再現
翳は襖の向こう側に呼び掛ける。
「おい、骸伝! ここを開けるが問題ないか?」
その名を聞き、識は面の奥で驚きの表情を浮かべた。かつて、識は骸響という妖怪を斬ったことがある。死体を操る嫌な妖怪だった。その兄の名が、確か骸伝と言ったはずだが……。
識は嫌な予感を抱きながら、翳に聞こえないよう、固唾を飲むと返事があった。
「ええ、準備はできています。どうぞお入りください」
その声も、骸響と同じだった。忘れもしない声に、識は手が震え、今にも刀を抜いてしまいそうだった。だが、翳が襖を開けて奥へ進んでしまう。識も恐る恐る中へ踏み込むが……そこは、想像よりもはるかに不気味な光景が広がっていた。
「これは……なんですか?」
識が思わず声を出す。なぜなら、壁には歪な文字がびっしりと書き込まれ、妙な匂いが立ち込めていたからだ。だが、注目すべきは部屋の中央だった。大量の泥が積まれ、小さな山が作られているのだが……。
「翳さま、始めてもよろしいですか?」
部屋の隅、妙に闇が濃い部分があると思われたが、巨大な蛞蝓のような妖怪が潜んでいた。
「うむ。貴様の術に期待しているぞ」
「げへへっ。では、始めます」
識の頭の中に「まさか」という言葉が繰り返される。この術を始めさせるべきではない。しかし、気付けば、部屋の前に翳の護衛が控えている。ここで、翳と骸伝を同時に斬ることは不可能と言えた。識が歯を食いしばる中、部屋中に散りばめられた文字が、白い光を放ち始める。
「常世の底の濁り泥、我が呼び声に応えて肉となれ。千切れし魂、泥の根に絡めて手繰り寄せ、今ひとたびの蕾を咲かせん。再び蠢動せよ、泥傀儡!」
骸伝の不気味な呪文に答えるように、文字の輝きが壁を這うように移動したかと思うと、部屋の中央にある泥の山に流れ込んでいく。その輝きによって気付いたが、泥の上には髪の毛が一房置かれているようだ。しばらくして、すべての光が泥に飲み込まれたのか、部屋は闇に包まれたが……識の嫌な想像が、ついに形となってしまった。
「馬鹿な……」
泥の山が凝縮すると、人の形を成す。そして、ゆっくりと泥から人肌へ変わったかと思うと……それが一糸纏わぬ女の姿となった。
――柊。
出そうになった言葉を、識は飲み込むが、代わりに強い吐き気に襲われ、思わず部屋を出てしまう。すぐに面を外して、少しでも澄んだ空気を吸いたがったが、妖怪たちの目があった。
「どうした、識」
心配したのか、翳が部屋の中から顔を出した。
「いえ……あまりに恐ろしい光景だったため、少し気分が」
「ふふっ、これまで何人を斬ってきたんだ? 今更あの程度で」
どう思ったのか、翳は識の背に軽く触れた。
「戻れそうか?」
「はい……」
これ以上、妖怪らしからぬ姿を見せるわけにはいかない。識は室内に戻るが、裸体を晒して眠る女を見て、再び強い吐き気に襲われるが、どうにか気持ちを抑え付けた。翳は女を見下ろした後、隅で下品な笑みを浮かべている骸伝に聞く。
「成功したようだな?」
「もちろんです。恐らく、巫女の術や万象神覚も再現できるはずです」
「ふむ……」
骸伝は満足したような表情を浮かべているが、翳の方は不安があるようだ。
「しかし、この女は姉さまに殺された、と聞く。私たちに刃を向けることは考えられるか?」
「いえ、これは女の魂を再現した泥人形に過ぎません。記憶はほとんど残されていないはずです」
だとしたら、この泥人形が目覚めたとき、識を見ても何一つ知らない顔をするのだろう。不安要素が一つ消えたが、翳の方は骸伝を睨み付ける。
「ほとんど? 不確かな要素があっては困るぞ」
この指摘に対しても、骸伝は余裕が滲み出た笑い声をあげた。
「ご安心を。これをご覧ください」
次に骸伝が見せたものは、藁で作られた人形だった。
「この女の髪の毛が仕込んである人形です。もし、女が言うことを聞かなければ、人形を壊してしまえば、この体も元の泥に戻るという仕組みです」
「お前が死んだ場合はどうなる?」
「既に術は完成されています。たとえ私が死んだとしても、この人形が破壊されるか、術の力が消えるまで、動き続けます」
「……なるほど。では、その人形はお前が持っていろ」
「承知しました」
笑ったのだろうか。骸伝の顔が歪む。
それに嫌悪を抱いたのか、翳は目を細めた。
「それから、一つ言っておくことがある。妙な薬を配って回るのは止せ」
「なんのことでしょうか?」
骸伝は惚けたようだ。が、翳は腰の脇差を抜くと、容赦なく骸伝のたるんだ腹を裂いた。汚らわしい悲鳴を上げる骸伝に、翳は忠告する。
「私に嘘を吐くなよ。貴様がこの屋敷で、一時的に力を得る薬を売っている、という話は私の耳に届いている。それを使ったら、代償として激しい痛みに襲われるそうだな。運が悪ければ胸が締め付けられるような苦しみにのたうち回った後、命を落とすとか」
「お、お助けを……!!」
怪しい妖術を使う骸伝だが、痛みに弱いらしく、畳を舐めるような姿でひれ伏す。それを前にした翳は嘲るように鼻を鳴らしてから言うのだった。
「殺すつもりはない。ただ、妙な薬を売るなと言っているだけだ。理解したな?」
「はい! もう二度と……!!」
骸伝が見せた命乞いの姿に、翳は納得したのか、今度は識の方を見た。だが、すぐに言葉を発するのではなく、一緒に部屋の外に出るよう促す。
「識、あの女を使って人間どもを追い払えるか?」
「猛煌殿ではなく、私ですか?」
翳は微笑みを浮かべながら頷いた。
「猛煌が休んでいる間に、お前があの女の使い道を見極めておけ。……と、言うのは建前だ」
識の肩に、翳の手が触れる。着物の上からでも、指先の冷たさが感じられた。
「私はお前が武功を立てるところを見たい。そうすれば、お前をすぐに私の直下に置けるだろう」
「あまりに突然なお話に思えますが……」
肩に置かれていた手が、ゆっくりと胸の方へ移る。
「今のお前は杠葉に従っているようだが……私のものにしたい。嫌か?」
「いえ、決してそのようなことは……」
答えると翳は識から離れた。
「では、任せたぞ。女の扱いで困ることがあれば、骸伝に聞け。もちろん、何かあれば私に直接聞いてもいいぞ」
そして、翳は立ち去ってしまう。識は彼女の背中を見送った後、部屋の中で横たわる女……柊を見て、強く拳を握るのだった。




