向上
猛煌はまったくの別人となっていた。その巨体に似合わない凄まじい速さは境の動きを上回り、破壊力も今まで以上。その圧倒的な力に、境は守りに徹して尚、一方的に痛めつけられるのだった。
「どうした! 俺の右腕を斬るのではなかったか!?」
歓喜と嘲笑をまき散らすように、猛煌は縦横無尽に駆け回り、常に境の四角から戦斧を振るった。
(くそ、このままでは……殺される!)
身体能力を限界まで駆使し、万象神覚の力を借りて、どうにか躱し続けるが、致命傷の一撃を避けるだけで精一杯だ。
(しまった……!!)
一瞬、反応が遅れただけで、猛煌の膝が鳩尾に深く突き刺さる。衝撃で体は浮き上がり、後方に投げ出されたが、それでも勢いは止まらず、地面の上を何度も転がった。やっと体が止まるが、鈍く沈むような痛みに、立ち上がれそうになかった。
「ふはははっ! 決着が付いたようだな!」
高笑いを上げながら、ゆっくりと歩を進めて迫る猛煌。だが、境は額を泥で濡らしながら、痛みに耐えることしかできなかった。
(こんなところで、時間を食っている場合じゃないんだよ!!)
境はどうにか体を起こすが、立ち上がるための力は入らない。絶望的な状況の中、境の頭に過るのは、身を寄せてきた楓の体温だった。約束したではないか。妖怪を近付けさせない、と。どうにか痛みを組み伏せようとする境だったが、その頭の中に声が響いた。
――助けて、殺される。
間違いない、楓の声だ。彼女が万象神覚を通じて、自分に助けを求めているのだ。だが、立ち上がろうとした境は、猛煌によって蹴っ飛ばされてしまう。再び泥の上を転がる境に、猛煌は満悦のようだった。
「わはははっ、すぐに殺してやるぞ!俺は慈悲深いから痛みもなく、一瞬で殺してやる。いや、今の気持ちを口にする時間くらい与えてやるが、どうしたい?」
続けて、猛煌は勝ち誇った言葉を並べたが、なぜか境には聞こえなかった。その代わり、楓の声が繰り返し頭の中に響く。
助けて、殺される。
助けて、殺される。
助けて、殺される。
頭が割れるのではないか、と思うほど、その声は大きく、境の思考と五感を塗り潰した。
「なんだ、これ……」
楓の声が消えた。すると今度は、自分の心音が妙に音を立て始める。死ぬのだろうか。そう思うほど、心音は激しい。だが、同時に体の内から力が込み上げてくる。自分の力ではない。誰かが境の中に力を……絶対的な力を流し込むようだった。
「楓……なのか??」
その名を呟いた途端、頭の中に何かが駆け抜ける。稲妻のような何かが突き抜け、先程まで感じていた痛みが消えていた。ゆっくりと立ち上がる境に、猛煌は険しい顔を見せる。
「なんだ、その頭は?」
猛煌が何を言っているのか、境には分からなかった。いや、聞こえなかった。猛煌が気付いた境の変化。それは頭髪だった。整えられず、乱れた境の黒髪が、所々で銀色に輝いている。その数は半分程度だろうか。黒と銀が混じった頭髪で、境はただ真っ直ぐと猛煌を見ていた。
「……ぐっ!?」
猛煌は突然痛みが走ったのか、胸を抑えながらわずかに顔色を変えた。
「そろそろ代償が出てくるか」
耐えるように奥歯を噛む猛煌だが、傷だらけの境を見て、再び笑みを取り戻す。
「いや、残された時間がわずかでも、相手があれならば十分だ」
呟きを残すように消える猛煌。いや、消えたのではなく、目の止まらぬ速さで動き、境を牽制してるのだ。ただ、当の境は真っ直ぐと前を見つめるだけで動かない。
「消えろ!」
戦斧を振り上げた状態で、境の背後に現れる猛煌。そして、巨大な戦斧が境の頭に落とされた。
「なに……!?」
驚愕の声を漏らしたのは、境ではなく、猛煌だった。直後、地面に転がる太い腕。猛煌の右腕が転がっていた。呻き声を漏らしながら後退る猛煌は顔を上げ、境の姿を確認する。そこには、先程まで背を向けていたはずの境が、真っ直ぐと猛煌を見つめていた。
「万象神覚、なのか??」
確かな恐れを見せた猛煌に、境はゆっくりと歩み寄る。彼が恐れるのも無理はなかった。なぜなら、境は猛煌が後ろに回り込む瞬間、その機を知っていたかのように、くるりと振り返って、御神渡でその腕を切断したのだから。
「いや、偶然だ。そんなわけがない!!」
自分に言い聞かせるような猛煌は再び地を蹴る。残像すら追いつくことのない速さは、境の真後ろへ現れたかと思えば、次は右に、左にと、現れては消えてを繰り返す。人間の動体視力では決して捉えられない動きだが、境はそんなものに頼ってはいなかった。
「そんな、馬鹿な……」
境の左斜め後ろに現れたはずの猛煌は、再び御神渡に迎えられていた。腹部に深々と刺さった刃に猛煌は吐血しながらも、境を捕らえようと手を伸ばすが、それは空を掴むだけ。境はその一瞬前に後退り、距離を取ると、伸ばされた猛煌の手を斬った。
「お、お前……本当に人間か?」
問いかける猛煌に、境は反応しなかった。不気味なまでに静かな境を前に、失意の飲まれつつある猛煌だったが、再び地を蹴ろうとする。が、それは叶わなかった。
「ぐぬっ……」
再び胸に痛みが襲ったのか。心臓の辺りを手で抑えながら蹲ると、今度は全身に痛みが襲ったらしく、地面の上をのたうち回る。
「し、死ぬものか……! 俺はまだ、翳さまに……!!」
地を這うようにして、境から離れようとする猛煌。本来の境ならば、笑いながら追いかけて、猛煌の背に刃を下ろすところだろうが、彼は少しも動こうとしなかった。その間に、猛煌は境の前から消える。
それでも、じっと動かない境だったが、突然目が覚めたように、顔を少し上げると、我が身に何が起こったのか確認するように視線を巡らせた。
「……楓!」
しかし、本来の役割を思い出し、境は走り出すのだった。




