杠葉の夜会
識は仕事を終えて、杠葉の屋敷を訪れていた。そろそろ日が変わる時刻だと言うのに、屋敷は煌々とした明かりが漏れている。この屋敷の空気を吸わねばならないのか、と思うと識は少しばかり憂鬱だった。
「識さま」
黙っていると背後から声があった。
「柘榴か。先程はよくやった」
柘榴は膝を付いたまま、識の背に頭を下げた。
「いえ、識さまの算段が見事でした」
「次も頼むぞ」
「はい」
屋敷の前には、二人の見張りがあった。人の姿ではあるが、狐を原型とした妖怪の匂いがする。玄天狐党の一員であることは間違いないだろう。
「杠葉殿と約束がある」
「その面……。お前が噂の識か。人目に付くような騒ぎばかり起こすと、仄さまのお怒りを受けるぞ」
「忠告、痛み入る」
確実に名が通りつつあるようだ。案内されて屋敷の中へ入ると、甘い香りが流れてきた。部屋の奥には村の女たちが集まり、何やら囁き合っている。誰もが笑顔だが、それは怪しい術に身を委ねているだけだと、識は知っている。
「相変わらず趣味が悪い」
ここにいては、頭がおかしくなる。識は柘榴と二人で隣の部屋で待つことにした。間もなくして、杠葉が現れる。着物を崩し、露わとなった胸元が目立つが、それよりも化粧によって整えられた白い顔は性別を曖昧にしていた。
「識、また君か」
呆れたように溜め息を吐きながら、正面に腰を下ろす。
「夜会の前に申し訳ない。だが、どうしてもお伝えしたいことがあってな」
「早めに済ませてくれ」
虫を払うように手を仰ぐ杠葉。ここ最近、しつこく訪ねているせいか、やや扱いが悪くなっているようだ。
「先日話した、騒ぎを企てようとしている連中の拠点を攻めてきた。やはり、やつらは武器を集めていたが、火を放って半分は焼いておいたが、まだ安心できるとは言えない」
「安心も何も……。前も言ったが、私は人間どもが少し騒ぎ立てたところで、何も心配していない。何が起こっても、仄さまが対処してくれる」
「月蝕の三姉妹。その末の妹だったか」
杠葉の後ろでは、玄天狐党の妖怪たちが糸を引いている。その頭目とも言える、月蝕の三姉妹の末妹である仄は、特に杠葉を気に入っているらしかった。
「しかし、御神楽衆も村に入った。やつらが絡むと事は大きくなると考えられるが?」
「御神楽衆がなんだ。この樒ヶ里村は仄さまに守られた聖域であるぞ。異物の一つや二つ、放っておいてもどうってことはない」
識を口煩いと思っているのか、杠葉はすぐにでも話を切り上げたいと思っているようだった。どうにか事態を理解してもらおうと、識は食い下がる。
「御神楽衆を甘く見ない方がいい。せめて、仄さまに会わせてもらえないだろうか。直にこの危機をお伝えしたい」
識の要望に、杠葉の目付きが変わる。
「妖怪とは言え、他所からやってきた貴様が簡単に仄さまに会えると思うな。身の程を知れ!」
「……それは失礼した」
杠葉は、隣の柘榴が放つ殺気を感じていない。侮蔑するような溜め息の後、またも識に向かって、虫を払うように手を仰ぐのだった。
「今日のところは帰れ。もう夜会の時間だ」
「承知した。また何か分かったら訪ねよう」
「必要ない!」
そう言って、杠葉の方が立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
「……無礼な男」
ずっと不満を抑えていた柘榴が呟くが、識の方は小さく笑みを浮かべる。
「どうやら、危機感と言うものがないらしい。三姉妹殿の下で保護されていたのだ。仕方ない」
「しかし、あのような男の機嫌を取らなくとも、識さまならば三姉妹殿に買ってもらえるはずです」
「かもしれん。が、最短の道は杠葉だ。私は気にしていないよ」
識が立ち上がると、屋敷の奥から女たちの色目き立つ声が聞こえてきた。
「夜会が始まったらしい」
流れてくる三味線の音色。これを聴くために、女たちが夜な夜な屋敷に集まるわけだが、そのほとんどは杠葉の美貌に酔っているだけのようだった。柘榴は不快感を露わにする。
「自身に危険が迫っていると言うのに、呑気なものですね」
「そのようだ。だから……」
識は口元に笑みを浮かべた。
「御神楽衆の恐ろしさを実感してもらわなければならないな」
杠葉の屋敷を出る二人だったが、門の前に佇む影があった。
「よう、柘榴」
それは、玄天狐党に属する妖怪、無為だった。




