翳討伐戦
境たちは道を阻む妖怪を蹴散らし、ついに翳が潜んでいるだろう屋敷の前に立つ。御神渡を握り締め、今にも屋敷の中へ踏み入ろうとする境だったが、紬が声をかけてきた。
「援軍が到着するまで待つべきかな?」
気付けば、境が率いていた剣士は三名まで減っている。どうにか樒ヶ里村の男たちから死者は出ていないようだが、その代わりに先陣を切る御神楽衆の人間が命を落としてしまったようだ。
「このまま行く」
「でも、確実にやるなら待った方が……」
そう言いながらも、紬は境の考えが分かっていた。援軍の到着を待っている間に、敵が逃げ出すことだってある。確実と言うなら、例え危険であっても、すぐに踏み込んだ方が正解なのだ。
「お前は古守と一緒に楓の傍にいてくれ。翳とかいう妖怪がどれほどのものか分かるまでは、屋敷の中に踏み込むなよ」
「分かった。私も全力で凪の神楽を舞うから……頑張ってね」
「おう」
剣士たちを引き連れ、屋敷の中へ向かう境だったが、楓によって引き止められる。
「待って、境」
「どうした?」
「屋敷の奥に……凄い力を感じる。強い意志と誇りを持って、人間たちを追い出そうとする妖怪がいるんだと思う。こんなに強い気持ちを持った妖怪は初めてだよ」
境は屋敷の方を見て、楓が言う気配を感じようと意識を向ける。しかし、楓ほどの感度の高い万象神覚を持たない境には、何も感じられなかった。境は楓に向き直ってから言う。
「安心しろ。俺はこれまで何度もこういう戦いを潜り抜けてきた。屋敷の中にいる妖怪がどんなものか知らないが……俺は絶対に帰ってくる」
「……信じたい、けど」
不安で瞳を揺らす楓だったが、二人の間に紬が入った。
「大丈夫ですよ、楓さん。境が言う通り、私たちは専門家です。これくらい慣れっこなんですから」
楓は納得した様子はなかったが、境はそんな彼女をしおらしく思うだけだった。なぜなら、今の自分なら万象神覚を最大限に活かして、どんな敵であろうと斬ってみせる自信があるからだ。
「待っていろ。すぐ戻るから」
「境……」
楓はどうにか危険を訴えようとしているが、それ以上の言葉は出てこないらしい。境は力強く頷いてみせてから、屋敷の中へ踏み込んだ。三人の剣士と慎重に進む。部屋を一つずつ確認するが、妖怪たちが逃げ出した後なのか、とても静かだった。
(いや、そんなはずはない。少なくとも識の野郎は隠れて機会を窺っているはずだ)
これまで、識という妖怪は押し引きを繰り返して、嫌な時期を狙って攻めてきた。この大一番で真っ先に逃げるようなことはしない。絶対に息を潜め、境を斬る瞬間を狙っているはずだ。境が襖に手をかけた、そのときだった。
「しゃあっ!!」
襖を貫いて境を狙う刃が。万象神覚によって、一瞬早く不意打ちを察知した境は、体を捻って躱すと同時に、襖に向かって御神渡を突き出す。確かな手応え。御神渡を引き抜くと、部屋の中で低い音がした。襖を開けると、そこには倒れた妖怪の姿がある。
「あの野郎も……こんな姑息な手を使う気か?」
黒い血だまりの上に横たわる妖怪を見て呟く境だったが、その後も慎重に各部屋を探しても、最後まで識は姿を現さなかった。
「残すは奥の大広間のみです」
剣士の報告を聞いて、境は頷き、最後に残された大広間へ向かった。
「時間をかけすぎた。既に逃げられているかもしれないな」
そう言いながら、大広間にたどり着いた境は、すぐに襖を斬り倒し、部屋の中を見渡す。広い空間は無駄に広がるばかりで、識はおろか、妖怪一人見当たらないと思われたが……。
「逃げ出しもせず、それだけ堂々と待ち構えているなら大したものだ」
境は奥にある上段の間に向かって言った。そこには、一人の女が片膝を立てて胡坐をかいている。彼女の褐色に近い肌は、太陽の下で戦を続ける武人のような印象を受けるが、一城の姫君のような気品もあった。境は女に向かって問いかける。
「お前が月蝕の三姉妹……翳だな?」
「いかにも」
短く答える女……翳は追いつめられているはずなのに、微笑みを見せた。その余裕は不気味なものだったが、境は怯むことなく、御神渡の切っ先を向ける。
「だったら、ここで死んでもらう。大人しく斬られれば、無駄な痛みを感じることもないぞ」
御神楽衆の発言となれば、妖怪にとっても恐ろしい警告だが、翳は顔色を変えることはなかった。
「驚いたぞ、人間ども」
さらに、少しも取り乱した様子もなく、淡々と言った。
「時間をかけて築いたこの里が、まさか、こうも簡単に滅ぼされるとは思わなかった。妖怪は近いうちに滅びるだろう、と姉さまは言っていたが……世迷言だと笑えなくなってきたな」
ゆっくりと立ち上がる翳は、この先を憂うようだが、その顔に危機感の色はない。
「御神楽衆か。人間の組織力は素晴らしいものだな。あの方が人間と手を取るべきだと主張したのも、分からなくもない。しかし、それは妖怪としての誇りを捨てると同義だ。生きるために誇りを捨てるか。誇りのために生を捨てるか。そんな状況まで我々は追いつめられているのか」
ただ、冷静に妖怪の将来を考えているようだが、境はそんな彼女を嘲る。
「色々と背負って大変みたいだが、お前はそんな先のことを心配する必要はないぞ。お前は今ここで死ぬんだからな」
「ふむ。さすがはここに一番早く辿り着いただけある。この翳を前にしても、そんな口を叩く余裕があるか」
「お前の方こそ、やっぱり大したもんだ。こういうときは、もう少し自分の身を案じるべきだぞ」
「身を案じる、か……」
翳の瞳が赤く輝き、歪んだ笑みを広げる。それは境たちに温い風を感じさせるほど、強烈な殺気が含まれているのだった。




