好転
再び妖怪の里を攻めるため、山を越える途中だったが、紬はまだ気分が重たくて仕方なかった。古守や相馬と話して、少しは軽くなったつもりが、あれ以降、境と楓の距離が縮まったように思えて、さらにどん底まで落とされた気分になってしまったのである。
「まぁ、楓さまは都に帰るお人なので」
隣を歩く古守が声をかけてきた。
「そうでしょうか……。なんだか、六奥まで一緒についてきそうな気がするけど……」
「おや、紬殿たちは六奥が拠点だったのですか?」
「あ、はい」
「実は私の母が六奥出身です。どのあたりですか?」
二人は他愛のない話に花を咲かせる。ここ最近の紬にとって、唯一の救いと言えば、古守と親交を深められたことである。
彼は紬が一人で思い悩んでいそうなときは、すぐに話しかけてくれるため、気がまぎれた。気の利く人だ、と紬は密かに感謝するのだった。
「そうだ。この戦いが終わったら、私も楓さまと一緒に六奥を訪れてから、都に戻るとしましょう。妻と子にちょうどいい土産を持ち帰れるかもしれない」
そんな古守の冗談に、紬は苦笑する。
「やめてください。そう言って、古守さんはすぐに帰りたいのでしょう」
「はははっ、そうでした」
笑いも落ち着き、会話が途切れると、再び前を歩く境と楓が目に入ってしまい、溜め息が出てしまった。
「古守さんは、仕事を放り出したいと思わないのですか?」
「思いますよ。何度も」
彼は平然と言う。が、そのあと語られた事情は、紬を愕然とさせる。
「しかし、私が楓さまを守り切らなければ、妻と子に何があるか分かったものではありません。確実に楓さまを無事に帰さなくてはならんのです」
この葦原神國では珍しいことではない。貧しい剣士は良い待遇を餌に、貴人に雇われてみると、妻子を人質のように扱われ、無茶な仕事を押し付けられる。どうやら、古守もそういった状況らしい。
「なるほど……。だから、楓さんのために命をかけられるのですね」
「はい。不本意なことですけどね」
古守らしからぬ不真面目な冗談に、紬は笑いを耐えられなかったが、おかげで気が引き締まる想いだった。誰にでも不本意なことはある。それでも、目の前の仕事をこなさなければならない。戦いに勝って、生き残らなくてはならないのだ、と。
「よし、紬! 行くぞ!」
妖怪の里が見えると、境に声をかけられた。
「うん、任せなさい!」
走り出す境の後を追い、その背中を眺めながら思う。きっと、境は自分の気持ちなど分かっていない。ここ最近、自分が不機嫌だったこと。今、どうにか気持ちで、御神楽衆の巫女として振る舞っていることも。だが、それでも今はやるしかない。古守や相馬がそうしているように。
「皆、安心して戦ってね!」
紬は仲間たちを鼓舞してから、凪の神楽を舞って、潜んでいるだろう妖怪たちに、御神楽衆の襲撃を知らせてやる。それに呼び寄せられるように出てきた妖怪たちは、里に踏み込もうとする境たちを迎え撃とうとしたが、これはあくまで見せかけである。
「また待ち伏せされていたぞ! 退け! 森の奥まで退くんだ!!」
境の声に、御神楽衆の剣士も、村の男たちも一斉に撤退を始めた。もちろん、あからさまに逃げてしまうと、敵を引き付けられない。ある程度、諦めの悪さのようなものを演出しなければならなかった。
(よし、橋が見えた!)
しっかりと妖怪たちが追いかけてくる。これも相馬の言う通りだった。
(あとは橋の向こうまで引き付ければ……!!)
紬は成功したも同然だと橋に向かったが、急に強い力で引っ張られたかと思うと、草むらの中にいた。何が起こったのか、と視線を上げると、そこに境の顔が。
「境!?」
「馬鹿!」
口を手で塞がれると、すぐ目の前を妖怪たちが駆け抜けていく。どうやら、必死に橋へ向かって走る人々を追いかけているせいか、草むらに隠れる境と紬に気付いていないようだ。
「手を離すから、騒ぐなよ。いいな?」
かくかく、と頷くと境の手がゆっくり離れる。そして、彼は駆け抜けていく妖怪たちの様子を見守った。
(そうだ、私たちはここに隠れる予定だったんだ……)
気負い過ぎたせいで、手順を忘れていた。ただ、そのせいで境と体を寄せ合うように身を隠すことになっている。これだけの近い距離は今まであったはず。なのに、境の息遣いがいつもと違う気がして、変に緊張してしまうのだった。
「橋が落ちるぞ……!」
境に囁かれ、視線を橋の方へ移す。すると、多くの妖怪たちが橋の真ん中あたりを通過するところだった。
「あいつが大将だ。やれー!」
妖怪たちが橋の向こうに何かを見つけて叫んだ。それは、いつもより派手な格好で立つ葛城の姿である。しかし、橋の前に現れる斧を持った人々。
「罠だ! 戻れ!!」
妖怪たちが、こちらの狙いに気付いたが、既に遅い。橋の反対側で斧が振るわれ、橋の支えを破壊する。直後、多くの妖怪たちが悲鳴を上げながら、谷底へ消えて行った。だが、運良く逃げた妖怪たちも少なからず存在している。
「紬、舞え!」
「はい!」
立ち上がると、背後で一緒に身を隠していた剣士たちの姿も現す。そして、境を先頭にして、一斉に走り出した。妖怪たちが気付いて振り返るが、境たちは波のように迫り、次々に斬りかかる。妖怪たちは紬による凪の神楽によって動きが鈍り、さらに背後は谷となるため、退路は断たれた状態だ。紬たちは圧倒的に有利な状況となり、一気に妖怪たちを攻めた。
「やった! 全滅だ!!」
誰かが叫んだ通り、妖怪たちの多くは谷底へ落ちて、残ったものも逃がすことなく斬った。すべてが葛城と相馬が描いた通りに進んだのである。誰もが歓喜する中、境も安堵の表情を誤魔化すように笑みを浮かべた。
「どいつもこいつも、喜び過ぎだぜ」
その言葉に合わせて、紬も笑った。
「これくらい、朝飯前なのにね」
「まぁ、俺とお前が組んでるんだから、当たり前の結果だな」
不意打ちだった。思わず、紬は境の顔を見るが、彼は剣士たちに騒がないように、と声をかけ始めている。あれは照れ隠しとか、そういうわけではない。彼にとって、本当に当たり前のことを口にしただけなのだ。それは、もしかしたら……悪くないことなのかもしれない。
「うん、そうだ。私は……境にとって当たり前なんだよね」
だからと言って不安が消えたわけではない。それでも、紬は自分が立つべき足場を確認できたような気持ちを持てた。
「絶対、最後まで戦い抜いて……六奥に帰るんだから」
紬の決意と共に、この戦いは大詰めに向かうのだった。




