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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
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決断

「いったぁ……」



 楓は薄暗い空間の中で体を起こす。高所からの落下で体は痛むが、骨に異常はないようだ。ただ、周りには誰もいない。境と紬は無事だろうか、と彼女は自らの認識力を広げてみた。



「識……??」



 しかし、楓は思いもしない感情を受信してしまう。強い怒りと憎しみ。しかし、それ以上に救いようのない絶望と悲しみが、楓の心を押し潰そうとしていた。



「行かなきゃ……」



 暗闇に妖怪が潜んでいるかもしれない。そんな恐怖はあったが、この感情を救ってやらねばならない、という意思が楓の足を動かした。



「分からない……。どこなの?」



 暗闇の中を進むが、所々に瓦礫が山積みになり、行く手を阻まれてしまう。



「このままじゃあ、識の心は壊れてしまうよ……!」



 楓の不安は膨らむが、この状況ではどうしようもない。識の心に引っ張られるようにして、楓まで絶望に打ちひしがれてしまいそうになるが、前方にわずかな気配があり、顔を上げた。



「……貴方は?」



 そこには、自分を襲った巫女の姿があった。いや、あれは肉を持たない魂だ。その証拠に、体がわずかに発光している。



 ――こっちだ。



 巫女が瓦礫を避けるようにして歩き出す。



「そっちに識が?」



 問いかけると、彼女は振り返って、微笑みを見せた。楓は頷き、彼女の後を追うと、少しずつすすり泣く声が聞こえてくる。



「識……」



 そして、その背中を見つけた。まき散らされた肉塊の前に膝を付き、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる識の姿だ。



 ――本当に仕方のない男だ。


 巫女の魂はゆっくりと彼に近付き、悲しみに震える背中を包み込む。


 ――だが、すべて私のせいだ。本当にすまなかったな。



 うちにある想いは、彼に伝わったのだろうか。識は反応を見せなかったが、巫女は体を離すと、今度は彼の肩に手を置いた。



 ――朽ちたこの身だったが、お前を想う気持ちは消えなかった。こんないじらしい女だったとは、自分でも知らなかったが……。



 慈愛に溢れた笑みを見せ、巫女は言う。



 ――愛しているぞ、識。



 呟くと、彼女の体から放たれる光が弱くなり、その存在が消滅し始めた。諦めるように、小さく息を吐くと巫女は楓の方を見る。



 ――この男を頼む。



 そんな言葉を残して、彼女の体は分解されたように、微量な光の粒となって、そのまま霧散した。巫女が消滅したにも関わらず、識はただ悲しみに暮れている。背後に楓がいることも気付かずに。



(頼むって言われても……)



 楓は考える。これだけの悲しみを抱えて識に、自分が何をしてやれるのだろうか。


 いや、そもそも識は妖怪なのだ。人の世に住む楓にしてみれば、彼は敵でしかない。そんな彼に救うとしたら……何を意味しているのか、と。



(だけど、私は……)



 楓の葛藤を裂くようにして、つい先程かけられた言葉を思い出す。



「本気で男を愛してみろ、か……」



 翳から逃げ惑いながら、紬にかけられた言葉だ。それを呟くと、彼女は今までの人生が頭の中に過っていく。幼少期から貴人の所有物として扱われていた自分。他人に惹かれたことがなかったわけではない。だけど、最後はあの貴人のところへ帰らなければならないのだ、と諦めていた。それでも、今なら……。



「うん、そうだね。私は自分の想いに従ってみる」



 決断と共に、彼女の万象神覚は、暗くて救いのない将来を見せた。このまま進めば、誰も幸せにならない。ずっと、万象神覚と付き合っていた彼女には十分に理解している。それでも、楓の意志は変わらなかった。



「識」



 そっと声をかけると、識の肩が震えた。そして、ゆっくり振り返って楓を見るが、その顔は歪んでいく。それを見せまい、と思ったのか、再び散らばる肉塊の方へ視線を落として、震え始めるのだった。



「……向こうへ行ってくれ」



 絞り出した声はあまりに弱々しく、目を覆いたくなる痛ましい姿だった。しかし、だからこそ、彼を一人にできなかった。そんな楓の気持ちを突き放すように、識は叫ぶ。



「早く行ってくれ! 俺はもう……ここで死ぬ。柊と一緒に、ここで朽ちるんだ」



 拳を地に叩きつけ、絶望に嘆く。



「もう嫌だ……。こんな世で、俺は……」



 強い痛みに耐えるよう、頭を抱え込み、額を地面にこすりつける識は、人々を恐怖させた冷徹な妖怪には見えなかった。まるで、ただ孤独に恐怖する子供のようである。



「……大丈夫」



 そんな彼を楓は両腕で包み込む。先程、巫女がそうしたように。



「私がいる。ずっと、貴方の傍にいるから……」



 悲しまないで欲しい。それは無理かもしれないが、少しでも気持ちが落ち着くなら、なんだってしよう。楓の気持ちが伝わったのだろうか。識の動きが止まる。だが、楓の万象神覚が識の危険を察知する。



「識、立って。御神楽衆がくる……!」


「……嫌だ。俺はここで柊と」


「お願いだよ、識。ここにいたら、殺されちゃう!」



 楓は自分の体温を通して、自らの想いを伝えようと、腕に力を込めるが、ただ識の震えを強く感じるだけだ。ならば、嘘偽りのない想いを伝えるなら、別の方法を使うしかない。



「識、私が貴方を守る。だから……立ち上がって」



 万象神覚を通じて、識に自分の想いを流し込む。


 蓄積された複雑な感情。

 純粋な想い。

 恥じらい。

 後悔。

 希望。


 そういった気持ちが、すべてが正確に識へ伝わって行く。人では抱えられないような莫大な情報を受け止めた識は何を思っただろうか。彼は震えを止めると、ゆっくりとその体を起こした。



「楓……」


 足元に置かれた面を手に取ると、再び顔を隠した識は、手を伸ばした。


「俺はお前を……」



 楓は、その手を取る。



「私は……柊の代わりになれないかもしれないけど、絶対に識を一人にさせたりしない。約束するよ」


「傍にいてくれるのか?」



 楓が頷くと、識の万象神覚が彼女を受け入れ、強く絡み合った。それは、二人の間に生まれた誓いだ。誰にも触れられない精神の底で、強く結びついた、二人の強い絆。だが、識の顔は面に覆われたままだった。



「きたか……」



 識が呟くと、何やら騒がしい声が聞こえてきた。御神楽衆の剣士たちだ。


 もしかしたら、境もいるかもしれない。命の危機から逃げ出すため、お互いを孤独にしないため、二人は手を取り合ったまま、暗闇の中を走り出すのだった。

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