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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
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誘引

 識は葛城たちに労われ、食事を振る舞われたが、もちろん落ち着けるわけがなく、厠(かわや)へ行くと言って席を離れた。中庭に出ると巫女の姿を見つけ、一瞬だけ構えたが、すぐに肩の力を抜く。



(あの巫女は……境が連れていた女ではないか?)



 確か、名前は紬と言われていたはずだが、なぜか浮かない顔で中庭を眺めている。そのとき、識の万象神覚が彼女の心に触れた。



(泣いているのか?)



 その目から涙がこぼれているわけではない。だが、その心は悲しみに沈んでいるようだ。



(境の弱味につながるかもしれないな)



 これまで、紬を脅威として意識したことすらなかったが、力を増していく境に弱点があるとしたら、この女かもしれない、と識は思い当たるのだった。



「紬さん、でしたね?」



 声をかけると、紬は余ほど驚いたのか、体を震わせるようにして振り返った。



「そ、相馬さん……。どうかしましたか?」



 識は好印象に見られるような微笑みを浮かべる。



「いえ、貴方が落ち込んでいるように見えたものですから」


「……ごめんなさい、みっともない姿を見せてしまって」



 どれだけ気丈に振る舞っていたのか、彼女の気持ちに綻びが見えたような気がした。



「誰だってつらい気持ちになることはあります。私でよければ……話を聞きましょうか?」



 紬は迷っているのか、落とした視線を右へ左へと動かしている。気持ちを吐き出したい。迷っているようだが、そんな想いがあるようだ。識は縁側に腰を下ろして、いつか楓がそうしたように、自分の隣を軽く手で叩いた。



「座ってください」



 戸惑いながらも紬は腰を下ろすが、なかなか口を開こうとはせず、識の方から探りを入れる。



「境殿は頭髪の色が変わったようですが、何かあったのでしょうか?」


「いえ、私も驚きましたが……いつも通りみたいです」


「体調に変化があったとか、そういうわけでもないのですか?」


「元気なものですよ。むしろ、絶好調に見えるくらい」



 力を使った反動があれば、と思ったが、境の弱点らしいものは紬も知らないらしい。また、沈黙が生まれてしまった。識は別方向から攻めてみようと舵を切る。



「境殿と一緒にいると……大変なのでしょうね」


「えっ?」


「彼は凄まじい覇気の持ち主です。ずっと、隣にいると、振り落とされてしまいそうになることもあるのでは?」



 どうやら、芯を突いたらしい。紬の瞳は激しく揺れていた。



「私、ここにきてから……ずっと不安で」



 上手く引き出せそうだ、と思いながら、識は真剣な眼差しを作って紬に向ける。彼女はその目に気付いたわけではないようだが、識の目論見通りぽつぽつと語り始めた。



「自分なりに、全力で頑張っているつもりなんです。だけど、誰も私を見てくれない……。頑張っている方向が間違っているのかな。本当は迷惑だと思われているんじゃないかって。そんなことばかり考えてしまうんです」



 彼女は決して名前を出さないが、境のことを考えていることは明白だった。



「紬さんは、素晴らしい働きを見せている。誰もがそう思っているはずですよ」



 識もあえて境の名前は出さなかった。彼女が多くの人間から認められるのではなく、たった一人の興味を引きたいのだ、と理解しながらも。



「私は紬さんの活躍を直接見たわけではありませんが、聞いた話だけでも、その苦労は想像できる。私も貴方のような女(ヒト)に助けてもらいたかった」


「相馬さんが、ですか?」



 紬が相馬という人間をどう評価しているのか分からないが、それなりに評価が高いらしい。もしかしたら、妖怪たちの住処に単身で紛れる強い胆力を持った男を想像しているのかもしれない。



「ええ、私は一つ間違えれば命を落とすかもしれない場所に身を置いています。恥ずかしいことですが、物音一つに怯える毎日です。これから、またあそこに戻ると思うだけでも、このように手が震えてしまう」



 識の手は震えてなどいないのだが、紬は同情的な目を向けていた。



「だから、私も貴方のように支えてくれる存在が傍にいてくれたら……と、ここ数日で何度も思いました。正直なことを言います。今、こうして話せているだけでも、心が安らぐ。できれば、離れたくないと思うほどに」


「そんな……」



 戸惑う紬に、識は照れくさそうに笑ってみせる。



「申し訳ない。急にこんなことを言われても困るでしょう。貴方を慰めるつもりが、自分の話になってしまいました。ただ、貴方は傍にいるだけで、人に勇気を与えてくれる。そんな価値のある人なのだ、と伝えたかったのです」


「私に価値、ですか……」



 言葉を噛み締めるような紬に、識は思い切って、もう一押し仕掛けてみることにした。



「そろそろ行かねばならないのですが……最後にお願いしてもよろしいでしょうか」


「な、なんでしょう?? 私にできることなら、何でも!」



 献身的な女なのだ。識は評価しつつ、彼女に揺さぶりをかける。



「この震える手を……貴方の手で包んでいただけないでしょうか」


「手を、ですか??」


「ほんの少しで良い。それだけで、私はまた妖怪たちの巣へ飛び込むことができるはずですから」


「……分かりました!」



 紬は両手で識の手を包む。数秒の間、二人は触れ合ったが、識は紬の震えを感じた。それだけではない。万象神覚を通して、罪悪感のような気持ちも流れ込んでくる。



「ありがとうございます」


「い、いえ……。こんな私でも、お役に立てたなら」



 二人の手が離れ、識は立ち上がった。



「そろそろ行かねばなりません。……勝手なことを言いますが、また私と会えるよう、願っていてください」


「ええ、はい……。もちろんです!」



 識は最後に微笑んで、紬に背を向けた。彼女の視線を背に受けながら、識は考える。これで、紬の心の隙間に入り込めたはず。


 それが、何に役立つか分からない。だが、境の弱味を握るか、揺さぶるか。いつか彼女を使う機会があるはずだ。葛城たちに挨拶してから、屋敷の外に出た識は一人呟く。



「情の深い女なのだろうな」



 そんな第一印象を口にすると、頭の中に別の女の影が過った。刀を通して、あの女の肉を引き裂いた感触を思い出すと、温(ぬる)い風に撫でつけられる。それは女の恨みであるように思えるのだった。

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