戮殺
境は屋敷の周辺を探し回った。既に日は落ちて、辺りは暗くなっているが、境は楓を信じて探し続ける。最初こそ、援軍として駆け付けた剣士たちも協力したが、どこにも銀髪の巫女は存在しないと判断したのか、一人ずつ捜索を中断してしまう。それでも、境は一人で彼女の姿を探し続けた。
「境……」
その背中に紬が声をかけるが、境は足を止めようとしない。だが、体は言うことを聞かなかったのか、ついに膝を付いてしまうのだった。
「大丈夫?」
紬が傍らに腰を下ろすと、その出血量に驚いた。
「酷い傷……! 戻って手当しないと!」
境の腕を掴んで立たせようとするが、その手は引き剥がされ、突き放されてしまった。それがあまりに強い力だったため、紬は後ろに尻餅をつくが、境は体を抱え込むようにして、むせび泣きを始めてしまう。
「そこまで、あの人が……」
紬には理解できなかった。なぜなら、幼いころ境は「女が怖い」とよく言っていたからだ。彼の師は、記憶がないほどの昔に母親から酷い仕打ちを受けていたことが原因だろう、と言っていたが、実は紬はそれが少しだけ嬉しかった。
境は自分を恐れることはない。かと言って、女として見られていない、というわけでもなく、自分は特別な存在として認識されているのだろう、と思っていたのだ。
しかし、彼にとって楓は、さらに特別らしい。万象神覚を通して、彼の心の一番柔らかい感情が触れられたのだろう。それは、何がどう転んでも、自分にはできないことなのだ。
「境……諦めないで」
恐る恐る、境の背中に触れるが、今度は拒絶はなかった。だから、紬は優しい手つきで彼を撫でるが、その悲しみは決して和らぎそうにない。やはり、自分にはどうすることもできないのだ。
「私が手伝うから……。一緒に頑張ろう? いつもみたいに、二人でやれば……きっと、できるよ」
「……紬」
「なに?」
何かを伝えようとしている。だが、彼は黙ったままだ。分かっている。彼は「ありがとう」と言いたいのだ。こんなことは、昔からよくあることだから……分かっている。
「うん、分かっているよ」
境がどうにか顔を上げ、仲間のもとへ戻る気力を取り戻しかけた、そのときだった。
「ここにいたか。境、紬」
木々の間から、一人の巫女が現れた。それを見て、紬は素早く立ち上がる。
「お疲れ様です、孔雀威さん! この度は応援を用意いただき、ありがとうございました!!」
姿勢を正してから頭を下げる紬に、現れた巫女……孔雀威は「うむ」とわずかに顎を引いた。彼女は御神楽衆の副頭で、その徹底した指導力から、下の者から恐れ敬われている存在である。そんな孔雀威は地面に丸まったままの境に目を向ける。
「境、立ちなさい」
しかし、境は反応しない。紬は慄きながら、姿勢を崩すことなく境を見て、立ってくれと願うが、それも虚しく彼は動かなかった。
「立て、と言ってるのが聞こえないらしい」
孔雀威は紬を見る。笑顔ではあるが、ただ口角が上がっているだけで、その目に感情は感じられない。紬はどうにか笑顔を返すが、孔雀威は何気ない調子で境に近付くと、その横腹を蹴り上げた。
「ぐえっ!」
おそらく、傷口を蹴り上げられたのだろう。変な声を出しながら、境は仰向けにひっくり返った。それでも、孔雀威は容赦なく彼の胸倉をつかんで引っ張り、顔を寄せると、その冷たい瞳で覗き込む。
「報告通り、腑抜けているようだな、境」
目を逸らす境だったが、孔雀威は感情のない笑みを浮かべた顔を傾け、その視界に無理やり入り込んだ。
「私はお前に何があったか、知ったこっちゃない。聞いたところによると、気に入った女に逃げられたそうだが。でもね、どうでもいいのだよ、そんなことは」
紬は幼いころから、このように孔雀威にしごかれたことを思い出し、嫌な汗を流す。掴みかかれている境は、もっと恐ろしい思いをしているだろう。孔雀威は続ける。
「私が知りたいのはね、境。お前が妖怪を殺せるかどうか、ということだけだ。御神楽衆とは、そういう集まりだ。いや、それだけの集まりなんだよ。だから、妖怪を殺す気力のない者はいらない。今すぐ御神渡を返して、立ち去ってもらう。分かったね」
