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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
80/140

不満

 境は御神楽衆の剣士たちに稽古を付けた後、自らの鍛錬のために、一人木刀を振っていた。また激しい戦いが待っている。それまでに、さらに技を磨かなければならないのだ。集中する境だったが、万象神覚が何かを告げる。自分にとって、嬉しいもの、楽しいものが近付いている、と。



「あいつ……何やってるんだ??」



 その気配の方に振り返ってみると、楓の姿があった。彼女は屋敷の外に出ていたらしく、門の下を通過し、こちらへ歩いてくる。



「おい、勝手に外に出たら危ないだろ。今頃、古守のやつが騒いでるぞ」


「うるさいなぁ、放っておいて!」


「な、なんで怒っているんだよ……」



 これまで、百はくだらないだろう数の妖怪を斬ってきた境だが、楓の剣幕に怯え、手にしていた木刀を頼るように握り締める。が、ただ事ではないと思って、すぐに彼女を引き止めた。



「どうしたんだ? また体調が悪いのか?」



 やっと、ここ数日は気分が良さそうだったのに、今度は機嫌が悪そうだ。境は自分に何かできることはないか。それが知りたかった。



「もし、嫌なやつに何か言われたなら、俺がぶった斬ってやるぞ?」


 それでも止まらない楓に、境は慌てて追いかける。


「そうだ。村から差し入れの饅頭が届いたらしいぞ。一緒に食おう!」



 馬鹿みたいな機嫌の取り方だが、その必死な姿勢は楓の足を止めさせた。彼女は大きく溜め息を吐いた後、ゆっくりと振り返り、その表情に何とか笑顔を浮かべたようだった。



「ごめん、八つ当たりだったね」


「……いや、別にいいけど。何かあったのかよ」



 やはり、役に立ちたいと思う境だが、楓は人差し指の先を頬に当てながら、話すべきか迷っているように見えた。



「言いたくないなら、無理しなくていいけどさ」



 気になるが、無理に聞き出すべきではない、と自制する境だが、どうしてもその声にいじけた響きが含まれてしまう。これには楓も同情したのか、笑顔のまま背伸びして、その手で境の頭を撫でる。



「境は良い子だねー。ありがとねー」


「人のことを犬みたいに扱うな」



 そうは言うものの、まんざらでもなさそうに目を細める境は、本当に楓の飼い犬のようである。二人は夕日が見える縁側に移動して、改めて話すことにした。



「私さ、実はこの世界が嫌になっていたんだよね」



 唐突な楓の告白だが、境は黙って耳を傾ける。だから、彼女も自然と話を続けた。



「だから、どうにか世界の外側に出る方法を探していたんだ。そしたら、万象神覚の向こうに、それを見つけたの。そこには、怒りも悲しみもない、穏やかな世界がある。私にはそう見えたんだよね」


「そこに行くつもりなのか?」



 楓はくすぐったそうに笑う。



「うん。だけど、ちょっと勇気がなくてねー。誰か一緒にきてほしいな、って思っていたんだよ。一人じゃなければ、怖くない。きっと、飛び込めるって思って……」


「行きたくても行けないから怒っていた、ってことか」


「ちょっと違うかなー」



 説明が続くかと思い、言葉を待つ境だったが、楓は夕日を眺めるばかりで、何も言わない。これでは、彼女がなぜ怒っているのか、わからないままだ。しかし、境はそれでもよかった。



「じゃあ、俺と行くか?」


「えっ?」


「行きたいんだろ? 世界の外側ってところに。でも、一人じゃあ無理なら、俺が一緒に行ってやる」


「え、あ……うん。それは、えーっと……嬉しいんだけど、大丈夫?」



 楓は混乱しているようだが、境は首を傾げた。



「大丈夫って、何がだ? あ、そうか。今すぐは無理だよな。仕事はちゃんと終わらせないと」


「いやいや、そういうことじゃなくてさ」


「どういうことだ?」


「だって、一度外側に出たら戻ってこれないかもしれないよ?」


「そうなのか?」



 眉を寄せた境に、楓は寂し気な表情を見せるが、それは一瞬だった。



「まぁ、良いんじゃないか。お前と一緒なら」


「えええーーー??」



 楓の声に境は煩わしそうに眉を寄せる。



「そんなに驚くことかよ」


「だってだって、そうなったら、妹さんにも会えなくなるよ?」



「平気だろ。今回の報酬が入れば、あいつも明倫院に入れるだろうし、賢いから一人でも何とかするさ」

 当たり前のように言い切ってしまう境に、楓は開いた口が塞がらないらしい。だが、境にしてみると、その反応では不服でしかなかった。



「俺が信じられないのか?」


「そうじゃなくて……。どうして、そこまで言ってくれるのかな、って」



 呆然とする楓に、境は平然と言う。



「どうしても何もないだろ。俺がお前に惚れているって、忘れたのかよ」


「そう……かも、しれないけど」



 楓は少し黙ったが、堪えられない、と言った調子に再び笑みをこぼす。そして、少し遠くを見るような目で、再び語り出した。



「少し前にね、一緒に外側に行ってくれるかも、って思った人がいたんだ」



 境は「どこのどいつだよ」と呟くが、楓はそれを無視して続ける。



「でも、その人は躊躇っていた。ううん、この世界で別の人と暮らすって決めたみたい」


「お前に誘われたのに、断るなんて……馬鹿な男なんだな」


「そうそう。馬鹿だよねー」


「俺はお前の頼みは断らないぞ。絶対に」


「えー、どうしてかなぁー?」



 言わせようとする楓に、ぶすっと表情を歪めてから、境は改めて言う。



「だから、お前に惚れているからって言っているだろ」


「それはそれは、どうもありがとう」


「揶揄(からか)うな」


「本当に嬉しいんだよ」



 そう言って、楓は膝の上を叩いた。



「ほら、おいで」



 どうやら、頭を乗せろ、という意味らしい。境は彼女の膝をしばらく眺めた後、ゆっくりとした動作で横になり、頭を楓の膝に乗せた。膝の柔らかさを感じていると、楓は境の頭を優しく撫で始める。



「境は良い子。本当に良い子だねー」


「だから犬みたいに扱うな」


「だって、良い子なんだもん」


「じゃあ、抱かせろ」



 まるで理性のない発言だが、楓は嬉しそうだった。



「どうしよっかなー。迷っちゃうねぇ」


「迷うくらいなら、今でも良いだろ。すぐ抱きたい」



 楓は境を撫でる手を止めずに言う。



「そうだねー。あの識って妖怪を斬ったら、ご褒美として好きにさせてあげてもいいかなぁ」


「本当か??」



 否定しない楓に、境は笑顔を浮かべた後、心地よさそうに目を閉じる。しばらく、楓の温もりを堪能する境だったが、話している中で生まれた疑問を思い出した。



「なぁ、楓」


「なにー?」


「世界ってなんだ? どこにあるんだ?」



 少し遅れて返答があった。



「まぁ……どこであろうと、境は一緒に来てくれるんだよね」


「そうだな」


「じゃあ、どこであろうとも気にしなくていいじゃん?」



 これを聞いた境は小さく吹き出す。



「まぁ、その通りだな」



 少しずつ辺りは暗くなる。次の戦いは、すぐそこまで迫っていた。だが、境に不安はない。戦いの先には、楓と一緒になる未来があると信じたからだ。

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