ここではないどこかへ
識は柘榴を斬った。自分でも驚くほど、躊躇いなく。
「識さま……どうして」
問われるが、答えはない。識の一撃は柘榴の肩口から入り、心臓も裂いていた。それでも、柘榴は涙を流しながら訴える。
「私は、貴方様の体の一部! すべてを捧げて仕えてきたつもりです! それがこの始末。なぜ! なぜ!?」
柘榴が左手で土を掴みながら、識の方へ前進しようと体を引っ張る。その力に耐えられなかったのか、皮一枚でつながっていた下半身が千切れてしまう。それを後ろに残しながらも、柘榴は残った半身だけで少しずつ識の方へ詰め寄るのだった。
「どうして……! そこまで、この女が大事ですか?? 会って間もない、人間の女が!!」
体のほとんどを失った柘榴の命は尽きかけているはず。だが、その訴えは、これまでいないほど激しかった。
「だって……私と貴方様が一つの体として過ごした日々は、この女のものに比べたら永遠に等しいものだったはず。それなのに、これだけ簡単に斬り捨てられるものか!?」
柘榴は吐血する。湧き水のような勢いで、黒い血を流しながらも、識を睨み付けた。
「昔の女に……似ているからか?」
黙って柘榴の様子を見ていた楓の視線が、こちらに向けられた気がした。返答を見定めるように。だが、識は黙って柘榴を見下ろす。
「そんなことで私を殺すなら……なぜ抱いたのですか? 貴方は私を――っ!?」
手を伸ばした柘榴の言葉が途切れた。識の刀が、彼女の頭を二つに引き裂いたのである。断末魔もなく、柘榴が力を失うと、残った二人を包むのは、朝の森に漂う静かな空気のみ。屋敷の中から漏れる、激しい戦の音は、どこか遠い国で行われていると錯覚するほどだった。
「殺しちゃったんだね……」
憐れむ目で柘榴を見下ろす楓に、識は何も言葉が出なかった。
「彼女、貴方を大事に思っていた。……貴方だって、彼女を大事に思っていたんじゃないの?」
「……よく、支えてくれた」
「じゃあ、どうして斬ったの?」
やはり、識は答えられない。楓を守りたかった。そんな簡単な言葉で、識の心を表せるだろうか。仮にそれを伝えたとしても、彼女は柊の代わりでしかないと言うに違いない。
「私は……私の万象神覚に従ったまでだ」
「そう」
出任せだ、と否定されると思っていたが、楓は短い言葉と共に、受け入れたようだった。
「識は……」
唐突に、楓が真っ直ぐ識を見た。どこか今までと違う彼女の瞳に、たじろぎそうになるが、同じように真っ直ぐ見返す。そうしなければ、彼女は今言わんとすることを、引っ込めてしまう気がしたのだ。それが功を奏したのか、彼女は心の内を明かすように言うのだった。
「私と一緒に、この世界の理を抜ける覚悟はある?」
楓の言葉は……いつか柊が口にしたものと同じだった。だが、柊はそれを目指さなかった、と聞いている。だとしたら、楓はどこへ向かおうとしているのか。困惑する識に、楓は重ねて言った。
「私は一緒に来てくれる人を求めている。今分かった。どこまでも、一緒に来てくれる人。世界の果てまで一緒に来てくれる人が、ここにいる気がして、都を飛び出したんだ」
ゆっくりと楓は手を持ち上げると、それを識に差し出した。
「一緒に行こう。今すぐ……何もかも捨てて」
この手を取ったら……何が起こると言うのだろうか。識は何一つ分からなかった。
だが、少なくとも気持ちはある。この手を取ってしまいたい、という気持ちが。
手を取れば、この女と何もかも一つになれるのだろうか。それは甘美な誘惑と言えるかもしれないが、識は躊躇いを見せずにはいられなかった。
楓の誘いを受けられない理由は、偏に己の復讐心を満たすためである。識の躊躇いは楓に伝わったのだろうか。彼女は目を細め、手を引いた。
「ごめんね、無理を言って」
楓は誤魔化すように微笑む。識の知る彼女は、いつも人を揶揄うように笑うが、このときは寂しさを誤魔化すように笑ったのだ。そんな彼女を識は独りにしたくはなかった。
「……いや、突然のことで驚いただけだ」
そう、もう少し状況が変われば、その覚悟を持てたかもしれない。例えば、月蝕の三姉妹を全員討った後なら。
「私には、やることがある」
識は楓が言わんとしていることを理解できたわけではないが、復讐が終われば、彼女にすべてを委ねるのも悪くはないのでは、という考えが浮かびつつあった。それを正直に言えば、彼女は受け入れてくれるだろうか。待ってくれるだろうか。
「だが、それが終われば……」
一緒に行こう。どこまでも。そう伝えようとした、そのときだった――。
「楓、離れろ!!」
その声に識は振り返ると、視界の中に迫る銀の輝きを見た。瞬時に屈むと、頭上で空を裂く気配が。すぐ横に突き刺さる刀。どうやら、識を狙って投げつけられたものらしい。
「きたか……」
識は呟き、刀を構える。そこに駆け付けるのは……境であった。
「それ以上、楓に近付いてみろ。ふざけた面と一緒に頭を叩き斬ってやる」
先程投げつけた刀は、どこかで拾ったものらしい。境は手にしていた御神渡を構えるのだった。




