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世界の向こう側にいるもの

 

「なんだよ、あいつ……」



 立ち去る相馬の背中を見ながら、境は不満をもらす。



「せっかく楓が茶を入れてやったんだぞ。一口ぐらい飲んで行けよ」



 そこが気に入らなかったのか、と楓は笑うが、境は真剣そのものだ。



「まぁまぁ、良いじゃない」


「良くない。俺ならお前に入れてもらった茶は全部飲むぞ」


「あははっ。……相馬さんは、たぶんねぇ」



 楓は相馬が立ち去った方を見ながら、呟くように言った。



「自分で自分の気持ちが分からないから、そういう姿を見せたくなかったんだと思う」



 それがどういう意味なのか、境には分からない。だが、境にしてみると、相馬が何を考えていようが、どうでも良い。ただ、温かい風に吹かれ、銀の髪をなびかせる楓に見惚れるのだった。



「そんなことよりさ、少し休もうよ。私も朝からずっとお手伝いで疲れちゃったよ」



 楓は斜面に腰を下ろし、いつかと同じように、その隣を手の平で二度叩いた。境は誘われるようにして、隣に腰を下ろす。



「別にお前は手伝いなんかしなくていい。屋敷の中で休んでいろよ」


「えええー。そうはいかないよ。紬ちゃんが頑張っているのに、同じ巫女の私が屋敷の中で横になっていたら、誰だって気に入らないよ」


「紬は働くのが好きなんだよ。放っておけ」


「ふーん。私は駄目だなぁ。のんびりしたい」



 楓が茶を口に含む。風に吹かれながら湯呑を両手で包み、ぼんやりとする楓を見て、境もずっとこのままでいられないか、と思った。だが、妖怪がいる限り、そんな日は現れない。



「怖い?」


 境の気持ちが見えたのか、楓が聞いてきた。


「……うん」



 素直に答えると、楓は「だよねー」と緩やかな相槌を打つ。そんな態度が、境をより素直にさせた。



「この前は、あと少しで識の野郎に斬られるところだった」



 楓は何も言わない。境を見ることすらなかった。



「でも、この戦いは……あいつを斬らないと終わらない。この戦いを生き残らなければ、(いもうと)明倫院(めいりいん)に入れられない。絶対に勝たねえといけねえんだ」


「お兄ちゃんは大変なんだ」



 そんな気の抜けるのような言葉に、境も笑ってみせるが、手の震えに気付いてしまう。識に斬られる瞬間が、思い出されてしまったのだ。



「大丈夫だよ」



 横から伸びた楓の手に、震えが包まれる。



「境はちゃんとやれる。私には分かるよ」


「……あいつに勝てるか?」



 楓が「勝てる」と言ってくれれば、境の震えは止まったかもしれない。だが、彼女は微笑むだけだ。



「どうすれば、あいつに勝てる?」


「今のままでも大丈夫だよ」


「大丈夫、だけじゃ駄目なんだよ。あいつを斬って、村を妖怪の支配から解放しなければならないんだ」


「そんなに心配?」


「ああ、心配だ。こんなに震えていたら、勝てるものも勝てない」



 楓の手に包まれても、境は震えたままだ。斬り合いで弱気になれば、次の瞬間には命を絶たれる。それを知っているだけに、境は何かを変えなければ、と焦りが積もるのだった。そんな彼を包む、楓の手に力がこもる。



「分かった。じゃあ、少しだけ手伝ってあげる」


「手伝うって?」


「境の万象神覚は少しずつ強くなっている。私が干渉すれば、もしかしたら成長を促せるかもしれない」


「そんなこと……できるのか?」


「さぁー? 私も初めてやることだから、分からない。でもねぇ」



 再び笑みを広げる楓だったが、その表情を見て、境はなぜか恐怖を感じる。識に斬られ、命を落としそうな瞬間よりも、強い恐怖心に襲われたのだ。



「私と境なら、できると思う。怖がらないで、私を信じてくれるなら……きっと、境は強くなれるよ」



 本当は、その手を振りほどきたいほど、楓に対する恐怖心があった。だとしても、境はこれを乗り越えなければならない。そう決意し、彼は頷いた。



「じゃあ、始めるよ」



 楓の瞳が開いた。彼女の瞳がより大きくなるような、妙な感覚があったのだ。同時に、境の意識が溶けていく。そして、溶けた意識は楓の瞳の中に吸い込まれて行くのだった。


 次の瞬間、境は見つめられていた。楓の瞳ではない。得体の知れない、赤い瞳だ。その瞳の持ち主は、境を見つめながら、何度か繰り返して瞬く。視界が黒く塗り潰された。



(これは……?)



 境は自分の体を失って、ただ目の前に広がる光景を見つめていた。いや、厳密に言えば、彼は目も失っている。ただ、そこに広がる光景の中にいた。



((いくさ)、なのか??)



 たくさんの瓦礫の中、人々の屍がそこら中にある。だが、誰もそれに目をくれず、奇妙な筒を持って走り回った。一人が筒を構えると、小さな火を吹き、直線状にいる男が血を吹き出して倒れる。間違いなく殺し合いだが、境が知るそれとは異なっていた。



 ――次に行くよ。



 どこからか楓の声。辺りが暗くなったかと思うと、今度は多くの人が悲鳴を上げていた。そこに何かが落下すると、強烈な光が広がる。人々は光に呑まれ、一瞬にして皮膚を焼かれ、骨すら溶けてしまった。あとは灰だけが残る。さすがの境も吐き気を覚えるが、体がないため、ただ嫌悪感に満たされた。



 ――まだ、先が見えるから、ちゃんとついてきてね。



 再び楓の声。知らない女が四方を囲まれ、複数の槍によって貫かれる。体は裂かれ、割られた肉片が木々に吊るされた。



 ――もう少しだから我慢して。



 再び巨大な物体がゆっくりと大地に降りた。その衝撃で人々の住まいは吹き飛び、海は荒れて何もかも吞み込んでしまう。巨大な石板から出てきた異形の者たち。彼らは容赦なく人々を殺していった。



 ――貴様たちに価値はない。



 だから、何もかもいらないと言うのか。境の問いは血の中に溶けてしまう。誰も助けられなかった。そこには、もう誰一人としていない。これが、人間の行く末なのだ、と境が悟ると、再び辺りは暗闇に包まれた。楓が言う。



「これはいつかくる未来。もしくは遠い過去の出来事で、再びたどる道なのかもしれないし、よく似ているだけで別の世界かもしれない。実際のところは、何も分からないけど……万象神覚なんてものがあるとしたら、この結末を避けるために、誰かが人に与えたものだって私は思う」



 だから、境は目覚めなければならない。


 人類をより良き姿に、より良き精神に至らせるため。


 その礎をお前たちが築くのだ。

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