儀式
庭で許しを請うように膝を付く猛煌は、腹が裂けて、右腕も大きな負傷が見られた。識は境の仕業とすぐに察したが、翳は信じられないと言わんばかりに、猛煌を怒鳴りつける。
「お前ほどの男が、人間相手にこの様とはどういうことだ!」
「申し訳ございません。御神楽衆のやつら、なぜか我々の襲撃を事前に……」
「言い訳をするな! 貴様は玄天狐党の武力を象徴する男だぞ! それが情けなく逃げ帰り、言い訳を並べるなど……」
今にも泣き出してしまいそうな猛煌だったが、識は少しでも機嫌を取るために、助け舟を出すことにした。
「お待ちください、翳さま」
翳は識に振り返るが、先程とは違って、怒りに荒ぶる戦士の表情であった。それでも、識は臆することなく主張する。
「御神楽衆は、凪の神楽だけではなく、万象神覚という例の怪しい技を使ったのかもしれません。今後の戦局を有利に進めるためにも、猛煌殿の話を聞いた方がよろしいかと」
「……良いだろう。猛煌、なぜ貴様が逃げ帰ってきたのか話せ」
「翳さま、私は逃げ帰ったのではなく――」
「話せと言ったのだ!」
翳は帯に刺していた扇を投げつけ、それが猛煌の顔に当たる。彼は怒りに表情を歪めたが、その気持ちは翳でなく、助け舟を出したはずの識に向けられていた。だが、 猛煌はどうにか御神楽衆と一戦を交わした状況を説明し、先程とは違う意味で翳の表情を曇らせるのだった。
「信じられぬ話だ」
猛煌の夜襲を先回りした御神楽衆の手際に、疑問を抱く翳だったが、識は当然の結果だと説明する。
「それが万象神覚というものです。猛煌殿が撤退を余儀なくされたのも、仕方がないことかと」
「……そうか」
翳は怒りを収めるように息を吐くと、再び厳しい目付きで猛煌を見た。
「猛煌、立て」
「はい」
「貴様に厳しい言葉をかけた理由は……言わずとも分かるな」
「もちろんでございます。次こそ、必ずや期待に応えてみせます」
「うむ。その日に備え、今は体を休めろ」
猛煌は頭を下げてから、立ち去ろうとするが、翳が背を向けると同時に、殺意を込めた視線で識を見る。助けただろう、と識は小さく肩をすくめたが、猛煌は反応を見せず姿を消してしまうのだった。
「人間が猛煌を退けるとは……やはり信じられんな」
あれだけ怒声を浴びせていたが、翳はかなり猛煌に信用を置いているらしい。彼の痛ましい姿に、衝撃を受けているようだ。
「討者の男はかなりの実力者です。私も何度か打ち合いましたが、結局は仕留めきれませんでした」
「……なるほど。お前は猛煌すら打ちのめす敵を何度となく相手にしても、死なずに済んでいるのか」
余計なことを言った、と識は後悔するが、翳はその気になってしまったようだ。
「だとしたら、人間どもの戦いは、お前に旗振りを任せてみようか」
「翳さま、新参者の私にそのような役割を任せては、妖怪たちの結束力に支障が出ます」
「安心しろ。仄の屋敷から逃げ出したやつらは、お前に恩義を感じている。もとからここにいる連中も、私が認めた男だと言えば、認めるしかあるまい」
本当にそうだろうか、と先程の猛煌の態度を浮かべながら識は思うが、現実的に考えて、このままでは翳の里は、御神楽衆によって……いや、楓の万象神覚によって落とされるのも時間の問題だ。
そうなれば、やっと居場所を見つけた月蝕の三姉妹も姿をくらませてしまうかもしれない。あくまで、玄天狐党と御神楽衆の戦いは、拮抗した状態を続けなければならないのだ。
「私が旗振り役を任されるとしても……万象神覚を打ち破らなければ勝ち目はありません。それについては、何か用意を進める話だと聞いていますが?」
翳は得意げに笑みを浮かべる。
「安心しろ。姉さまに相談したところ、驚くべき方法を教えてくださった。そろそろ準備もできたころだろう」
準備とは、と問いかける前に、翳は「こっちだ」と識を誘導した。それは屋敷の隅にある一室だった。だが、中に入る前から異様な雰囲気を発している。襖に張られた夥しい数の札がそう感じさせているのかもしれないが、恐らくは何らかの儀式が行われているのだろう。
「これは?」
識が聞くと、翳は説明した。
「姉さまは万象神覚を敵にするならば、万象神覚を用いるべきだ、というお考えだった。まさか、こんな形で用意できるとは思わなかったから、私も驚いたよ」
「万象神覚を用意……ですか?」
まだ、識は理解できなかったが、翳は妖怪らしい笑顔を浮かべながら言った。
「そう。万象神覚を持つ巫女を……あの世から引っ張り出したのだ」




