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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
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凌駕

「識ぃぃぃーーー!!」



 怒り狂った獣のように突進してくる境。しかし、違和感があった。黒一色だった頭髪に、銀が混じっているように見える。



「なんだ、あいつは……」



 違和感を覚えたのは、柊も同じのようだ。ただ、彼女は識が見ている以上に、境という存在を異物に感じたらしく、まるで吐き気を抑えるように口元を抑え、不快感を露わにするのだった。



「ここは退いた方が良い」



 柊に警告する識だったが、彼女は冷たい目を返してくる。



「お前の役目は私に助力することだろう? あれくらい、どうにかしてみせろ」



 当然のように言われるが、識は自らの感情に混乱した。あの異様な姿になった境と、正面からぶつかるべきではない。識の直感はそう訴えている。せめて、頭髪の他に何が変化したのか、その情報を把握してから斬り合いに挑むべきだが……


 なぜか、識は自分を守るだろうと確信しているような柊を前にして、退くという判断ができなかった。



「ならば、離れていろ」



 泥人形に心を乱されている間に、境は目の前まで迫っていた。やはり、理性を失った獣のようだ。だとしたら、一太刀で決着を付けられるかもしれない。識は刀を構えると、距離が詰まる瞬間に備えた。真っ直ぐ向かってくる境が放つ剣撃を躱し、たった一刺しで仕留めれば良い。そう判断する識だったが……。



(いや、この男は視えている!!)



 万象神覚が訴える。識が打つ一手は、既に先読みされている、と。だが、識は既に体を動かしていた。刀を振るいながら踏み込む境の横に回り込み、その首を狙って一撃を落とす。


 そのつもりだったが、万象神覚の訴えを聞き、横に回り込んだ時点で、すぐさま後ろに飛び退いた。境の一撃目は囮。刀を振るうと見かけ、すぐさま手首を捻りつつ、横手に向かって、切っ先を突き出したのである。



「貴様、獣のふりをして、不意を突くつもりだったか?」



 問いかけながら、そうではない、と識は理解している。境はただ万象神覚に従っているだけのこと。実際、彼は雑音の中から囁き声を拾うように、耳を澄ませているようだった。識は小さく息を吐き、集中力を高める。


 だが、境を観察して、その動きに先読みしようとすればするほど、恐怖が押し寄せてくる。なぜなら、境の奥から得体の知れない巨大な目玉がこちらを覗き込むような感覚に襲われるからだ。



(この男……今まで以上に、万象神覚と強いつながりを結んだ、ということなのか)



 ただでさえ、前回の斬り合いは境の先読みが勝っていたというのに、その上を行くと言うのなら、識に勝ち目はほとんどない。だが、背後に柊の気配を感じて、たじろぐ気持ちを見せまいと刀を構え直す。



(私にだって、柊に与えられた万象神覚がある……。決して、この男に劣ることはないはずだ)



 識が自らを鼓舞したタイミングで、境が踏み出した。動きとしては決して速くはないが、迎え撃とうとすれば、さらに先を読まれるかもしれない。それでも、識はその場に踏みとどまった。



「死ね!」



 境の振り上げるような一撃を躱し、すぐに前へ出て、刀を突き出す。それは境の脇腹を貫くと思われたが、手応えはなかった。境は横へ回り込むと同時に、識の両腕を切断しよう刃を落とす。


 だが、それは識も視えていた。素早く腕を引き、刃をやり過ごすと、すぐさま境の喉を狙う。これまで、多くの人や妖怪を屠った一撃だったが、それも境には届かなかった。



「遅いぞ、狐野郎!!」



 境はわずかに身を傾けつつ、反撃の刃を放つ。こちらの動きを先読みした一撃は的確。対する識は、必殺の一撃を外したため、反応が遅れてしまう。即座に距離を取るが、その胸を切り裂かれてしまうのだった。



「ここで終わりだ!」



 決着を確信した境が詰め寄ってくる。何気ない足取りは隙だらけのようだが、いかに刀を振ったとしても、彼を捉えられるとは思えなかった。逃げるとしても、既に遅いだろう。ここが終わるのか。識は面の奥で境を睨み付けるが、彼の歩みは止まらなかった。



「退くぞ」



 しかし、傍らに柊が立った。



「離れていろ、と言ったはずだ。やつは……危険すぎる」



 柊は剣術の心得があるが、それは万象神覚と組み合わせて、やっと並みの達人と同じ技術と言える。それは達人の域を超えて、さらに強力な万象神覚に目覚めた境を前にしては、役に立つはずがない。それでも、彼女は境の前に立ちはだかると、涼し気な表情で識を見た。



「大丈夫だ。私が守ってやる」


「……柊」



 思わず、その名を呼んでしまうと、彼女は微笑んだ。それは識の記憶を刺激し、強く胸を締め付けるものだったが、彼女は何事もなかったように、境の方を見る。獣のごとく獰猛な境は、一瞬で柊を噛みちぎってしまうかと思われたが……。



「ぐうあっ……!!」



 突然、境が顔を歪めて、苦し気に膝を付く。何が起こっているか分からないが、柊の力によるものらしい。境は見えない力に押し潰されるかと思われが、それでも抗うように立ち上がった。



「この程度で……俺を止められると思うなよ!!」



 獣の咆哮に柊は眉を寄せると、どこか状況を楽しむような顔で識に言った。



「あいつの万象神覚は私を上回るようだ。さて、二人で逃げられるかな……?」

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