迫局
向き合う二人は、自らの立ち位置を探るように、足を止めなかった。目を離すことなく、付け入る隙を探るように。先に口を開いたのは境だった。
「てめえのせいで、俺は明日からどうやって生きていくべか、それすらも分からなくなっちまった。目の前にいるどころか、お前が生きているって思うだけで腹が立ってくるぜ」
「それは、こちらの言葉だ。柊も、楓も……お前が奪った!」
「楓を奪ったのはお前だ。まぁ、それも今となっちゃあ、どうでもいい、楓は万象神覚の向こうで、待っていてくれるからな」
「……楓が待っている、だと?」
わずかに目を細める識だったが、境は鼻で笑う。
「そうだ。だから、てめえを斬る理由は一つだけ。ただ腹が立つからだ。それ以外は……何もねえよ」
ほぼ同時に、二人が足を止める。いつの間にか、その距離は縮まり、お互いの刃が届く間合いとなっていた。殺気が手で掴めてしまいそうな距離で、今度は識が嘲るように言う。
「貴様は身軽でいい。何も背負うものもなく、ただ暴れ回るだけ。この先も気楽に生きるのだろうな」
「妖怪のくせに、大義を背負ってみるみてえな顔してんじゃねえぞ。てめらは、つまるところ世の害なんだ。黙って死んでろよ」
「物事の奥底まで目が届かない貴様たちこそ、この世を汚しているのだ。あらゆる生命体の頂点に立ったつもりで、いつまでもふんぞり返っていられると思うな」
まるで、始まりの合図があったかのように、二人は同時に刀を構えた。最初の一撃を読ませないよう、小さく剣先を動かすのは境。それに対し、識はゆったりと構えて動かない。いつどこから斬りかかれても、返してみせる。そんな余裕が見えた。
境が動く。右足を前に構える識の外側へ踏み込みつつ、腰を狙った一閃。流星のような煌めきは識の腹部を斬り裂いたかと思われたが、黒い血飛沫は見られない。識は半歩分だけ距離を外して刃をやり過ごすと、境の腕を狙って刀を振り上げた。
「当たるか!」
境は腕を引きつつ、一歩退くことでやり過ごしてみせたが、わずかに剣先に触れてしまったらしい。二人の間にわずかな血が舞い散った。だが、境はすぐに反撃の刃を識の頭に向かって落としている。素早く後ろへ退がった識に、間髪入れず刃を突き出す境だったが、それは打ち払われてしまい、反撃で放たれた後ろ回し蹴りが顎をかすめた。
「くっ……」
視界が歪み、よろめく境にさらなる一撃が襲う。寸前で首を傾げていなければ、口から刃が侵入して、後頭部から抜けていただろう。だが、境にとっては勝機だった。後方に突き抜ける識の剣先とすれ違うように一歩踏み出すと、額を突き出してみせる。
「どうだっ! 面を取ったのが裏目に出たな!!」
至近距離からの頭突きに、識の額から黒い血が一筋流れた。が、識は表情すら変えることなく、すぐさま刀を返してくる。境は銀の閃光を潜り抜け、同じような軌道で斬撃を返したが、手応えはなかった。それどころか、眼前に剣先が突き出され、またも頭を傾けてやり過ごすのだが、肩を斬り裂かれてしまった。
「……なんだ?」
優勢だと思われた識の動きが止まる。五感を……いや、第六感に薄い膜が降ろされるような、妙な感覚があったのだ。この瞬間に境が動けば、形勢は逆転する。が、境の方も動かない。
「楓、やめろ!」
境が叫ぶと、二人は瞬時に万象神覚へ引き寄せられる。体が消失し、意識が曖昧になるが、それでも個を失うことなく、お互いがお互いを認識した。
「俺がこいつを斬る。だから邪魔しないでくれ!」
境の主張は識に向けられたものではない。
「楓が……いるのか?」
識は辺りを確認しようと動くつもりが、体のない世界では、それは叶わない。だとしたら、存在を感じることくらい、と自らの感覚を広げようとするが、彼は楓の姿を捉えられなかった。
だが、次の瞬間、二人はお互いのこれまでを知ってしまう。万象神覚を通じて、お互いの過去や現在の想い。ここに立つまでの経緯まで、すべてが共有されてしまうのだった。
「やめろ……」
境が叫んだ。
「こんな薄汚れたものを見せるんじゃねえ!!」
額を押さえながら識も訴えた。
「だから何だと言うのだ。私は、この男に同情することはない!」
楓が介入した理由は一つ。戦いをやめさせることだった。お互いの過去を知れば、想いを知れば、きっと分かり合えるはずだ。だが、そんな考えは二人の反発を生むだけ。楓の考えは、万象神覚の向こう側に辿り着いたからこそ至る、あまりに楽観的で短絡的なものだった。
一瞬だけ、二人は楓の悲しみを感じ、もとの世に戻る。再び目を合わせる二人は、より一層に強い嫌悪感を抱くのだった。
「妖怪のくせに……楓と一緒になれると思うなよ」
「楓に選ばれなかったお前が言ったところで、負け惜しみでしかないな」
「もう楓の声すら聞こえないお前が……!!」
境が地を蹴る。銀の光が弧を描き、識の喉元を過ぎ去るが、わずかに踏み込みが足りない。それでも、境は踏み出しつつ、次の一撃を放った。
「ぐっ……!!」
だが、その胸板が裂かれてしまったのは境の方だ。剣の威力に数歩ほど退がらなければならないほど、強烈な一撃を受けてしまった。そんな境に識は剣先を向ける。
「確かに、貴様の万象神覚は私を上回り、何度も追いつめた。しかし、凪の神楽の助けがないことは決定的な差と言える。このまま……地獄へ落としてやる。楓のところに行けると思うな!」
「てめえこそ……これ以上やれるのかよ!!」
決着は近い。それだけは、二人の共通の答えだった。




