柘榴の迷い
識は人間たちが立ち去った方向をいつまでも見ていた。その背後で、柘榴は膝をつく。
「識さま」
ゆっくりと振り返る識に、柘榴は言った。
「巫女どもを斬れず……申し訳ございませんでした」
「……良い」
短く答える識に、柘榴は視線を上げる。彼の表情を窺うつもりが、こちらを見ていなかった。
「斬ろうと思えば……斬れたはず」
その呟きは、自らを責めたものではない。識に対するものだ。識は巫女たちを斬る機会があったはず。なぜ、斬らなかったのか……。
「お前たち、何者だ?」
目を汚れた布で覆った妖怪が声をかけてきた。彼は、仄と杠葉が会う際、追っ手がないか、千里眼で確認する役割なのだろう。彼の問いに識が答える。
「杠葉殿の下で働く者です。たまたまこの辺りを見回っていたところ、騒ぎが聞こえたため駆け付けました」
「ほう。よくやった。名を何と言う?」
「識です。これは柘榴」
柘榴は頭を下げた後、人間に斬られた妖怪たちの安否を確認するため、識から離れた。その間も二人の会話は続く。
「ふむ。では、仄さまに貴様たちの名は伝えよう。今日のところは帰れ」
識は何も言わず、ただ柘榴の方を見る。柘榴は彼が何を求めているのか、十分に理解していた。
「一人は死んでいます。こちらは、まだ気絶しているようです」
杠葉の護衛である妖怪の安否を伝えると、識は頷いてから、千里眼の妖怪に向き直った。
「ここのところ人間たちの動きが妙です。よろしければ、仄さまに直接お会いして、事情をお伝えできないでしょうか?」
「……馬鹿を言うな」
千里眼は無知な識を嘲るように吐き捨てた。
「どこの馬の骨かも分からぬ貴様のような妖怪を、仄さまの前に連れて行くわけがないだろう。去れ!」
「なるほど。では――」
「がっ!?」
識の刀が千里眼の頭を両断する。自らに何が起こったのか。それすらも分からず、千里眼は頭蓋の中身をぶちまけて絶命したようだ。
「どうしますか?」
再び識の傍らに戻って、柘榴は問いかける。
「葛城の屋敷を攻め、杠葉を連れ戻す。その方が恩を売れるだろう。この千里眼に頭を下げるよりは早そうだ」
そう言って、識は千里眼の死骸を爪先で突く。
「しかし、葛城の屋敷が敵の拠点と分かった理由は? 下手をすれば、識さまが内通していたと知られてしまいます」
「こいつが視たことにすれば良い」
千里眼は敵の拠点を突き止めたものの、斬られたということにする。確かに、よほど疑い深い者がいない限りは、納得するだろう。識は気絶している妖怪、亜造を起こす。
「お、俺は……何があったんだ?」
「人間にやられたのだ。亜造とか言ったな。傷はどうだ?」
亜造は斬られた箇所を確認するが、血は止まっているらしい。
「大丈夫だ」
「そうか。だが、杠葉殿が攫われた」
亜造の顔が青く染まる。
「仄さまに何と言えば……!!」
「この話を仄さまに知らせる術はあるのか?」
「いや、仄さまに声を届ける術は誰も知らぬ……」
識は頷く。
「では、杠葉殿を助け出すために、動いてくれそうなものに声をかけてくれないか」
「分かった。いや、俺も手伝わせろ!」
亜造は勢いよく立ち上がるが、傷が痛んだのか顔を歪める。そんな彼に識は確認した。
「協力してくれるか?」
「ああ! 相棒を殺されたんだ。あの人間には、やり返さなければならん!」
「いいだろう。では頼む」
「分かった。が、あまり期待しないでくれ。仄さまの命令でもない限り、杠葉のために動くようなやつは、今のところ思い当たらない」
亜造はそう言い残してから、屋敷の方へ走って行った。
「葛城の屋敷を攻めるとなると、あの巫女を斬らなければなりませんね」
二人きりになって、柘榴は早々に明確にすべきことを口にした。だが、識はこちらを見ようともせず、はっきりしない答えを返す。
「確かに、あれは厄介だな」
「では、私にお任せください。確実に仕留めてみせます」
柘榴は識のためなら、いかなる障害も排除してきた。あの巫女だって……。しかし、識が柘榴を見る。狐の面の向こうで、彼がどんな表情をしているのか分からないが、二人の間に今までなかった妙な沈黙が流れる。
「いや、必要ない。私に任せろ」
その言葉に、柘榴は表情を歪めずにはいられなかった。
「しかし、敵の中には強力な討者もいます。識さまがそれを相手することになれば、私がやらねば……」
「ならば捕らえろ。殺すな」
「どうしてですか?」
「あれは万象神覚を持っている。捕らえれば何かに使えるかもしれない」
「そうでしょうか……。万象神覚など、人間どもの妄想では?」
「何が言いたい?」
「いえ」
それ以上は、柘榴は何も言わなかった。ただ、心の中に渦巻く疑念は、より深く、膨れつつある。これが、心を満たしきってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。柘榴は分からなかった。
ただ、あの巫女は危険だということは間違いない。柘榴は歩みを止めるが、識は気付くことなく、先を行ってしまった。
「識さまを惑わすなんて……」
識の背中を見つめながら、柘榴は呟く。やはり、あの女は自分が殺すべきではないか。識のためにも、自分がやるべきでは……。
しかし、それは識の望むところではない。彼女はただ唇を噛んで、蠢く心を抑え付けるしかなかった。




