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遁走

 意識を取り戻す柘榴(ざくろ)だが、体は縄で縛られていた。さらに、妖怪の動きを封じる札、捕縛霊紋(ほばくれいもん)まで貼られているらしい。これでは、もう識には会えないだろう。何とか生き延びたとしても、合わせる顔がない。



「私がやりましょうか?」



 声が聞こえた。巫女なのに、拳で戦う女だ。



「……いえ、私がやります。紬殿は休んでいてください」



 もう一つの声は、銀髪の巫女を守る剣士だろう。うっすらと目を開けると、刀を手にして前に立っていた。



「目覚めたか。すまないが、こちらも身の安全のためなんだ」



 そう言ってから、剣士は手にした刀を柘榴の腹に突き出した。



「がぁっ!!」



 体を襲う痛みは、声すらまともに出ない。畳の上をのたうち回り、どうにか刀を抜きたかったが、両手の自由は奪われ、それは叶わなかった。


 やはり、ここで死ぬのだ。だが、それで良いと思った。


 識の傍にいられぬのなら、生きている必要はない。そんな唯一の拠り所を失っても、傍にいてくれそうな男すら失ったのだから。



「……紬さん。言いにくいけど、逃げた方がいいよ」



 憎い銀髪の巫女の声が聞こえる。何とか瞳を動かし、巫女の方を見ると、神妙な面持ちで発言していた。



「境は勝てない。すぐに識がくる」


「嘘……」



 重たい空気の中、廊下を駆ける音が。



「皆さん、識にこの場所が見つかりました! 杠葉は!?」



 屋敷の主、葛城の声だ。どうやら……識がやってきた、というのは本当らしい。


 柘榴は思う。きたのか、あの人が。でも、何のために?


 人間たちのやり取りが続く。



「えっと、座敷牢の中です! 境はどうしたのですか!?」


「識を抑えてくれていますが……このままでは!」



 混乱する人間たちだったが、結論を出したらしい。



「とにかく、今は杠葉を連れて逃げるしかありません。手伝ってもらえますか!?」


「でも、境が……!」



 巫女は仲間の安否が気になったようだが、時間をおかず、決断したらしい。



「分かりました」



 しばらくすると、杠葉の声が聞こえてきた。



「ほら見たことか! 私に手を出せば、(ほのか)さまのお怒りを買うのだ。後悔しても遅いぞ。皆殺しだ!」



 慌ただしく、人間たちが逃げ支度を進めるが、途中で銀髪の巫女を守る剣士が柘榴を見た。



「この妖怪はどうします?」



 紬とか言う巫女に、柘榴の扱いを確認したらしい。しばらく考えた後、紬は言う。



「殺しましょう。連れて逃げる余裕はありませんし、識のもとに返したら、また敵となって襲ってくる。今やるしかありません」


「ですね」



 剣士が刀を抜いた。どうやら、首を跳ねるつもりのようだ。上級妖怪に分類される柘榴も、首を斬られては、その命を長らえることはできない。


 ここまでか、と再び目を閉じると、柘榴の体をぬるい風が撫でつける。あの方だ、と柘榴には分かった。



「柘榴から離れろ」



 その声に、強い緊張感が走る。この場にいる人間は、誰もが動けないようだった。いや、一人だけ高揚したものがいる。



「おお、識! 私を助けにきたか! よくやった、屋敷にいる人間を皆殺しにせよ!」



 だが、識は黙って部屋の中に入ると、柘榴の前に立った。軽く刀を振って、彼女を縛る縄を斬る。



「柘榴、立てるか?」


「……はい」



 ゆっくりと体を起こすと、小さな声で「よく無事だった」と言う。それだけで、柘榴の目には涙が溢れた。



「何をしている、識! 早く私を助け、こやつらを皆殺しにするのだ!!」



 識は動かない。もちろん、柘榴はその意味を理解している。ここで葛城たちを殺してしまえば、人間たちの抵抗勢力が一気に弱体化してしまう。玄天狐党に逆らうものがいなくなれば、識が名を上げる機会も失われてしまうのだ。


 しかし、確実に殺しておくべき存在は、そこにいる。



「識さま……。あの巫女を、殺してください」



 震える声で、柘榴は懇願する。



「あの女は……識さまの邪魔になります。いま、ここで、殺すべきです」



 強力な凪の神楽を舞い、万象神覚によって将来を先読みする。柘榴はその恐ろしさを十分に理解した。もし、まだ自分に情があるのなら……敵地に乗り込んで、助け出すほどの情があるなら、あの巫女を殺してほしい。柘榴はそう願ったが、識はわめく杠葉を担ぎ上げ、短く言うのだった。



「行くぞ」


「識さま!!」



 叫ぶ柘榴に背を向け、識は屋敷を出ていく。柘榴は振り返り、巫女を見るが……立っているだけで精一杯の自分では、これ以上何もできない。


 柘榴は体を引きずるようにして屋敷を後にするが、最後に畳の上に転がる無為の首を見るのだった。

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