報告
識と杠葉は、上段の間で胡坐をかく、翳の前に座らされた。翳の肌は褐色に近く、よく研がれた刀のような気配がある。杠葉の緊張が伝わってきたが、それも無理はない。妙なことを口走ってしまったら、即座に首を斬られてしまいそうな、強い圧迫感が部屋を満たしているからだ。
「まさか、仄に何かあったわけではないな」
それは質問と言うよりは、探られているようだった。杠葉が頭を下げながら答える。
「実は、樒ヶ里村の人間によって、仄さまが身罷られ……」
「嘘を吐くな」
事実を伝えたつもりが、斬り捨てるように言葉は遮られてしまった。
「仄には多くの妖怪を与えていた。さらには、屋敷の場所が気取られぬよう、妖術もかけてあったはず。樒ヶ里村の人間どもが、いかに仄を討つと言うのだ」
決して、大きな声ではないが、その鋭い目を前にして、杠葉は言葉を詰まらせてしまう。これでは話が進まない、と識は自分に任せるよう、杠葉に視線を向ける。彼としては、識よりも先に翳に顔を覚えられたいと言う気持ちがあったようだが、それどころではないらしく、小さく頷くのだった。識は言う。
「しかし、事実でございます。樒ヶ里村の人間たちは、御神楽衆に協力を求め、仄さまの屋敷を落としたのです」
「御神楽衆が何だ。我ら玄天狐党は、やつら程度に押し切られることはない」
「私もそう思っていました。ただ……」
刀のような鈍い光を宿す翳の瞳を向けられても、識は動じることはなく、それゆえに彼女は耳を傾けようと考えたらしかった。
「やつらの中に万象神覚を使うものがいました」
部屋の中にいる、妖怪たちがざわめき立つ。あり得ない。戯言だ。そんな空気も混じっているようだったが、翳が手にした扇子で畳を軽く叩くと、誰もが口を閉ざした。
「万象神覚。人間のみが持ちうるという、神秘の技と聞いている。が、人間の妄言ではないのか?」
「私たちは実感しました。我々の策を知っていたかのように、何もかも見破られ、先回りされて隙を突かれる。そんなことが二度、三度と続いたのです」
「……貴様らが無能だっただけであろう。もしくは間諜が紛れ込んでいたのか」
識こそが、その間諜ではないか。そう言いたげな翳の目だが、やはり識は動じた様子は見せなかった。
「確かに、我々に至らぬところはありましたが、玄天狐党は翳さまの手によって鍛え抜かれた、万夫不当の猛者たちが籍を置いています。旗振りの不備や間諜の一人や二人で、屋敷を落とされることがあるでしょうか」
これには翳も否定を躊躇ったのか、一瞬だけ押し黙った。
「しかし……信じがたい。万象神覚が噂に聞くようなものならば、我らが使う妖術よりも恐ろしい技と言えるが」
あと一歩で、翳の理解を得られそうではあるが、その一歩が識にはなかった。だが、黙っていた杠葉が再び口を開く。
「翳さま。信じられないことは分かりますが……この杠葉が村を出てきたのです。万象神覚があるかどうかは置いておき、仄さまの支えを失ったと考えるのは自然ではないでしょうか」
その主張に、翳が小さく息を漏らしたようだった。
「確かに、お前はあの村で三味線を弾く以外に興味のない男だったな。ここまで来た、というだけで異常だと言える」
翳は扇子で自らの手の平を叩きながら、気持ちを整理しているようだったが、ついに疑いは捨てたのか、識と杠葉に改めて問う。
「で、私に何を望む?」
杠葉が再び対応を求めたので、識が答えた。
「恐らく、人間たちは援軍を呼び寄せ、仄さまの屋敷に残った妖怪たちを討つために動くと思われます。彼らを救うため、兵をお貸しいただけないでしょうか」
「良いだろう」
翳は即決する。
「しかし、我々も余裕がない。貸せる兵は最小限だ。それだけで、人間どもを退かせてみせろ」
「承知しました」
頭を下げる二人に頷くと、翳は猛煌に指示を出す。
「この者たちに兵を用意してやれ。他に要望があるのなら、できるだけ叶えてやるとよい」
立ち上がる翳に、猛煌が確認する。
「翳さまはどちらへ?」
「姉さまのところだ」
それを聞いた識は、不自然に視線が動かぬよう注意する。翳は言う。
「万象神覚が本当に存在するのなら、姉さまの知恵を借りた方がいいだろう。少しここを空けるが頼んだぞ」
猛煌が深々と頭を下げる。どうやら、彼は翳にとって右腕のような存在なのだろう。去って行く翳の背中を見て、識は拳を握り締める。このまま、翳の後を追えば、月蝕の三姉妹の長女、蝕の居場所が分かるのだ。それは識の目的が達成される瞬間と同じだ。
「識と言ったな」
しかし、猛煌が識の思考を引っ張るように、呼びかけてきた。そして、彼は鋭い視線を向け、識に言う。
「翳さまを煩わせるような行為は慎めよ」
「もちろんでございます」
猛煌が識に対して何を思うのか。それを警戒しつつ、識は再び頭を下げるのだった。




