彼岸
境は中庭が崩落し、地下の空間に放り出されるが、その間も万象神覚が翳を倒せと訴えていた。今なら倒せる。確実に憎き妖怪を殺せる、と強く訴えるのだ。その声は境の好戦的な気持ちを加速させる。
「こんなところにも妖怪が隠れてやがったのか……!!」
着地と同時に見つけた、おぞましい妖怪を一息に斬り裂くと、周囲に瓦礫が落ちて、落下中も捉えていた翳の姿を見失ってしまう。
「だが……こっちだな!」
今の境に探し出せないものなどない。彼は万象神覚に従って、翳のもとに駆け付けるのだった。
「見つけたぞ!」
着地に失敗したのか、ぎこちなく立ち上がろうとしている翳の首を狙う。
「ぎゃあっ!」
翳は首を切断されかけながらも、どうにか境から離れて態勢を立て直すが、その出血量は酷く、長く持たないことは明白だった。そんな翳に、境は黒く染まった御神渡の切っ先を向ける。
「お前ら、自分たちこそこの世の支配者だと言わんばかりに偉そうな顔しているけどな、俺に言わせれば虫けら同然なんだよ。少し長く生きて頑丈だからって、調子に乗るんじゃねえ!」
「……人間が!!」
翳が背中の蔓を動かす。しかし、これまでに比べれば操る数は少なく、明らかに力強さも失われていた。それでは境を止められるわけがない。御神渡で蔓を斬り落としながら、境は翳に接近した。
「この程度で、私を殺せると思うな!!」
翳は距離が詰まると同時に、刃と化した両腕を振るう。それは最後の灯とも言える一撃だったのか、境の万象神覚を凌駕し、赤い血が飛び散る。境は数歩下がりながら、傷の浅さを確信しつつ、御神渡を構え直すが……翳の目に戦意らしいものが失われていた。
「どうやら……貴様の言う通りのようだ」
翳が呟くように、その弱った胸中を明かす。
「我々は妖怪としての誇りを持っていた。長く生きて、知に長け、高尚な精神があってこそ、肉体に強さが宿る。それは血を通じて、後の世に紡がれ、いつまでも誇り高い一族として残り続けるのだろう、と思っていたよ……」
妖怪としての誇り。しかし、それは過去の考えらしい。
「しかし、姉さまは言っていた。間もなくして、妖怪は滅びるだろう、と。最初は信じられなかったが、最近では実感を得るばかり。ふふっ、私たち妖怪は浅ましく、誇りもなければ、その肉体に宿る強さも失われつつある。どうして……こうなってしまったのだろう」
「知るか。反省ならあの世で一人でやってろ」
冷たく突き放す境だったが、確かに翳を憐れに思う気持ちがあった。それは、どこからくる感情なのかは分からない。もしかしたら、万象神覚を通じて、翳の感情が流れ込んできているだけなのかもしれない。
ただ、境が躊躇いを感じていることは確かだった。そんな情けを感じたのか、翳はわずかに笑みを浮かべる。
「妖怪たちが消える。私が守ろうとした種族が消えようとしている。信じられないことだが、時代と言う波の前には抗うことなどできない、ということなのだろうな」
「御託を並べているが、話はもっと簡単なんだよ。お前たちは人間を見下しすぎた。喧嘩に負けるのは当然のことだろう」
「喧嘩、か……」
その陳腐な響きに笑いながら息を吐く翳の口から、黒い血が吐き出される。翳自身も最後を察したようだった。
「最後に……たった一人のために、願わせてくれないか?」
「お前たちは、そうやって命乞いする人間のために、時間をやったのか?」
翳は答えられなかった。しかし、それでも刀を振ろうとしない境に、彼女は目を閉じる。
「識……。お前は――」
だが、そんな翳の願いは遮られた。
「境殿!」
「この妖怪が!!」
後詰として、この地に駆け付けたばかりであろう、御神楽衆の剣士たちが、翳を取り囲んで、四方から刀を突き出したのである。翳は抵抗を見せず、串刺しを受け入れると、その瞳から意思を消してしまうのだった。
「よし、やったぞ」
「境殿、無事でしょうか?」
「その頭、どうしたのです?」
剣士たちが声をかけてくる。彼は仲間を助けたと思っているのだろうが、境は襤褸のように倒れる翳の姿を見て、何とも言えない不快感に苛まれた。これまで、妖怪を斬れば気持ちが晴れたはずなのに、こんな想いは初めてのことである。だが、そんな感傷に浸っている場合でもない。
「楓は!?」
大将首を取っても、彼女の命を狙う妖怪がいないとも限らない。境は剣士たちを引きつれ、辺りを捜索した。
「おい、紬!」
その途中で紬を見つける。どうやら、気を失っているが、大きな怪我はないようだ。
「境……。よかった」
「楓はどうした? 見ていないのか!?」
ずっと気絶していた紬が、楓の行方を知るわけがないのだが、境は責めるように彼女に問いただす。だが、同時に万象神覚が楓の居場所を告げる。
「紬、立てるか? 行くぞ!」
「……うん」
どうにか立ち上がる紬だが、またも揺れが始まった。剣士の一人が言う。
「このままでは崩壊しますね。外に出ましょう」
「……まだ時間があるはずだ。銀髪の巫女を探すぞ」
「銀髪の巫女、ですか?」
万象神覚に従って境は暗闇の中を必死に走り回る。だが、楓を想うばかりに翳の死骸が消えていることに気付かなかった。もちろん、後ろに付き従う紬や剣士たちも。
「……いた」
そして、境は見つける。走り去ろうとする楓の姿を。しかし、彼女は一人ではなかった。男に手を引かれているようだった
「楓!」
境は彼女の名を叫ぶ。二度、三度と。しかし、彼女は決して振り返らなかった。代わりに振り向くのは、隣で彼女の手を引く男。その顔は狐の面で覆われていた。
「識、だと……?」
理解できなかった。
なぜ二人が一緒に。
なぜ楓は逃げている。
なぜ自分から離れていくのか。
「楓、待て!」
楓を追うため、走り出す境だったが、巨大な振動と共に瓦礫が目の前に落ちてきた。それでも、楓を追おうとする境を剣士たちが止める。
「境殿、ここは危険です。まずは外に!」
「ふざけるな、楓が攫われているんだ! あの狐野郎をぶっ殺す!!」
剣士数人がかりでも、境は止められない。だが、紬が割って入った。
「境! あの人を取り返す機会はあるよ! でも、ここであんたが死んだら、全部識の思い通りになる。どうするの!?」
黙り込む境だったが、忌まわしさに揺れる瞳をどうにか伏せる。
「出口は……どっちだ!」
崩壊する地下空間から、境たちはどうにか脱出するのだった。




