決意
孔雀威の言葉を聞いても、境は戦いに赴く気持ちを作れなかった。そんな境が向かったのは、楓がよく座っていた縁側である。彼女が座っていた場所の横に腰を下ろし、万象神覚を通して呼びかける。
「俺は……戦えると思うか?」
楓が何か言ったが、よく聞き取れなかった。声をかければ答えてくれる。向こうからも、何か声をかけてくれることもあるが、すべてがしっかりと聞こえるわけではない。会話できるくらい、言葉が交換できれば……この声が幻聴ではないか、と疑うこともないのに。
――戦いが終わったら一緒にいようね。
唐突に、そんな声が聞こえた。
――約束したでしょう。
そうだった。この世界の外側に一緒に行く、と約束したのだ。
「俺は今すぐでも良いんだ。連れて行ってくれよ……」
楓の気配が感じた夜空に向かって手を伸ばす。だが、その手を握ってくれる気配はなかった。
――要ちゃんのためにも、この戦いは勝たないといけなんでしょ?
その通りだ。この仕事を終わらせなければ、妹を明倫院に入れさせるほどの金が溜まらない。だから、これが最後の戦いのつもりで挑んだのに。
「でも、俺は……もうこんなの」
頭を抱える境。これほど酷い戦いは、今までなかったわけではない。それなのに、今回ばかりは耐えられそうになかった。楓が自分から離れ、目の前で死んだ。それだけでも、決定的な痛みを負ったのに、紬のことまであれば……。
――大丈夫だよ。
そっと、背後から何かに包まれる。この温かさは……たぶん、楓なのだ。
――私は待っているから。
戦いが終われば、また会える。そういうことなんだ。
「そうだ、お前こそ……約束守れよ」
もう一つ、約束があったはず。
――分かっているよ。
耳元で笑うような、こそばゆさを感じたかと思うと、その体温は消えてしまった。大丈夫。楓は死んでしまったけれど、いなくなったわけじゃない。むしろ、傍にいてくれる。いや、戦いが終われば、一つになれる。
「だとしたら、やるしかねえよな」
境は少し分かった気がした。今の自分は楓のことしか考えられない。出会ってしまった時点で、境の戦う理由は、生きる理由は、それだけになってしまったのだろう。
「惚れちまったんだ。仕方ねえよ」
これには、境は自分を笑うしかなかった。でも、これしか考えられないなら、その道を突き進めばいいじゃないか。それが、世界の果てだったとしても。
「お前ら、妖怪たちを殺すぞ」
拠点に集まる剣士たちに、境が声をかけると、彼らは素早く列を作った。その統制の取れた動きに、境は満足したように頷いてから、さらに声を上げる。
「いいか、妖怪は一人残さず殺さなければならない。その理由は分かっているな?」
剣士たちが「はい」と声を返すと、境が血に飢えた獣のような笑みを見せた。
「あいつらは、人の命を何とも思っていない。葦原神國にあいつらがいる限り、俺たちは安心して眠れねえんだよ。あいつらに、いつ親兄弟が殺されるか分かったものじゃない。仲間たちだって……」
境は拳を握り締める。
「愛する人だって、いつ殺されてもおかしくないんだ。そんなやつらを野放しにするわけにはいかねえ。葦原神國で生きる人間が、安心して暮らすためにも、俺たちがやるんだ。俺たちは、そのために刀を取ったんだ!」
境は御神渡を抜いてみせた。
「もう誰も殺させない。そうだろう!」
剣士たちが「おう」と肯定する。その声は、村中に響き渡るようだ。
「そのために、俺たちは何をする!?」
境の問いかけ。剣士たちはすぐに答える。妖怪を殺す、と。
「だが、やつらも必死だ。俺たちの肉を食らうため、狂ったように立ち向かうだろう。それでも、俺たち御神楽衆は一瞬だろうとも臆することはない。なぜなら……」
御神渡が夜空へ向かって突き出される。
「俺たちは一本の剣だ。あいつらを斬るため、限界まで研ぎ澄まされ、一切の無駄を省いた剣。そして、それは……人々を守るために作られた。親兄弟を、仲間を……愛する人を守るためにも、俺たちは、やつらの黒い血を求める。分かったな!」
剣士たちの声が再び夜空へ轟き、境は力強く頷く。
「夜が明けると同時に、山に攻め入る。目標は山頂にある社だ。もちろん、先陣は俺が切る。逃げ場を奪うために包囲網を作る必要はない。ただ真っ直ぐ進んで、月蝕の三姉妹を討つ。他のやつを斬るのはそのあとだ」
境の殺意は目に見えて膨らんで行った。それに呼応するかのように、剣士たちも殺意に溢れていく。
「よし、それまで十分に準備しておけよ!」
剣士たちが各々の準備を始めるさまを眺めながら、境は考える。
(月蝕の三姉妹がどうなろうが知ったこっちゃねえ。あいつは……識だけは、俺が斬るんだ)
それから、しばらくして境は紬のいる部屋に向かった。境は臆することなく、襖を開けたが、紬は布団をかぶって、顔を見せようとはしなかった。声をかけられる様子ではない。境は彼女に付き添う村の女に言った。
「あんた……紬の調子が戻ったら、こいつを渡してくれないか」
境は紙切れを手渡す。これは、と首を傾げる女に、境は短く伝える。
「文だ」
女は小さく頷き、境も安心して部屋を出た。剣士たちを鼓舞した後、境は一人で手紙を書いた。ほとんど覚えていない文字をどうにか思い出しながら。とても綺麗とは言えない文字だが、境はできるだけの想いを込めて綴ったつもりだ。そこには短く、こう書かれている。
『今まで、ありがとう』
屋敷を出ると、空の色が青白く変化を見せ始めた。決戦まで、もう間もなくだ。目を閉じると、かすかに楓の気配を感じた。境は、きっと傍にいるであろう彼女に言う。
「楓……。今行くからな」
そして、境を照らすように、山々の間から日の光が差し込むのだった。




