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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第二章 翳りゆく心
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配意

 識は一仕事を終え、井戸の傍で顔を洗っていた。が、背後から気配を感じ、すぐに面で顔を隠す。



「ここにいたか。探したぞ」



 振り返ると翳(かげり)と猛煌(もうこう)の姿があった。猛煌(もうこう)だけならまだしも、まさか翳が自ら出向いてくるとは。識も驚きを隠せずにいると、翳は付き合いの長い友人に見えるような笑顔で歩み寄ってきた。



「聞いたところによると、御神楽衆(おかぐらしゅう)に包囲されながらも、お前の差配が多くの同士を救ったそうじゃないか」


「いえ……。翳さまの導かれた玄天狐党(げんてんことう)の妖怪たちが武人として優れていただけのことです」


「ふん、謙遜するな。これだけの仕事、誰にでもできるものではない」



 黙って頭を下げる識だったが、後ろに控える猛煌(もうこう)の視線が気になった。翳は猛煌の態度に気付かないのか、気兼ねない様子で識の意見を聞こうとする。



「しかし、御神楽衆はそれなりの人数を集めたようだな。討者(うちもの)だけならまだしも、巫女もいるとしたら、私たちも油断はできない」


「巫女は二人ほどいました。凪の神楽は我々の自由を奪うゆえ、万全の準備が必要かと」



 翳は頷く。


「お前はどう見ている?」


 この里に、御神楽衆が攻めてくる前に、何をすべきか。そう聞いているようだ。



「ここより西に、もう一つ人間の村があったはずです」


「確かに、蓮華沢村(れんげざわむら)があるな」



 樒ヶ里村(しきみがさとむら)とは反対の方角に、やや規模の小さい村がある。それが蓮華沢村だ。



「人間たちは、ここに攻め入るため、村同士で協力すると考えます。挟撃を避けるためにも、先んじて蓮華沢村を落としておくべきではないでしょうか」


「なるほど……」



 翳は少し迷っているようだ。月蝕の三姉妹が率いる玄天狐党は、人間の村を間接的に支配することで、自分たちの隠れ蓑として使いつつ、餌場としても活用する、という方針だ。ゆくゆくは 蓮華沢村の支配も企んでいたのだろう。できれば、支配の前に大切な餌が育つ場所を失いたくはないのだ。



「分かった。攻めよう」



 しかし、翳の決断は早く、隣の猛煌を驚かせた。



「翳さま! 蓮華沢村の支配は時間をかけてゆっくり進めていたはずです。ここで村の人間を殺してしまったら、水の泡です!」


「分かっている。だが、この里に攻め込まれては、それこそ元も子もない」


「御神楽衆がなんだと言うのです。この猛煌が返り討ちにしてみせます!」



 必死に主張する猛煌だが、翳は笑い飛ばしてしまう。



「その勢いは評価する。が、私はこの地を姉さまから預かっているのだ。確実な手段を取りたいのだよ」

「私の武よりも、その男の知をお認めになる、と?」



 明らかに不服を顔に浮かべる猛煌だが、翳は子どものわがままを聞くように微笑みを浮かべていた。



「そうは言っていない。お前の武は十分承知し、信頼を置いているが、私はこの男のことを何も知らないのだ」



 信頼を置いている、と言われた猛煌は、それ以上、主張を重ねることは憚られた。ただ、黙って翳の指示を待つ。彼女は識に言った。



「どうだ、識。お前が蓮華沢村を攻めてみないか?」


 翳は期待の目を識に向ける。


「私は武人を好む。お前がどれほどのものか、見せてほしい」



 識は翳を見つめながら、猛煌の視線を気にかける。下手な答えを返せば、あの獅子のような殺意の牙が、こちらに向くだろう。ここで角を立たせてしまったら、後が動きにくくなる。識は頭を下げた。



「せっかく機会をいただいたところ、申し訳ございませんが、私には身に余るものです。玄天狐党の将来を左右する重大な戦は、そちらの猛煌殿のような豪傑の差配であるべきかと」



 猛煌の威圧がやや弱まったように思えた。単純な男だ、と識は面の裏で笑うが、翳はどう判断するだろうか。彼女は識と猛煌を交互に見た後、小さく息を吐いた。



「そうか。では、猛煌。お前に任せる」


「承知しました。すぐに準備を進めます」



 猛煌はよほど嬉しかったのか、鼻息荒く、その場を立ち去ってしまうのだった。翳はその背中を見送った後、識に向かって微笑みを浮かべる。



「器用な男だな。ますます気に入ったぞ」


「なんのことか……」



 識は思う。ここには、自分と翳の二人だけ。もしかしたら、斬れるのではないか、と。辺りの気配を探ると、少し離れたところに、恐らくは翳に忠誠を誓っているだろう妖怪が数体いる。確実に斬れる状況とは言えなかった。



「それより、万象神覚(ばんしょうしんかく)に対する策は見えてきたのでしょうか」


「ああ、それならば問題ない」



 翳は笑みを浮かべる。これまでは、武人らしい磊落(らいらく)な笑みを見せる彼女だったが、いま識の前で見せる表情は、妖怪のそれであった。

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