「うっ……」
境はどうにか言葉を返そうとしたが、恐怖からなのか、呻き声を漏らすだけだった。それを返事と捉えたのか。孔雀威は冷たい目のまま、口元に笑みを広げる。
「よし。じゃあ、聞こう。境、お前は妖怪を殺すのか? 殺さないのか?」
「俺は……」
孔雀威の笑みが消える。
返答次第では、境の命はそこまでだ。そんな意思が窺えた。
「殺す……。妖怪たちを殺します!」
境の返答に満足したのか、孔雀威は再び口元のみで笑った。
「よく言った。それでこそ、御神楽衆の討者だよ」
口では褒めているようだが、孔雀威は暴力的に境を突き放すと、胸に十字の傷を見つけ、それを踏み潰す。苦し気な呻き声を上げる境に、孔雀威は淡々と言った。
「いいね、境。この痛みを妖怪たちに味合わせてやるんだ。いや、これだけでは足りない。もっと、酷い痛みを与えてやろう。殴って倒したら、まずは踏み付けて骨を折れ。そのあとは四肢を千切って、舌を抜き、首を掻き斬っても、斬り刻んで殴打して、貪るように痛めつけてやらないといけない。泣いても、喚いても、許しを請うても、頭を土にこすり付けても、自ら腹を切って詫びたとしても、妖怪は絶対に許しちゃいけないよ。何度も教えたんだ。分かっているね?」
「は、はい。分かっています」
「うん。じゃあ、立ちなさい」
解放された境が立ち上がると、彼女がこの地まで引き連れていたのだろう、剣士たちが現れる。いや、これまで一緒に妖怪の里を攻めた剣士たちとは違う。誰もが孔雀威の言葉一つで、どんな残酷なことでもやってのける、感情のない生きた殺戮人形である。そう訓練された、特別な剣士なのだ。
「境も元気を取り戻したところだし、始めようか」
不吉な笑顔を見せる孔雀威に、紬は分かっていながらも、思わず確認してしまう。
「始めるって……何をですか?」
「ん? 言う必要ある?」
「いえ、あの……」
「まぁ、いい。あえて口にしてほしいなら、口にしよう。聞け、御神楽衆の兵たちよ」
孔雀威たちは後ろに控えていた剣士たちに振り返り、無表情に告げる。
「この屋敷から逃げ出した妖怪たちを探し出し、一匹も残すことなく殺す。樒ヶ里村の村長も同行しているかもしれないが、殺して構わない。あと……銀髪の巫女も同行しているらしい」
紬は息を飲む。孔雀威が何を言うか……分かっているからだ。もちろん、孔雀威は想像通りのことを言う。
「それも殺せ」
「ま、待ってくれ!」
引き止めたのは、やはり境だ。
「孔雀威さん、そいつは仲間だ! 妖怪に攫われて、利用されているだけなんだ。助けてやらないと!」
必死に主張する境を見て、孔雀威はやはり感情のない顔で言う。
「境、何を言っているのかな? 状況から見て、その巫女が裏切ったのは間違いない。妖怪に与するものは人間であっても許しては駄目だろう。いや、裏切者はもはや妖怪と同じなんだから、殺さないといけないよね?」
「違う……。だから、誤解なんだって!」
「あと一回」
孔雀威が指を一本立てると、境はぴたりと止まった。これはもう反射的なものだ。そして、孔雀威は指を立てたまま言う。
「あと一回、私に口答えしたら、お前はしばらく静かにしてもらうことになる」
境は何も言えなかった。この女がやると言ったら、何の情も持たずにやることは十分わかっているのだから。
紬は視線だけで境に伝える。ここは従って、楓を助ける機会を窺うしかない、と。
境は肩を落としながら、拳を握って感情を抑える。そんな彼を見て、孔雀威は頷いた。そう、ただ頷いた。そして、控える剣士たちに告げる。
「さぁ、妖怪狩りを始めよう」
孔雀威が笑った。このときだけは、少しだけ楽しそうに、笑ったのだ。そして、これから始まる惨劇に期待するがごとく、弾んだ声で言った。
「妖怪どもの穢れた魂で、地獄が溢れるほど、殺し尽くしてやるんだ」
月は翳り、銀の光が閉ざされる。
この地が黒く塗り潰されるまで、そう時間はなかった。
―― 第三章に続く ――




