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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
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永別

 識は怒りのままに刀を振るうが、どれも骸伝には届かなかった。



「げへっ! 識の剣が見えるぞ! 次はこっちだ!!」



 骸伝は得意気に識の刀を受けると、太く長い尾を振るって、識を叩く。その威力は巨大な丸太に打ち付けられたような重みがあり、識の体は後退を強いられるのだった。



 ――識、私のことは気にするな。


 万象神覚を通して、柊が訴えてくる。


 ――私と一緒にこの妖怪を斬れ。



 確かに、識は柊の体を傷付けないように戦っていた。それがなければ、いくら万象神覚を使うとは言え、骸伝に後れを取ることはない。しかし……。



「そんなこと……できるわけがない!!」



 苛立ちと共に、識は再び骸伝の横手に回り込むが、それも先読みされていたらしい。斬撃が防がれると同時に、また尻尾によって足を掬われてしまう。


 さらに、転倒したところに骸伝の足裏が迫ってきた。地を這い、どうにか難を逃れて立ち上がる識だったが、頭の中にまたも柊の声が響く。



 ――識、私のことは気にするな。



 先程と同じような声色だが、何かがおかしいと識は感じる。実際、続く柊の言葉は異様なものだった。



 ――私は骸伝さまと一つになされて幸せを感じている。お前はもう必要ない。用済みだ。ここで死ね。



 違う。これは柊の言葉ではない。

 否定する識の前で骸伝が笑う。



「がはははっ! 万象神覚って面白いなぁ。他者の頭に直接語りかけることもできるのか」



 またも頭に響く柊の声。



 ――ああ、骸伝さま。愛しています。識のものより、力強く逞しい。幸せです。私は幸せです。



 明らかに揺さぶりをかけてくる骸伝だが、識は感情を抑えられなかった。



「やめろぉぉぉーーー!!」



 ただ力のままに刀を振るう。万象神覚は骸伝の動きを予測しているはずなのに、心と体が同調せず、意味のない一振りに終わる。そんな識を骸伝は盛大に笑った。



「なーんだ、識。お前、この巫女とできていたのか。そりゃあ、悪いことをしちまった。でもなぁ、こいつは僕のいちもつをあそこで咥え込んで幸せなんだよ。もう邪魔しないでおくれ!」



 骸伝の怪力が識を弾き飛ばす。固い岩に背を打ち付け、ぐっと息を漏らす識は、すぐに立ち上がることはできなかった。絶望に塗り潰され、視界も霞む。


 このまま、惚れた女を犯され、何も成せぬまま死ぬのか。そんな思いに、何もかも閉ざされて行くようだった。しかし、そんな識の体を何かが背後から包み込む。



 ――すまないな、また一人にさせる。



 間違いない。

 柊の声だった。

 本物の柊の声。

 彼女の体は、まだ骸伝の中に埋もれたまま。だが、その魂は……。



「嫌だ……」


 識は刀の柄を握り締め、どうにか足に力を込める。


「俺は、もうお前を失いたくない!」



 呼吸は荒れて、頭の中は燃えてしまいそうだ。だけど、それでは柊を助けられない。一瞬だけで良い。一振りに集中するだけの気持ちを作らなくてはならなかった。刀を構え直す識を前に、骸伝は狂った笑い声を轟かせる。



「無駄だよ、識! お前の剣は見える。お前の女が僕を守ってくれているんだからな! 悔しいか? 悔しいだろうなぁ!!」



 骸伝の腹に張り付く柊が、体を反らせて、何かを求めるように口を開閉させる。どうやら、識の心を乱すために、骸伝が刺激を与えたらしい。それでも、識は一振りに集中して、ただ足を進める。



「なんだ? やる気か?? でも、無駄だぞ! 何度やったって、お前は僕を殺せないんだからな!」



 踏み出す識。それに合わせて、骸伝は刀を振るった。が、識の万象神覚はその一撃を察知している。身を低くして潜り抜け、骸伝の後ろに回ってから、その背を斬り付ける。



「ぎゃあああーーー!!」


 骸伝の悲鳴に、柊の声が重なった。


「一度避けたからって!」



 それでも、骸伝は自らの優位を信じていたらしい。そこに識がいるという先読みに従って、振り返りつつ、刀を突き出した。しかし……。



「あれ?」


 そこに識はいない。


「こっちだ」



 識の声に反応して、天を仰ぐが、その顔面に刃の切っ先が突き刺さる。跳躍していた識が、剣を突き下ろしていたのだ。骸伝の両肩に着地した識だったが、念入りに刀を捻って、可能な限り頭部を破壊する。骸伝が痙攣し、識はその傍らに降り立つと、醜い巨体が崩れた。



「柊!」


 倒れた骸伝の体から引き離すため、柊に声をかけるが、反応はなく、目も虚ろで生気がない。


「まさか……」



 最悪の結果を想像する識は、柊に手を伸ばそうとするが、どこからか地鳴りのような音が聞こえてきた。地震だろうか。いや、音は上からだ。



「なんだ!?」



 識が顔を上げると、天井に亀裂が入った。

 崩れる。

 そう思った直後、本当に天井が崩壊したのだった。



「まさか、上で翳さまが……!?」



 降り注ぐ瓦礫だが、識は別の脅威を察知する。



「うおぉぉぉーーー!!!」



 絶命したと思われていた骸伝が立ち上がり、刀を振り回したのだ。素早く身を退く識の目に、遠ざかる柊の姿が映る。が、次の瞬間、そこに黒い花が咲いた。



「ぎゃあっ!」



 黒い花の正体。

 それは真っ二つに裂かれた骸伝と柊の姿だった。



「なっ……」



 信じられない光景に識は言葉を失うが、すぐに何が起こったのか理解する。



「こんなところにも妖怪が隠れてやがったのか……!!」



 境だった。天井の崩壊によって、地上から降りてきた境が、骸伝を柊ごと斬ってしまったのである。



「今、助けるから……!」



 それでも、もしかしたら、命だけは残っているかもしれない。手を伸ばす識だったが、大量に降ってきた瓦礫が、識の前を遮ってしまった。



「柊!」



 揺れが収まり、瓦礫の雨も止まった。識は目の前にそびえる瓦礫の山を乗り越え、柊の姿を探す。



「頼む。生きていてくれ……!!」



 しかし、瓦礫の山の向こうに識が見たものは、骸伝の醜い死体の上で横たわる、柊の姿だった。その顔面は縦に裂け、中身が零れ落ちて、骸伝の臓物と混じり合っている。とても直視できるような姿ではなかった。



「そんな……どうして!!」



 その前で識は膝を付き、面を取ってから盛大に吐いた。ずっと我慢していただけに、それは止まることなく、まるで消耗した識の心が体の外へ吐き出されたかのようだった。

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