが一人幅の足場が濡れている以上、走れば転んで余計に遅くなる。


「足元」


「分かってる」


「右壁」


「うん」


「次、段差」


「見えてる」


「……」


「何」


「ちゃんと見えてるなと思った」


「どういう意味」


「さっきは先に行った」


「それ根に持ってる?」


「持ってない」


「絶対ちょっと持ってるでしょ」


 話しながら進む。声がある。後ろにいる。それだけで位置が分かる。


 少し広い場所を抜けると、次は細い足場だった。右は壁、下は暗い。


「俺が先」


「ああ」


 一歩、二歩、三歩。体重を安全側へ移して、振り返る。


「来い」


 セラが一歩踏み出した瞬間、上から小石がぱらりと落ちた。


「……待て」


 天井の亀裂を見る。泥と濡れが増えている。


「走れ!」


「え」


「今!」


 セラが踏み出したその瞬間、岩が動いた。


 今度は誰かが何かをしたわけではない。ただ水と亀裂と重さが、足場をまとめて落とした。


「――っ!」


 音が大きくなって、洞窟全体が震える。砂と岩と水と土煙。カイは反射で前へ、安全側へ動いた。セラは反対側。その間に岩が落ちて、積もって、壁ができる。


 視界が消えた。


「カイ!」


 向こうから声がする。


「怪我!」


「ない! 動ける?」


「動ける!」


「今いるところ、水来てるか!」


「まだ! 足場も広い!」


「上へ逃げられるか!」


「少しなら!」


「どれくらい上がれる」


「頭の高さくらい!」


 カイは一度、息を吐いた。


 まだ時間はある。今すぐ死ぬ場所ではない。それが確認できた。


「そこで待て!」


「分かった!」


 自分側の出口方向を確かめる。ここは崩落で迂回した先で、今いる位置からなら出口側へ戻れる。


 頭の中に手順が勝手に並ぶ。外へ出る。ダンとミロはもう外か、その手前にいる。ギルドへ伝わるのも遅くない。人手、道具、縄、支点。


 ただ、来た連中はこの中を知らない。


 一度目の崩落の位置。迂回路の幅。二度目で落ちた足場の形。水位の上がり方と、上がる速さ。セラが今いる場所と、そこから何歩で高い側へ移れるか。


 それを全部知っているのは、自分だけだ。


 外へ出て案内する。それが一番早い。


(戻るな)


 答えは明確だった。理由も十分にある。


 戻れば、知っている人間が危険側へ移る。最悪、セラの位置を伝えられる人間が誰もいなくなる。


 ずっと前、洞窟や遺跡や雪山で、道が分断されたことは何度もあった。そのたびに同じことを言った。戻るな。外へ出ろ。救援を呼べ。一人増やすな。


 四千六百十七時間、危険な場所での正しい判断は、戻らないことだった。助けるなら安全側から。感情で人数を増やさない。


(外へ出ろ)


 一歩、出口側へ足が出た。


「カイ!」


 声に、足が止まる。


「聞こえてる!?」


「聞こえてる!」


「行ける道ある?」


「今見てる!」


「無理なら動かないでよ!」


「分かった!」


 声はまだ普通で、元気で、怪我もなさそうだった。だから今、外へ出れば救援は間に合う。それが一番いい。


 カイは右上を見かける癖の途中で止まった。何もない。HPも、マップも、パーティ欄も、残り時間も、位置表示も。もう知っている。


 視線を横へ動かすと、岩の向こうに人がいる。


(出ろ)


 一歩。


(戻るな)


 正しい。


(呼べ)


 正しい。


 足が動かなかった。


 この止まり方を、一度だけ経験している。膝から下だけが、別の指示を聞いている。


 あの時は、そのあと身体が勝手に逆を向いた。


 今日は、向かなかった。


 足は止まったままだった。


 九分の遅れ。潮、崩落、救援。全部分かっている。答えも出ている。


 出口を見る。岩壁を見る。その向こうを見る。


 カイは数え直した。


 外へ出て、ダンを呼んで、ここへ戻るまで。九分。水位は九分で膝上まで来る。来たら、あの足場は使えない。


 答えは変わらなかった。出た方が、全体の生存率は高い。


 変わらないまま、もう一つ数えた。


 出た場合、助かる確率が一番低いのは誰か。


 セラだ。


 向こうで同じ計算を何百回もした。答えはいつも、確率の低い一人を切る側だった。切って、全体を残す。それが正しい。


 正しいまま、四人が落ちている。


「……今回は、やらない」


 声に出した。誰にも聞こえていない。


 聞こえていなくても、言ったのは自分だ。


 カイは背を危険側へ向けた。足が勝手に動いたのではない。向けた。


 一歩、二歩。ここまで動けば、もう止めなかった。


 別の細道の先に、水が見えた。もう膝下まである。流れも強い。


 カイは腰の調査ロープを外して、支点になりそうな岩を触った。表面は濡れているが中は硬く、まだ使える。携行ピトンを打つと金属音が洞窟に響いた。固定を確かめる。荷重に問題はない。


 皮肉だと思う。初日に工房で見た金具と、岩壁で何度も使った道具は、似ているようで違った。今、手にしているのはこの世界の道具で、それを使っているのはKAIの手だ。


 考えるな。今、必要なのは使えるかどうかだけだ。


 水の中を進んで、足場を選んで、崩れかけを避けて岩壁を回る。水音が大きくなって、自分の呼吸が聞こえるほど近い。


 そして、見えた。


 細い足場に、金色の髪。


 無事だ。でも、その後ろで水が増えて、足場の端が細かく崩れていく。パラ、と石が落ちる音。


 考えるより先に、口が開いていた。


「セラ!」


 声が洞窟に響く。セラが振り向いた。


 一瞬、目が大きくなる。多分、名前を呼ばれたことに驚いたのだろう。今はどうでもいい。


「左!」


 動いた直後、今まで立っていた場所へ小石と土が落ちた。


「ロープ!」


 投げると弧を描いて届く。


「腰じゃなく腕!」


「分かった!」


「岩の右!」


「ここ?」


「もう一つ右!」


「これ?」


「それ!」


 こちら側の固定は、ピトンと岩角の二重で確認済みだ。


「来い!」


 一歩、二歩。足場がミシ、と嫌な音を立てる。


「止まるな!」


「分かってる!」


 三歩目で岩が落ちて、足場の端が切れた。


「っ!」


 風が一瞬、金色の髪を大きく揺らす。


 身体は浮かない。飛ばない。ただ落ちる。その軌道が、半歩だけずれた。


 木箱の時も、水路を確認した時も、いつもそうだった。そこだけ足りない。風は、その半歩ぶんしか届かない。


 それでも今回は、手が岩に届いた。


 掴む。身体がこちら側へ着地する。


「……っ」


 カイもロープを引いて、後ろへ一歩下がった。ピトンの頭が少し曲がっているのが、引いた手の感触で分かった。


 二人とも同じ側にいる。


 息が荒い。距離は一歩。触れてはいないし、抱き止めてもいない。それでも、同じ場所にいる。

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