茶会
識は日の出とともに目を覚まし、誰もいない井戸で顔を洗った。ふと息を吐き、今後の動きについて考えていると、近付く気配を感じて、面を手に取る。
「ああ、識。ここにいたか」
数名の妖怪を引き連れた翳だった。
「おはようございます、翳さま。何か御用でしょうか?」
「うむ。よかったら、一緒に茶を飲まないか。お前のことが知りたい」
「……私のこと、ですか」
何かの情報を掴めるだろうか。猛煌が留守のときであれば、都合がいいかもしれない、と識は承諾することにした。
「翳さまを楽しませるような話はないかもしれませんが」
「構わない。ついて来い」
茶室……というには少し広い部屋に通される。ただ、限られた空間に翳と二人きりであった。もちろん、刀は見張りとして外に立っている妖怪に預けているが、機会がないわけではない。思わず握り締めそうになる拳に注意を払いながら、識は腰を下ろした。
「人間の作法などは知らぬが、茶は好きだ。識、お前はどうだ?」
「ついこの前まで、流浪の身でした。このような茶を飲む機会は……」
「だとしたら、良く味わえ」
翳は自ら点てた茶を識の前に置く。
「ああ、すまない。決して振り向いたりしないから、肩の力を抜いて飲んでくれ」
そういって翳は背を向けた。今なら、後ろから首を絞めて……。いや、あえて無防備なところを晒し、誘っている恐れもある。識は面を外して、器を手にした。
「なぜ顔を隠しているか……聞いてもいいか?」
「以前、妖怪と争った際、呪いを受けて醜い姿になってしまいました。翳さまのような高貴な方の前では決して見せられないような顔です」
「私は容姿など気にはしない。が、お前自身が気になるのなら、それを尊重しよう」
妹の仄とは、かなり違う印象を受ける。そう思いながら、識は茶の香りを確かめるが、毒は入っていないようだった。むしろ、どこか懐かしい気持ちが巡る、不思議な感じがある。
「良い香りです。かなり高値のものですか?」
「分かるか?」
翳の声はどこか嬉しそうだ。
「分かる、というほどではありませんが……なぜか懐かしい気持ちになります」
正直に言うと、翳が小さく笑った。
「かつての主が好んで飲んでいた茶でな」
識は動揺が出ないよう、ゆっくりと茶をすすった。やはり、試されているのか。そんな疑問に明確な答えなく、翳はただ楽しそうに語った。
「当時は茶の味など分からなかったが、あの方が亡くなられてから、少し理解できるようになってきた。色々と試してみたが……やはり、これが一番だ」
翳の声はどこか温かさがあった。かつての主を懐かしむような、柔らかい温かさが。
「確かに、上品な味わいです。私もこれ以上の茶は知りません」
「ふふっ、それは良かった。振り返ってもいいか?」
「どうぞ」
識が面を付ける余裕を持たせるように、翳はゆっくりと振り返ったが、その表情はやはり穏やかなものだ。まるで、長い付き合いの友人を前にしたかのように。
「すまない。柄になく、はしゃいでしまったようだ」
「いえ、楽しんでいただけたのなら、私としても喜ばしい」
翳は小さく頷き、自分の茶を点て始めた。
「ここの妖怪は、武に自信があるものばかりでな。武に長けたものは好むが、茶の違いが分かる程度の知を持つ男とたまには話したくなる。久しぶりに武と知を兼ね備えた男と話せたことが嬉しいのだ」
「評価いただけることも嬉しくはありますが、買い被りです」
「謙遜も過ぎると嫌味になるぞ、識。現に猛煌はお前に対抗心を燃やしている。あいつは、突っかかってくる男の方が、まだやりやすいのだろう」
それは翳が妙に自分を褒めるからだ。そう思ったが、識は何も言わなかった。沈黙をどう解釈したのか、翳は微笑みを浮かべる。
「お前は他の妖怪と違うようだ。何を隠しているか、それは分からないが……ますますお前の武がどれほどのものか、興味が湧いたぞ」
「期待に応えられるような機会が訪れるといいのですが……」
「ああ、楽しみだよ」
そこから、翳は茶器について語った。識が適度に相槌を打って、良い間で質問を入れると、翳はよく喋った。よほど溜まるものがあったのだろう。このときは、妖怪の大群を率いる将ではなく、一人の女の顔を見せていた。
「翳さま」
しかし、見張りの一人が茶室に顔を見せると、鋭い目を取り戻す。
「茶の時間に騒ぐなと何度いったら分かる」
「も、申し訳ございません。しかし、猛煌殿がお帰りになられたので……」
「ほう、村落としは終わったか」
「それが……」
言い淀む見張りに、翳は何か不測の事態が起こったと察したようだ。
「識、お前も来い」
二人は茶室を後にするのだった。




