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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第一章 仄かな想い
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理から抜け出すために

 楓は縁側に腰を下ろして、ぼんやりと空を見上げる。今日は新月なのか、いつもより夜に闇が深く、すぐ横に置かれた灯りだけが、周辺を照らしていた。振り返ると、襖が開いて、境が顔を出す。



「ここにいたか」


「朝はお疲れ様でした」



 笑顔で迎えると、境は頬を綻ばせて、灯りを挟んで隣に腰を下ろした。



「……楓のおかげで死なずに済んだ」


「私のおかげ? 境が私を助けてくれたと思ったけど?」



 識と二人きりになったとき、襲われていると思ったのであろう境は、必死になって駆け付けてくれた。楓からしてみると、命を救ってもらったという実感はなかったが、自分のために全力を尽くしてくれることが単純に嬉しかった。



「いや、お前のおかげだ。もし、あのとき……俺の万象神覚に干渉してくれなかったら、識に斬られていただろうからな。だから……」



 境がなぜか頬を赤く染めるので、楓は首を傾げると、彼はあらぬ方に視線を向けながら呟く。



「ありがとう」


「……あら」



 異様に照れる境を見て、こっちの方が照れくさくなりそうだった。



「そこまで言うなら……お役に立ててよかったです」



 しかし、境は拗ねたように、やや口を尖らせながらこちらを見る。



「なんか……変じゃないか?」


「そう?」



 訝しがるような視線に、少しだけ動揺する。今の彼は、変に同調してしまったら、すべてを晒すことになってしまうだろう。楓は少し気持ちを引き締めながら答える。



「少し疲れたから。そのせいかな」


「だとしても……」



 闇夜を睨み付ける境。何を言うのか、と不安になったが……。



「朝、俺を避けていただろ。けっこう落ち込んだぞ」


「……ああ」



 そう言えば、境が仄の首を持ってやってきたとき、楓は目を逸らした。彼の話したいと言う気持ちを分かっていたのに。



「だって、境が妖怪の首を持っていたら。血まみれだったし……私だって少し怖かったよ」



 笑顔で言い訳を口にしてみると、少し納得してくれたのか、安心の表情を見せてくれた。



「そうか。悪かったな」



 嬉しかったのだろうか。笑顔で何度か頷いたかと思うと、その無邪気な目をこちらに向けた。



「あのさ……。まだこの村にいるんだろ?」


「そうだね。この戦いが一段落つくまで……見守るつもりではあるよ。今のところはね」


「そのあとは都に?」



 楓はただ笑みを返し、明確には答えなかった。分からない。本当に分からないのだ。もし、この世界の理から抜けるきっかけがあるのなら……都に戻る必要はないだろう。そのきっかけは、境なのか。それとも……。



「もし、決まっていないなら」



 境が楓の手を取る。



「俺の家に来いよ」


「えええ?? それって、どういう意味?」


「別に攫って無理やりに夫婦になるつもりじゃねえよ。ただ、俺のことを……もっと知ってほしいだけなんだ」



 真っ直ぐな目で、楽しそうに言われると、頷いてしまいそうになる。だけど、その場だけ喜ばせるような態度を取ったら、後で痛い目に合うことは、もう分かっているつもりだ。



「それは面白そうですねー」



 曖昧に答えたつもりが、境は目を輝かせる。



「だろ? じゃあ、約束だ! 俺は絶対にこの戦いに勝つ。だから、お前も生き残って……一緒に俺の村に帰るんだ。そのあと、どうするかは……そのとき考えろよ」



 そのあと、どうするか。境は少なからず、それを描いているようだ。



「境! 境、どこー!!」



 襖の向こうから、紬の声があった。境はわずかに顔をしかめると楓の手を放して立ち上がる。



「いいな? 絶対だぞ」



 そう言い残して、境は襖の向こうへ消えて行った。紬は「どこ行っていたの?」と彼に問いかけるが、自分と一緒だったことに感付いているようだ。



「困ったもんだねー」


 一人呟きながら、境の嬉しそうな顔を思い出すと、つい笑ってしまう。


「なかなか可愛いもんだから、余計にねー」



 一人になって楓は未来を想像する。いや、未来を視ようとした。この後も、大きな悲しみと怒りに溢れている。それは誰のものだろう。



「識、貴方はどうするの……?」



 楓の問いかけに反応があった。奥の藪が動いたのだ。ただの風によるものか。それとも……。


 楓は縁側から離れると、凪の神楽を舞った。これから訪れる悲しみに備え、彼らの魂を鎮めるために。しかし、その悲しみは自分を中心に渦巻くものだ。今回だけではない。いつも、必ず。



 だから、この世界は嫌いだ。



 境なのか。識なのか。いつか自分がこの世界の理から抜け出す日は……やってくるのだろうか。

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