↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒花の巫女  作者: 葛西渚
第一章 仄かな想い
47/140

震える手

 識は屋敷に戻ると、裂けた腹の肉に触れる。血は止まりつつあるが、刀を存分に振るえるほど浅い傷ではない。



「あれが楓によって、力を増した万象神覚……ということか」



 境の技の鋭さを思い出す。まるで、決定的な一撃はすべて知っていたかのように躱し、刀を返してくる。それは強さに圧倒されるというよりも、不気味と言えた。



「こうしている場合ではない……。仄さまは討ち取られてはいないだろうな」



 識は足元に転がる妖怪の死体を見る。それは仄から借りた妖怪に違いなかった。どうやら、境が屋敷を離れる前から、妖怪たちは劣勢に置かれていたらしい。



「ここで逃げられても面倒だ」



 呟きながら、識は仄の部屋へ向かう。



「お、お前は……識!!」



 途中、葛城に鉢合わせてしまう。妖怪の相手しながら、現れた識に驚いている。



(葛城がここにいるのならば……)



 まだ余裕はあるだろうか。焦る自分に、思わず舌を打ちそうになる。



(そもそも……あの女に惑わされなければ!)



 楓が現れなければ……。いや、彼女の声が聞こえたとしても、冷静に戦況を見守っていれば、このような焦りは生まれなかったはずなのだ。柘榴だって失わなかったはず……。



「そんなことは……初めから分かっていた」



 己の浅はかさに呟きを漏らしながら、葛城の横を通り過ぎる。



「識、逃げるのか!!」



 今ならば勝てると思ったのだろう。葛城は識を呼び止める。もちろん、立ち止まることはなかったが、識は葛城を一瞥した。



(死ぬなよ。貴様はまだ使わせてもらうのだから)



 屋敷の奥へ進めば、さらに斬り合う人と妖怪の姿を見た。仄の部屋は近い。既に屋敷を抜け出している恐れは十分にあった。



(この感覚……楓が庭まで入ってきたか)



 明らかに凪の神楽の影響が強くなっている。先程までは、楓は門の外で舞っていたが、敷地の中に入ってきたのだろう。ますます妖怪たちは旗色が悪いと感じるはずだ。



「仄さま!」


 識は部屋に踏み込むなり叫んだ。


「おお、識!!」



 部屋の中に争いはない。仄はまだ恐れた様子なく、戻った識を笑顔で迎えた。識は冷静に仄の護衛を確認する。たったの二人。今ここで動いても……問題はないだろう。



「人間たちが部屋の前まで迫っています。裏口から出ましょう」


「なに!? 外に出た連中はどうしている!?」


「ほとんどは死にました。今このときも、誰かが人間に斬られているでしょう」


「馬鹿な。人間ごときに!」



 仄は信じられないらしい。識は心の中で笑う。



(どうやら、本当に何も分かっていないらしい)



 御神楽衆の恐ろしさも、人間の底力も。いや、戦いの厳しさも分かっていないのだ。識は声色を作って訴える。



「人間は我々が思っていた以上に数を揃えていたようです。それに、凪の神楽という技は想像以上に恐ろしく、仲間たちの力は削がれました。仄さまも感じませんか? 体の重たさを」



 指摘され、初めて意識したのだろうか。仄は拳を握っては開き、その感覚を確かめた。



「確かに、妙な感じがあるのう」


「ですから、ここは危険です。外へ!」



 識が警告すると同時に、部屋の中に人間たちがなだれ込んできた。



「あれが月蝕の三姉妹、仄か!!」


「首を斬れ!!」



 振り返りながら刀を振り、人間たちを退かせると、識は仄に駆け寄った。



「行きましょう」



 そして、腕を取って裏へ向かいながら、識は護衛の一人に言う。



「貴様はここで人間たちを食い止めてみせろ!」


「誰がお前の指示など……!!」


「仄さまをお守りするためだ! 行け!」



 護衛は識の指示など聞き入れるわけがなかったが、敵を目の当たりにした仄は冷静を失っているのか、顔色を変えて言った。



「私に逆らうか! 殿を務めてみせよ!」


「ぐぬ……」



 仄から直々に命じられては逆らえない。護衛は人間たちの進む道を塞ぐように立ちはだかってみせた。



「行くぞ」



 識はもう一人の護衛に声をかけ、仄の手を引きながら裏へ向かう。だが、さらなる追っ手が部屋の中へ。



「見つけたぞ、狐野郎!!」


 境であった。


(貴様の相手をしている場合ではない)



 凄まじい気迫を放つ境に背を向けて走り出すと、すぐ後ろの仄が言った。



「あれは本当に人間か?? お怒りになった翳(かげり)姉さまに負けぬくらい恐ろしかったわ」


「あれが御神楽衆です。十の妖怪も屠る恐ろしい敵と言えるでしょう」


「なるほど……。初めて見たが、あれがそうか」



 よほど恐ろしかったのか、仄の手は震えていた。震えながら、すがるように、識の手を強く握りしめるのだった。



「識、お前がいてくれて本当に助かったぞ。人間がここまで恐ろしいとは知らなかった」


「ええ、一方的に追い回され、命を狙われることは……恐ろしいことです」



 返事をしながら、識は心の中で呟く。



(私も知っていますよ、仄さま。少しでも足を止めれば殺されるかもしれない、という恐怖。このように震えるほど恐ろしいものだと、私はよく知っているのです)



 屋敷の外に出ると、仄が叫んだ。



「あっちだ、識! 山を越えれば、姉さまが助けてくださる!」


「山を越えれば、ですか?」


「そうだ。山の向こうには、翳姉さまが築いた妖怪の里がある。そこに逃げ込めば、人間どもに手は出させない! お前がいれば、山を一つ越えるくらい、問題なかろう!?」


「……はい、もちろんです。必ずお守りします、仄さま」



 仄の手を引きながら、識は考える。ここまで来ても、まだ油断ならない。なぜなら、あの境という男は必ず追いかけてくるはずだから。


 しかし、そこさえ乗り切れたのなら……。


 その瞬間を頭の中に描いた識は、思わず笑みを浮かべるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。