無残
識はゆっくりと隠し扉の向こうに広がる暗黒へ踏み出した。なぜだろう。足が震えて、動かない。自分は何を怯えているのだろうか。
今すぐ逃げ出したい。そんな想いにすら駆られるが、柊が一人で戦っているかもしれないと思うと、恐れているわけにはいかなかった。
どうにか一歩ずつ進み、地下へ降りていくと、暗闇の奥から獣の呻き声のようなものが聞こえてくる。
「あう……あう……あうあ」
これは、骸伝の声だ。識は妙な緊張感に息を飲みながら、さらに歩みを進めると、ほのかに明かりが差した。広い空間に出たようだが、そこに水気を含んで柔らかく膨らんだ塊を見る。いや、あのおぞましい背中は骸伝のものだ。
どうやら、柊はいないようだが、識の不快感は今にも破裂する寸前である。何が何だか分からぬまま、識は骸伝の背に震える声をかけた。
「貴様、何をしている?」
「げぇっ!?」
口から淀んだ空気を吐き出しながら、首だけで振り返る骸伝。秘事でもあるのか、異様に驚いているようだが、識の姿を認めると、焦りと決まり悪そうな笑顔らしき表情を浮かべた。
「なーんだ、識だったか。てっきり、翳さまかと思って、びっくりしちゃったなぁ」
安堵したのか、気味悪く笑う骸伝だったが、背中越しに膨れた腹が見えるが、それが妙に蠢いているようだった。
「……ここで何を?」
巫女を見なかった、と聞きたかったが、慎重に問いかけると、骸伝がゆっくりと振り返った。
「何って……久しぶりに気持ち良いことしてただけだよぉ」
「……ひ、いらぎ?」
識は見た。骸伝のたるんだ腹の辺りから、まるで植物のように生え出る柊の姿を。しかも、争った後なのか着物は剥がされ、下半身と両手首は骸伝の腹の中に埋もれている。
柊の意識はあるのだろうか。目は虚ろだが、口はわずかに何かを訴えようと動いている。そんな姿を前に、思わず一歩後退った識だったが、骸伝は何を勘違いしたのか、嬉しそうに説明を始めた。
「ぐへっ! これ、凄いだろ? 俺の腹の中でこいつを犯してやっているんだ。泥人形にしては、これまでにないくらい、良い気持ちにさせてくれるもんだから、つい夢中になっちまったよ。これは、もとが良かったんだろうなぁ。ぐははっ、生きているときにこうしてやれたら、もっと良かったかもなぁ」
嬉々とした調子で話す骸伝だったが、唐突に体を震わせてから、口元に涎を垂らす。
「あー、また気持ちよくなっちまった」
どうやら、絶頂に至ったらしい。しかも、何度目なのか分からない最高潮を堪能したと思われる骸伝は、ついさっきまで会話していたにも関わらず、その存在を忘れていたのか、識を見て驚いた後、再び恥じらうような顔を見せた。
「か、翳さまには内緒だぞ? あの方は厳しいから、こんな遊びが見つかったら、絶対に殺されちまう。あ、でも、まだ生きているはずだから、大丈夫かな。おい、巫女。喋れ」
骸伝の命令に、柊の口が動くが、言葉は出てこない。
「あっ、喋れないよう操っていたんだった。ほら、これで喋れるだろ。生きているなら、なんか言え」
どんっ、と何かに押されたのか、柊の体がやや前に突き出されると、彼女の口が再び動く。
「た、すけ、て……。し、き……」
その声に、骸伝は最高の冗談でも耳にしたかのように、大声で笑い出す。
「がははっ! 人間には耐えられないような犯し方をしちまったせいで、少しばかりおかしくなっているみたいだ。けど、まぁ、大丈夫だろ。よし、喘ぎ声を聞かせろ!」
ほのかに灯る明かりに、柊の声にならない声が反響する。その音に、識は強い眩暈と吐き気が込み上げるが、骸伝はやめようとしなかった。
「あー、最高だ! げへへへっ!! あ、またきちゃいそうだ。あう……あう……あうあ!」
またも最高潮を迎えて震える骸伝を見て、識の不快感はゆっくりと変化していった。何もかも破壊しなければならない。目の前にいる、この不快な妖怪の何もかもを破壊しなければならない。そんな激しい憎悪に胸が荒れ狂うのだった。
「骸伝……」
「ん?」
涎を垂らしながら振り向く骸伝だったが、識は既に目の前まで踏み込み、怒りのまま刀を振っていた。その一撃は骸伝の首を斬り裂くため、閃光のように煌めく。有無を言わすことなく、骸伝は絶命したかと思われたが……。
「な、何をするんだよ!!」
骸伝の首はつながっていた。
「まさか、お前もこの巫女で気持ちよくなりたかったから怒ってるのか!? だからと言って、殺す気で斬りかかるのはおかしいだろう!」
鈍い蛞蝓妖怪が不意打ちとも言える一撃を躱し、不信感を抱く識だったが、骸伝も同じ疑問を抱いたようだった。
「あれ? そう言えば、僕は……何で識が斬りかかってくるって、直前で気が付いたんだ?」
まさか、と識は面の中で顔を青く染める。そして、骸伝も気付いたようだった。
「そうか。これが万象神覚ってやつなんだな! 僕とこの巫女がつながっているおかげで、その力も扱えるわけだ! ああ、こいつを喋れるようにしたおかげで、封じていた力も動いたのか! よーし、僕を助けてくれたご褒美だ!」
柊の体が悶えるように身をよじる。どうやら、骸伝の腹の中で何かしらの刺激を与えられたようだが、それがどういったものか、識は考えたくもなかった。骸伝は下品な笑みを見せながら言う。
「おい、識。お前、どういうつもりか知らないが、僕を殺せると思うなよぉ?」
傍にあった刀を手に取ると、骸伝は鞘を抜いて、放り投げる。
「お前、気に食わなかったんだよ! 翳さまに気に入られやがって。僕だってなぁ、翳さまにいっぱい褒めてもらって、そのうち気持ち良くしてもらうはずだったのに……お前の方が気に入られているようじゃあ、いつになるか分からないじゃないか!!」
再び柊の体が動く。まるで、強い痛みに穿たれたように、体が反り上がっていた。
「おっと、つい興奮しちまった」
骸伝は、柊を体に張り付けたままの状態で、調子よく刀を振り回す。
「お前が先に僕を襲ったんだぞ! 殺されても、文句は言わせない。翳さまだってお許しになるはず。だから、覚悟しろよ!!」
骸伝は万象神覚を持ち、識のような妖怪を前にしても、敗れることはないと判断したようだ。しかし、識の怒りが、彼の力を引き上げようとしていることに気付いていない。識は刀の柄を強く握りしめながら言う。
「骸伝……。いや、貴様ら骸族は一匹も残らず殺し尽くす。血肉の一滴たりとも残さず、殺し尽くしてやるぞ!!」
識の頭髪が部分的ではあるが、銀色に染まっていく。それは、万象神覚がさらに向上する兆しであるが、識にとって骸伝を八つ裂きにするためだけに使われる力ではなかった。
なぜなら、万象神覚を通じて、柊の苦しみが聞こえてきたからである。




