不満
境は御神楽衆の剣士たちに稽古を付けた後、自らの鍛錬のために、一人木刀を振っていた。また激しい戦いが待っている。それまでに、さらに技を磨かなければならないのだ。集中する境だったが、万象神覚が何かを告げる。自分にとって、嬉しいもの、楽しいものが近付いている、と。
「あいつ……何やってるんだ??」
その気配の方に振り返ってみると、楓の姿があった。彼女は屋敷の外に出ていたらしく、門の下を通過し、こちらへ歩いてくる。
「おい、勝手に外に出たら危ないだろ。今頃、古守のやつが騒いでるぞ」
「うるさいなぁ、放っておいて!」
「な、なんで怒っているんだよ……」
これまで、百はくだらないだろう数の妖怪を斬ってきた境だが、楓の剣幕に怯え、手にしていた木刀を頼るように握り締める。が、ただ事ではないと思って、すぐに彼女を引き止めた。
「どうしたんだ? また体調が悪いのか?」
やっと、ここ数日は気分が良さそうだったのに、今度は機嫌が悪そうだ。境は自分に何かできることはないか。それが知りたかった。
「もし、嫌なやつに何か言われたなら、俺がぶった斬ってやるぞ?」
それでも止まらない楓に、境は慌てて追いかける。
「そうだ。村から差し入れの饅頭が届いたらしいぞ。一緒に食おう!」
馬鹿みたいな機嫌の取り方だが、その必死な姿勢は楓の足を止めさせた。彼女は大きく溜め息を吐いた後、ゆっくりと振り返り、その表情に何とか笑顔を浮かべたようだった。
「ごめん、八つ当たりだったね」
「……いや、別にいいけど。何かあったのかよ」
やはり、役に立ちたいと思う境だが、楓は人差し指の先を頬に当てながら、話すべきか迷っているように見えた。
「言いたくないなら、無理しなくていいけどさ」
気になるが、無理に聞き出すべきではない、と自制する境だが、どうしてもその声にいじけた響きが含まれてしまう。これには楓も同情したのか、笑顔のまま背伸びして、その手で境の頭を撫でる。
「境は良い子だねー。ありがとねー」
「人のことを犬みたいに扱うな」
そうは言うものの、まんざらでもなさそうに目を細める境は、本当に楓の飼い犬のようである。二人は夕日が見える縁側に移動して、改めて話すことにした。
「私さ、実はこの世界が嫌になっていたんだよね」
唐突な楓の告白だが、境は黙って耳を傾ける。だから、彼女も自然と話を続けた。
「だから、どうにか世界の外側に出る方法を探していたんだ。そしたら、万象神覚の向こうに、それを見つけたの。そこには、怒りも悲しみもない、穏やかな世界がある。私にはそう見えたんだよね」
「そこに行くつもりなのか?」
楓はくすぐったそうに笑う。
「うん。だけど、ちょっと勇気がなくてねー。誰か一緒にきてほしいな、って思っていたんだよ。一人じゃなければ、怖くない。きっと、飛び込めるって思って……」
「行きたくても行けないから怒っていた、ってことか」
「ちょっと違うかなー」
説明が続くかと思い、言葉を待つ境だったが、楓は夕日を眺めるばかりで、何も言わない。これでは、彼女がなぜ怒っているのか、わからないままだ。しかし、境はそれでもよかった。
「じゃあ、俺と行くか?」
「えっ?」
「行きたいんだろ? 世界の外側ってところに。でも、一人じゃあ無理なら、俺が一緒に行ってやる」
「え、あ……うん。それは、えーっと……嬉しいんだけど、大丈夫?」
楓は混乱しているようだが、境は首を傾げた。
「大丈夫って、何がだ? あ、そうか。今すぐは無理だよな。仕事はちゃんと終わらせないと」
「いやいや、そういうことじゃなくてさ」
「どういうことだ?」
「だって、一度外側に出たら戻ってこれないかもしれないよ?」
「そうなのか?」
眉を寄せた境に、楓は寂し気な表情を見せるが、それは一瞬だった。
「まぁ、良いんじゃないか。お前と一緒なら」
「えええーーー??」
楓の声に境は煩わしそうに眉を寄せる。
「そんなに驚くことかよ」
「だってだって、そうなったら、妹さんにも会えなくなるよ?」
「平気だろ。今回の報酬が入れば、あいつも明倫院に入れるだろうし、賢いから一人でも何とかするさ」
当たり前のように言い切ってしまう境に、楓は開いた口が塞がらないらしい。だが、境にしてみると、その反応では不服でしかなかった。
「俺が信じられないのか?」
「そうじゃなくて……。どうして、そこまで言ってくれるのかな、って」
呆然とする楓に、境は平然と言う。
「どうしても何もないだろ。俺がお前に惚れているって、忘れたのかよ」
「そう……かも、しれないけど」
楓は少し黙ったが、堪えられない、と言った調子に再び笑みをこぼす。そして、少し遠くを見るような目で、再び語り出した。
「少し前にね、一緒に外側に行ってくれるかも、って思った人がいたんだ」
境は「どこのどいつだよ」と呟くが、楓はそれを無視して続ける。
「でも、その人は躊躇っていた。ううん、この世界で別の人と暮らすって決めたみたい」
「お前に誘われたのに、断るなんて……馬鹿な男なんだな」
「そうそう。馬鹿だよねー」
「俺はお前の頼みは断らないぞ。絶対に」
「えー、どうしてかなぁー?」
言わせようとする楓に、ぶすっと表情を歪めてから、境は改めて言う。
「だから、お前に惚れているからって言っているだろ」
「それはそれは、どうもありがとう」
「揶揄うな」
「本当に嬉しいんだよ」
そう言って、楓は膝の上を叩いた。
「ほら、おいで」
どうやら、頭を乗せろ、という意味らしい。境は彼女の膝をしばらく眺めた後、ゆっくりとした動作で横になり、頭を楓の膝に乗せた。膝の柔らかさを感じていると、楓は境の頭を優しく撫で始める。
「境は良い子。本当に良い子だねー」
「だから犬みたいに扱うな」
「だって、良い子なんだもん」
「じゃあ、抱かせろ」
まるで理性のない発言だが、楓は嬉しそうだった。
「どうしよっかなー。迷っちゃうねぇ」
「迷うくらいなら、今でも良いだろ。すぐ抱きたい」
楓は境を撫でる手を止めずに言う。
「そうだねー。あの識って妖怪を斬ったら、ご褒美として好きにさせてあげてもいいかなぁ」
「本当か??」
否定しない楓に、境は笑顔を浮かべた後、心地よさそうに目を閉じる。しばらく、楓の温もりを堪能する境だったが、話している中で生まれた疑問を思い出した。
「なぁ、楓」
「なにー?」
「世界ってなんだ? どこにあるんだ?」
少し遅れて返答があった。
「まぁ……どこであろうと、境は一緒に来てくれるんだよね」
「そうだな」
「じゃあ、どこであろうとも気にしなくていいじゃん?」
これを聞いた境は小さく吹き出す。
「まぁ、その通りだな」
少しずつ辺りは暗くなる。次の戦いは、すぐそこまで迫っていた。だが、境に不安はない。戦いの先には、楓と一緒になる未来があると信じたからだ。




