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過去と未来

 腹を探られているのだろうか、と識は境の瞳の奥にあるものを読み取ろうとするが、彼は純粋に感じたことを口にしただけのようだった。安堵を半分に識は溜め息を吐く。



「しかし、この玄天狐党(げんてんことう)とかいう妖怪たちも憐れなものです」



 境は首を傾げる。



「この村を支配して、人を食おうとする妖怪だぞ? 何を憐れむ」


「それはあくまで人間の視点です。彼らだって、生きるためにやっていること」



 意味が伝わっていないのか。境は説明を求めるように識を見つめていた。



「例えば、狼が鹿を狙っていたとします。貴方は鹿がか弱いものだと思って、助けるかもしれない。それで、確かに鹿の命は助かる。しかし、狼だって飢え死にするかもしれないのです」


「でも、あいつらは人間以外を食ったって生きながらえるはずだ。鹿や狼と違う」


「……そうかもしれませんね」



 識は目を細める。



「かつて、玄天狐党は蒼月(そうげつ)という妖怪のもと、彼らなりの秩序があったと聞いています。無暗に人を食らうこともなく、しかし、妖怪として生きる道を探っていた」


「そんなこと……可能なのか?」


「蒼月は可能だと考えていたのでしょう。(いくさ)も終わって、葦原神國(あしはらのみくに)から混乱が消えつつある今の世で、妖怪たちがいかに生きていくか。蒼月は妖怪たちが影から人を支えるような存在になり得ると主張していたようです」


「あり得ない」



 言い切ってしまう境に、識はこれ以上話したところで意味はないと判断する。だが、境は熱を込めて言うのだった。



「過去のことは知らない。未来がどうなるかだって、知ったことはない。俺は今、目の前で妖怪に食われそうな人間を助けるだけだ。妖怪たちが生き方を変えて、人間と手を取り合うその日なんて、待っていられねえよ。それが御神楽衆だ」



 拳を握る境は、何を見ているのだろう。森の方を睨み付けているようだった。



「だから、玄天狐党の連中は斬る。そのためには、あの識って野郎だ。ふざけた面ごと叩き斬ってやる」



 これ以上は危険だ、と判断した識は、早々に立ち去ろうと思った。しかし、彼らを呼ぶ声がある。



「あ、いたいたー!」



 振り返らなくても分かる。楓の声だ。



「境も相馬さんも、そんなところで立ち話なんて、疲れちゃうよー」



 その手には土瓶と重なった湯呑が三つ。どうやら、識と境がここで話していると知っていたらしい。



「お帰り、境」


「おう」



 視線を交わす二人を見て、識は思わず目を細める。が、無意識に出てしまった表情を誤魔化すために、無理やり笑みを浮かべた。楓はそれに気付いたのか、手にしていた湯呑を押し付けてくる。



「せっかくだから、お茶でも飲んで行ったらどうです?」


「いえ、私は……」


「いいからいいからー」



 楓は識が手にする湯呑に茶を注いだ。どうやら、先程目が合ったとき、屋敷の中へ消えて行ったのは、これを持ってくるためだったのかもしれない。



「はい、これは境の分」


「入れすぎだ。こぼすなよ」


「ごめんねー。私、こういうの慣れてないんだよ。でも、帰ってきた境にお茶を入れてあげたくて、頑張ったんだよー?」



 識は二人の距離感が近しくなっている、と気付いた。もしかしたら、万象神覚を持つ者同士、深い共感を分かち合ったのかもしれない。



「どうしたの? 怖い顔しちゃって」



 楓に顔を覗き込まれ、思わず後退りしそうになる識。この女が傍にいては、自分の弱さを露呈する気がして、居心地が悪くなった。



(なのに、一言でも交わせたことに、どこか心が満ち足りている)



 その気持ちを無理やり苛立ちに変化させ、識は手にした湯呑を楓に返した。



「早く戻らなければ怪しまれます。お気持ちは嬉しいのですが……これは貴方が」


「えええー、せっかくお話できると思ったのに。でも、忙しいなら仕方がないかぁ」



 何とか相馬として笑顔を見せ、二人と別れる識だったが、どうしても耐えられず、一度だけ振り返ってしまった。二人は斜面に腰を下ろして、寄り添うように話している。


 楓の姿が、いつの日かの柊に重なり、込み上げてくる感情を抑えなければならなかった。何とか平静を取り戻すと、識は傍にある藪に声をかける。



「……柘榴(ざくろ)、屋敷で待っているよう、言ったはずだ」


「申し訳ありません。識さまに何かあったら、と」


「ここに私の正体を知る敵は一人としていない。何もありはしないよ」



 識は藪から離れ、杠葉の屋敷へ歩き出す。その背を見つめる柘榴は、かつて彼を見守っていたものとは、別の目をしていた。彼女は呟く。



「正体を知る敵はいない、だと? あの女がいるではないか……!」



 しかし、そんな柘榴の気持ちを識は知らない。知ろうともしなかったのだ。

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