攪乱
柊は一度も迷いに足を止めることなく、森の中を進んだ。やはり、万象神覚によって人間たちの居場所が分かっているのだろう。さらに、ときどき彼女は妙な呟きを漏らした。
「ふふっ、私の干渉によって惑っているようだな。強い力を持っているようだが、まだ使いこなしていないらしい」
識は嫌な予感を覚える。もしかして、柊は楓を感じているのではないか、と。だが、共に行動する猛煌は柊よりも、識の方を警戒しているようだった。
「貴様、何を企んでいる?」
「何の話だろうか?」
「とぼけるな。お前は何か良からぬことを考えているだろう。翳さまの側近を狙っているかもしれんが、この猛煌がいる限り、それは叶わんぞ」
「分かっている。翳さまから、どれだけ猛煌殿を信頼しているのか、聞いたばかりだからな」
どうにか機嫌を取ろうとするが、猛煌は警戒の目をより強めたようだった。猛煌は理性的とは思えないが、恐らく本能で識の危険性を理解しているのだろう。できれば、状況が複雑になる前に、猛煌は排除しておきたいところだが、と識は考えるのだった。
「お前たち、少し静かにしてもらおうか」
柊が二人に呆れたような声で沈黙を求めたため、識は口を閉ざして、彼女の前方に広がる景色を注視した。木々の向こうにある傾斜。その下には、多くの人の姿があった。
「まさか……」
里を襲った人間たちを見つけてしまったようである。確かに驚くべきことだが、人間の数はかなり多い。例え、猛煌と協力して三人で襲撃するにしても、返り討ちになることは目に見えていた。同じことを考えたのか、猛煌が言う。
「ふん、見つけたからと言って何なのだ。この数を相手に貴様一人でどうする。紛れ込むにしても、その着物では目立つであろう」
だが、柊は想定内のことだったらしい。薄く笑みを見せると、懐から葉っぱを取り出した。変哲のない、どこにでもあるような葉っぱだ。どうやら、道中で拾ったもののようだが。
「何のつもりだ?」
猛煌の疑問に答えるのではなく、柊は識を見る。識はそれだけで心が乱れそうになるが、どうにか面のうちに納め、ただ彼女の言葉を待った。
「そこのお侍、私の髪を少し切ってくれないか」
そう言って、柊は黒い長髪を一房摘まむ。
「動くな」
識は言われた通り、刃で髪を撫でつけてやる。すると、柊は手の平の髪を見て、満足げに頷いてから、その場に座り込んで、何やら手作業を始めた。
「おい、何のつもりだと聞いている」
猛煌が柊の肩を掴むと、彼女の手元が見えた。どうやら、葉っぱに自らの髪を縛り付けているようだが、作業を邪魔された柊は鋭い目で猛煌を睨んだ。
「騒ぐなと言ったはずだ。これ以上、私の邪魔をしたら、お前たちの大将に言いつけるぞ。特にお前」
柊は人差し指を猛煌に向ける。
「お前が騒いだせいで、あの者たちに気取られ、失敗したと伝えてやる。あの翳という女、戦いにおいては公平な目で判断すると私は見た。もし、お前のせいで敗北したと私が主張すれば、ただでは済まないと思うが?」
「むっ……」
再び作業を始める柊だったが、またもこちらに振り向いたかと思うと、溜め息を吐くのだった。
「ただ見ているだけならば手伝え。成功したら、少しは役に立ったと報告してやるから」
そう言って、葉っぱと髪の毛を差し出すのだった。猛煌は苛立ちを露わにしたが、ちゃんと受け取ってから、その巨体に似合わない細かい作業を始める。識もどこか懐かしさを感じつつ、彼女の髪に触れる奇妙な感覚を味わうのだった。
「よし、これだけあれば十分だろう」
柊は二人から髪で縛られた葉っぱを回収する。その数は百に近いだろう。
「それで……何のつもりなのか、そろそろ教えてもらえるのだろうな?」
猛煌の問いに、柊は微笑みを浮かべた。
「見ていろ。すぐに分かる」
そして、柊は髪で縛られた葉っぱを傾斜の方へ投げ捨てた。同時に二本の指を顔の前に立てながら、何やら唱えると、葉っぱに変化が起こる。
「あ、あれは……!」
猛煌もそれを見て驚く。何と百はあっただろう葉っぱたちが、すべて猛煌の姿となって、傾斜を滑り降り始めたのだ。下にいた人間たちは、すぐに気付いて悲鳴を上げながらも、応戦を始めたが混乱状態であることには間違いない。そんな状況を見下ろしながら柊は言う。
「古の巫女たちが使っていた、幻を見せる技だ。忘れられた技であるため、最近では御神楽衆の巫女でも使えないだろうな」
そして、彼女も傾斜を降り始めた。
「あの女……一人で行くつもりか?」
どうやら、混乱に乗じて楓を襲うつもりらしい。識はすぐに楓を追うつもりだったが、猛煌に止められてしまった。
「我々の使命はあの女の見張りだ。守れとは言われていない」
「しかし、放っておくわけにもいかないだろう」
その主張に、猛煌は反論しようと口を開きかけたが、混乱する人間たちの中に何かを見たらしく、凶悪な笑みを浮かべた。
「……そうだな。ここはお互い好きにやるとしよう」
すると、識よりも早く傾斜を降り始める。ただ、それは柊が向かった先とは逆だ。識は猛煌が何を見つけたのか、すぐに察する。彼が向かう先には境の姿があったのだ。
「なるほど。潰し合ってもらえると助かるかもしれないな」
識は一人呟き、柊の後を追うのだった。




