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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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決意

 孔雀威の言葉を聞いても、境は戦いに赴く気持ちを作れなかった。そんな境が向かったのは、楓がよく座っていた縁側である。彼女が座っていた場所の横に腰を下ろし、万象神覚を通して呼びかける。



「俺は……戦えると思うか?」



 楓が何か言ったが、よく聞き取れなかった。声をかければ答えてくれる。向こうからも、何か声をかけてくれることもあるが、すべてがしっかりと聞こえるわけではない。会話できるくらい、言葉が交換できれば……この声が幻聴ではないか、と疑うこともないのに。



 ――戦いが終わったら一緒にいようね。


 唐突に、そんな声が聞こえた。


 ――約束したでしょう。



 そうだった。この世界の外側に一緒に行く、と約束したのだ。



「俺は今すぐでも良いんだ。連れて行ってくれよ……」



 楓の気配が感じた夜空に向かって手を伸ばす。だが、その手を握ってくれる気配はなかった。



 ――要ちゃんのためにも、この戦いは勝たないといけなんでしょ?



 その通りだ。この仕事を終わらせなければ、妹を明倫院に入れさせるほどの金が溜まらない。だから、これが最後の戦いのつもりで挑んだのに。



「でも、俺は……もうこんなの」



 頭を抱える境。これほど酷い戦いは、今までなかったわけではない。それなのに、今回ばかりは耐えられそうになかった。楓が自分から離れ、目の前で死んだ。それだけでも、決定的な痛みを負ったのに、紬のことまであれば……。



 ――大丈夫だよ。


 そっと、背後から何かに包まれる。この温かさは……たぶん、楓なのだ。


 ――私は待っているから。



 戦いが終われば、また会える。そういうことなんだ。



「そうだ、お前こそ……約束守れよ」


 もう一つ、約束があったはず。


 ――分かっているよ。



 耳元で笑うような、こそばゆさを感じたかと思うと、その体温は消えてしまった。大丈夫。楓は死んでしまったけれど、いなくなったわけじゃない。むしろ、傍にいてくれる。いや、戦いが終われば、一つになれる。



「だとしたら、やるしかねえよな」



 境は少し分かった気がした。今の自分は楓のことしか考えられない。出会ってしまった時点で、境の戦う理由は、生きる理由は、それだけになってしまったのだろう。



「惚れちまったんだ。仕方ねえよ」



 これには、境は自分を笑うしかなかった。でも、これしか考えられないなら、その道を突き進めばいいじゃないか。それが、世界の果てだったとしても。



「お前ら、妖怪たちを殺すぞ」



 拠点に集まる剣士たちに、境が声をかけると、彼らは素早く列を作った。その統制の取れた動きに、境は満足したように頷いてから、さらに声を上げる。



「いいか、妖怪は一人残さず殺さなければならない。その理由は分かっているな?」



 剣士たちが「はい」と声を返すと、境が血に飢えた獣のような笑みを見せた。



「あいつらは、人の命を何とも思っていない。葦原神國にあいつらがいる限り、俺たちは安心して眠れねえんだよ。あいつらに、いつ親兄弟が殺されるか分かったものじゃない。仲間たちだって……」



 境は拳を握り締める。



「愛する人だって、いつ殺されてもおかしくないんだ。そんなやつらを野放しにするわけにはいかねえ。葦原神國で生きる人間が、安心して暮らすためにも、俺たちがやるんだ。俺たちは、そのために刀を取ったんだ!」



 境は御神渡を抜いてみせた。



「もう誰も殺させない。そうだろう!」


 剣士たちが「おう」と肯定する。その声は、村中に響き渡るようだ。


「そのために、俺たちは何をする!?」



 境の問いかけ。剣士たちはすぐに答える。妖怪を殺す、と。



「だが、やつらも必死だ。俺たちの肉を食らうため、狂ったように立ち向かうだろう。それでも、俺たち御神楽衆は一瞬だろうとも臆することはない。なぜなら……」



 御神渡が夜空へ向かって突き出される。



「俺たちは一本の剣だ。あいつらを斬るため、限界まで研ぎ澄まされ、一切の無駄を省いた剣。そして、それは……人々を守るために作られた。親兄弟を、仲間を……愛する人を守るためにも、俺たちは、やつらの黒い血を求める。分かったな!」



 剣士たちの声が再び夜空へ轟き、境は力強く頷く。



「夜が明けると同時に、山に攻め入る。目標は山頂にある社(やしろ)だ。もちろん、先陣は俺が切る。逃げ場を奪うために包囲網を作る必要はない。ただ真っ直ぐ進んで、月蝕の三姉妹を討つ。他のやつを斬るのはそのあとだ」



 境の殺意は目に見えて膨らんで行った。それに呼応するかのように、剣士たちも殺意に溢れていく。



「よし、それまで十分に準備しておけよ!」



 剣士たちが各々の準備を始めるさまを眺めながら、境は考える。



(月蝕の三姉妹がどうなろうが知ったこっちゃねえ。あいつは……識だけは、俺が斬るんだ)



 それから、しばらくして境は紬のいる部屋に向かった。境は臆することなく、襖を開けたが、紬は布団をかぶって、顔を見せようとはしなかった。声をかけられる様子ではない。境は彼女に付き添う村の女に言った。



「あんた……紬の調子が戻ったら、こいつを渡してくれないか」


 境は紙切れを手渡す。これは、と首を傾げる女に、境は短く伝える。


「文(ふみ)だ」



 女は小さく頷き、境も安心して部屋を出た。剣士たちを鼓舞した後、境は一人で手紙を書いた。ほとんど覚えていない文字をどうにか思い出しながら。とても綺麗とは言えない文字だが、境はできるだけの想いを込めて綴ったつもりだ。そこには短く、こう書かれている。



『今まで、ありがとう』



 屋敷を出ると、空の色が青白く変化を見せ始めた。決戦まで、もう間もなくだ。目を閉じると、かすかに楓の気配を感じた。境は、きっと傍にいるであろう彼女に言う。



「楓……。今行くからな」



 そして、境を照らすように、山々の間から日の光が差し込むのだった。

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