崩落
境は体を揺すられて目が覚めた。誰かに蹴り付けられるような痛みを感じたような気もするが、自分の身に起こったことを思い出す。
「あの女妖怪は!?」
身を起こしてから辺りを見回すが、異様なまでの静けさに、境は焦りを覚えた。
「楓……!!」
彼女の存在を感じようと意識を傾けると、恐怖心が流れ込んでくる。
「こっちか!」
境は楓の気配を感じ取り、その方向へ走り出すが、まるで道標のように破壊の跡が見られた。
「楓!」
中庭に出ると、翳の姿を認める。さらに、その正面に紬、それから楓の姿が。ただ、間に合った、とは言えない。なぜなら、既に翳の背中から伸びる蔓が、彼女たちに襲い掛かろうとしていたからだ。
(くそ、あと少し早ければ……!!)
あと一歩速く駆け付けていれば、どうにか間に合ったかもしれない。せめて、翳の動きが一瞬でも停止してくれれば……。そんな境の願いが届く。どこからか飛来した矢が、翳の後頭部に突き刺さったのだ。
「紬!」
矢が刺さりながらも翳が蔓を振るったため、紬の体が投げ出されて叫ぶ境だったが、致命傷ではないことに気付く。どうやら翳に矢が刺さったおかげで、蔓の威力が半減したらしい。そして、その翳だったが、人間であれば絶命する傷を負いながらも、平然と矢を引き抜き、境の方に振り向いた。
「貴様か、人間!!」
その怒号によって、境は熱風に晒されるような錯覚があった。普通であれば気圧され、動けなくなってもおかしくない。だが、境はわずかに笑みを浮かべて、一気に駆けた。
「大した迫力だが、今度こそ死にやがれ!」
飛びかかって、翳の頭に御神渡を落とそうとする境だったが、束になった蔓によって阻まれてしまう。さらには、翳の刃に変化した腕によって、胸を十字に斬り裂かれてしまった。自ら後方へ跳んだため、威力は和らげたが、それでも衝撃に押されて、背中から倒れ込んでしまう。
「境!」
楓の声にすかさず立ち上がってみせるが、彼女の瞳は不安で揺れている。これ以上は情けないところは見せられまい、と御神渡を構える境だったが、翳は嘲るような笑みを見せた。
「もう止せ、人間。貴様らのような脆弱な存在では、いくら凪の神楽で力を封じたとしても、我々には勝てやしない」
楓と紬の凪の神楽は止まっている。だが、翳は体に重たさを感じているらしい。どうやら、応援にかけつけた御神楽衆の中には、巫女がいるのだ。ならば、と境は弱気なところを見せることはなかった。
「ふん、妖怪どもはそうやって人を見下すが、俺は何匹も貴様らを斬ってきたぞ。強がっても、結局は少ない仲間と肩を寄せ合って、人間の目に怯えて生きる存在なんだよ、お前らは」
そんな侮蔑の言葉に翳は何を思ったのだろうか。わずかに目を細めたかと思うと、無数の蔦を境に向かって振るった。
(数が多い! しかし、今の俺なら!!)
境は集中して、四方八方から襲い掛かる蔓の軌道を予測する。
(こっちだ!)
一番手薄な左側へ飛び出し、襲い掛かってきた蔓を連続で斬り落とすと、前が開けた。そこから包囲を突破し、翳を目指すが、死角から迫る気配が。身を屈めると、頭の上を蔓が通り過ぎ、再び走り出そうとしたが、またも四方を囲まれていた。
(それでも……!!)
境は回転しながら御神渡を振ることで、自らを囲う蔓を斬るが、一度の動きでは限られた数しか払えない。低い軌道から境の体を貫こうとする蔓が、さらに数本現れるのだった。
「まだだ!」
これには堪らず跳躍して回避を試みるが、自在に動く蔓は境の後を追う。それを二本、三本と斬り払うが、横手からしなるように襲い掛かってきた蔓は捌けなかった。
「ぐあっ!!」
蔓に叩き落とされ、土の上を転がる境だったが、すぐに立ち上がって見せる。しかし……位置が悪かった。
「次は躱せるか? 躱したら……どうなると思う?」
それに気付いた翳も冷たい笑みを浮かべる。翳が勝ち誇る理由は、境の背後にある楓の姿だった。躱せば、楓を貫く。そう示しているのだ。これには、さすがの境もたじろぐが、同時に彼は妖怪の容赦ない心を知っている。道は一つしかない、と覚悟を決めるしかなかった。
「やってみやがれ……。この位置でその蔓で俺を刺そうっていうなら……今度こそてめえは死ぬぞ」
圧倒的に不利な状態でありながら、なおも強気に出る境を見て、翳はわずかに警戒したようだったが、この状況をひっくり返す方法はないと判断したらしい。数多に蠢く蔓を一斉に境へ向かって放つ。さまざまな軌道を描きながら、蔓の切っ先が境を狙うが、彼の心は静かなものだった。
(絶対に、殺させはしない。目の前にいる妖怪を斬ることしか知らなかった俺に、胸を熱くさせる何かを与えてくれた、この女は……!!)
次の瞬間、境の中で何かが燃え上がった。それだけではない。境の視界には、御神渡を振るうべき軌道や順序がすべて見えていた。
(やれる! 俺なら楓を……守れる!! 孤独から救ってみせる!!)
境は迫る蔓を神速の剣によって斬り落としていく。それは、彼を襲う蔓たちが、眩い光によって弾かれているようにも見えた。とても、人間技とは言えないほどの速い剣。だが、境はそれだけでなく、前進してみせるのだった。
「ば、馬鹿な……!!」
翳が焦りを見せる。境はそれを見逃すまいと、さらに一歩前へ出た。ただ、無心に蔓を斬り払いながら、さらに一歩、さらに一歩と進む境は、翳にしてみれば恐ろしく見えるだろう。
「こんなことが、人間にできるものか!」
叫ぶ翳は気付いたようだった。境の頭髪が銀色に染まり切っている、と。その姿は、自らの意志だけで動いているようには思えなかった。なぜなら、境の動きは人間の限界を超えているからだ。まるで、万象神覚を通して、誰かが彼の体を操っているかのようである。
「おのれ!」
境と翳の距離が詰まる。それと同時に、翳は刃となった両腕を振るった。至近距離から放たれた二つの斬撃が、境の体を斬り裂いたかのように思われたが……。
「な、ぜ……だ!!」
翳の肩口から激しく血が吹き出す。何かが違っていれば、首が落ちていただろう。そのわずかな幸運は、翳に焦りと苛立ちを与え、表情を歪ませる。
「私が人間ごときに殺されるわけがないのだ!!」
再び翳は背中から蔓を生やし、荒れ狂う大蛇のごとく、暴走させる。それは、空を薙いで地を叩き、周囲を震わせた。
「境、危ない!」
楓が警告する。その意味は彼の身を案じたものではない。地を這うように広がる巨大な亀裂を見たからだ。
「地面が抜けちゃう!!」
そして、楓の言う通り、足元が音を立てて崩壊した。




