放棄
「見つけたぞ、狐野郎!」
境は戦場に白い狐の面を見つけ、一気に駆け寄る。面の男……識も脅威の接近と感じたのか、素早く刀を構えた。
「死ねぇ!」
討者に選ばれた人間だけが扱える神が宿るとされた刀、御神渡によって膂力が強化された一撃が、識の頭に落とされる。だが、識は素早く下がってやり過ごし、手に隠し持っていた石礫を投げつけてきた。
「姑息な手を使うじゃねえか!」
石礫は躱したものの、境は識の左手を警戒しなければならなかった。彼は左手に何か握るような素振りを見せている。これで再び踏み込んだら、再び石礫が飛んでくるかもしれない。だが……。
(やつは何も持っていない。ただの時間稼ぎだ!)
境はそう判断して再び踏み込むと、識は両手で刀を構えて、防御に備えた。二度、三度と続く斬撃に、識はただ凌ぐことに徹する。
(こいつ……何を考えている? いや、なぜ時間稼ぎが必要なんだ!?)
識の考えを知るため、境は距離を取って辺りを見回した。
「そうか。この屋敷を放棄するつもりか!」
識の相手に集中していたせいで気付かなかったが、妖怪たちは次々と逃げ出していた。どうやら、屋敷を捨てて、裏の山に向かっているらしい。
「逃がすかよ!」
境が手近な妖怪に斬りかかろうとするが、識に阻まれてしまう。
「お前がそこまで仲間想いとは知らなかったよ!」
そんな挑発に反応せず、識はただ境の注意を引き付けることに集中するようだった。決して自分から仕掛けることなく、ただ境の攻撃を捌く。
そんな相手に致命傷を与えることは、さすがの境も困難であり、気付けば屋敷の中に妖怪はほとんどいなかった。そして、識も自分の役目を果たしたと言わんばかりに、後退していく。
それを見た境が舌打ちを鳴らしてから御神渡を納めると、識は背を向けて立ち去るのだった。
「だが、それなりの数は減らした。やれることはやった……はずだ」
境は転がる妖怪たちの死体を見て呟く。御神楽衆の剣士たちも、実戦は初めてのものもいるはず。今はこれで良い、と境は自分に言い聞かせた。
「しかし、杠葉を討たなければ、村が元に戻るとは言えません」
背後から声をかけてきた葛城も同じような考えのようだ。
「山狩りでもしますか?」
「いや、妖怪相手に山の中で戦うのは危険すぎる。取り敢えず、生きている妖怪から聞き出すか、屋敷の中に手がかりがないか調べるしかない」
倒れている妖怪たちの中から、生きているものを起こして、杠葉の居所を聞き出す。境の拷問は熾烈を極めたが、それでも妖怪たちは口を割らなかった。いや、途中で事切れてしまったところを見ると、本当に何も知らないらしい。
「駄目だな、これは。どうにもできねえ」
境は拷問と屋敷の精査に疲れ、ただ様子を見守っていた楓の横に腰を下ろす。二人が並ぶ様を遠くから紬が見ているが、それには気付かないようだった。楓も気付かぬふりをして、溜め息を吐く境に聞く。
「何に困っているの?」
「妖怪たちが逃げ出した先を知りたいが、何の手がかりもなくてな。向こうから攻めてくるのを待つか、御神楽衆の調査方を待つか……」
御神楽衆には妖怪の居場所や戦力を調査する音調という班がいると聞いている。だが、その音調が村にやってくるまで、何日かかるだろうか。境としては、すぐにでも識を追いかけ、戦力を整えるまでに叩き潰したいのだろう。
「どっちにしても、今の俺にはどうすることもできない。……寝るか」
急に地べたの上に両手両足を広げるように体を投げ出す境。そんな彼を見て、楓は思う。
(さっきみたいに、聞けばいいのに)
お前の万象神覚は何か感じないのか、と。いや、先程もただ楓という人間の意見を聞いただけ、とは言っていたが……。この男なりに、気を使っているのだろうか。そんな境は寝転びながら呟く。
「こうなったら、あの相馬って野郎に期待するしかねえな」
相馬。その名前を聞いたとき、楓の中に誰かが触れるような感覚があった。
「……西の門」
「ん?」
「西の門に、文がある」
楓に言われた通り、境は西の門を調べると、柱に矢文が突き刺さっていた。即座に開き、内容を確かめる境だったが……。
「……読めねえ」
「だと思った」
一緒に文を探していた紬が改めて内容を確認するが、彼女はすぐに顔を上げ、力強く頷いた。
「相馬さんが残した文だよ」
そう言って、今度は山の方に指を向ける。
「あの山の向こうに妖怪の里があるって。場所も詳しく書かれている!」
境は血の匂いを嗅ぎつけた獣のように口の端を吊り上げるのだった。




