約束
蓮華沢村と連携を取り直すため、使いを出してから、それなりの時間が経過した。再び戦いが始まるまで、しばらくはかかるだろう。境は気を休めるため、仲間たちから少し離れ、川の水をすくって、口の中に含んだ。
「境」
後ろから声をかけられ、振り返ると楓の姿があった。
「お前、大丈夫なのか?」
「うん」
そうは言うが、足取りは悪く、体を支えていた樹木から離れると、彼女は前のめりに倒れそうになった。境は素早く駆け寄り、その体を受け止める。
「体が……かなり熱いみたいだぞ」
「手伝えなくて、ごめんね」
「とにかく、座れ。話は後だ」
境が座らせると、楓の呼吸が少し整ったようだった。だが、まだ表情に熱を持ち、意識も朦朧としているように見える。
「よくあることなのか?」
異常な状態だが、楓はどこか慣れているように見えた。だが、楓は首を横に振る。
「こんなに酷いのは初めて……。なんか、ずっと誰かに見られている感じがして」
「さっきも同じことを言っていたな」
小さく頷く楓は、境に体を預けるように身を寄せてくる。彼女と出会ってから、強く心を惹かれていた境にとっては、胸の中が騒がしくなるような瞬間だった。
「あのとき、私がもっと早く危険を伝えていたら……境につらい想いをさせなかったのに」
境が妖怪の里へ踏み込んだ直後、楓が危険を訴えたのだ、と葛城から聞いていた。だが、もちろん境に彼女を責める気はない。
「大丈夫だ。むしろ、無理やり連れてきて……すまなかった」
「ううん。私が勝手についてきたんだよ」
しばらく、二人の間に川の音だけが流れたが、楓が急に呟く。
「私さ、子どものとき、この力のせいでよく怖がられたんだよね……」
境は黙って続きを促すと、楓の方はその意を汲んだのか、ぽつぽつと喋り始めた。
「友達が欲しかったけど……みんな逃げ出しちゃうんだよ。髪もこんな色だし、あいつは妖怪だって言われてさ。本当に妖怪ならよかったのに、って何度も思ったよ。だけど、私はただの人間だから、妖怪に追い掛け回されることもあって……休まるときなんて、なかった」
「今もそうなのか?」
「いやいや、今は妖怪に襲われることはないよ。私が住んでいる家、境が見たらびっくりするくらい大きいんだからさ」
楓が少しだけ笑ったので、境は安心したが、彼女の表情はすぐにこわばってしまう。
「でも、そんな家に住まわせてもらっているのも、この力のおかげなんだよね。私なんて、この力で誰かの役に立てなかったら、すぐに捨てられるんだ。それが分かっているから、今みたいに何もできないと、少し怖い。居場所がなくなるんじゃないかって……怖いんだよ」
「力なんて関係あるかよ」
境はすぐに否定する。
「先が見えなくなっても、人の心が読めなくなっても……俺はお前が好きだ。居場所がなくなるなんて心配するなよ。俺が絶対傍にいてやる。……その、でけえ家には住ませてやれねえだろうけど」
「あはははっ」
楓は力なく笑った。
「ごめんね。今の言わせているみたいだったよね」
「別に言わされたなんて……」
「ううん、言わせた。今すごく不安で、誰かに必要だって言ってもらいたかったんだ」
どうも気恥ずかしく、仏頂面で川を眺める境だが、楓がさらに身を寄せてくる。
「何が不安なんだ?」
「この力があれば、妖怪に襲われても、どうにか逃げることができた。だけど、今は全部が見えにくくなっている……。今襲われたら、どうにもできない。逃げられないんだよ」
その答えに境は拗ねたように言った。
「じゃあ、俺は何のためにいるんだよ」
「え?」
「俺がお前を守る。妖怪なんて……一匹だって寄せ付けない」
「……そっか」
彼女の不安を取り除くため、自分がどうにかしなければならない。こんな風に思ったのは、初めてのことだった。だが、楓は呟くように言う。
「だけど、私が先を見なかったら……この戦いは負ける。それは境だって分かっているんだよね」
否定するにもできなかった。せめて、識を倒すまでは、楓の力がなくてはならない。だが、境はそれを良しとしなかった。
「嫌なら無理することはない。俺がどうにかする」
境は本気だった。確かに、先の見えない状況、識のほかに見え隠れする脅威に不安がないわけではない。だが、こんな姿の彼女に頼るくらいなら、自分の力で切り開くべきだ、と。
「もう一度言うぞ」
境は楓の腰に腕を回した。
「お前に近付く妖怪がいれば、俺が斬ってやる。嫌なら、いつだって逃がしてやるからな」
その言葉を楓は聞いていただろうか。気付くと彼女は寝息を立てているではないか。境は肩を落とす気持ちだったが、楓の安らかな顔を見て、笑みを零すのだった。




