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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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相承

 境は楓の墓をただ見つめていた。ここに彼女の魂がないことは知っている。それでも、傍にいるように感じられた。



 ――また戦いが始まるよ。



 また楓の声が聞こえる。



「そうか。準備しないとな」



 そう返事はするものの、戦うための気持ちが整わないままだ。それでも、孔雀威が目を覚まさない今、自分が剣士たちをまとめて、妖怪狩りを再開しなければならない。境は陰鬱な想いを引きずるようにして、紬のところへ向かった。



(生きているよな?)


 紬が休んでいる部屋は襖によって塞がれていた。村の女が付き添っているはずだが、気配は感じられない。


(また自分で手首を切るなんてことは……)



 相馬の正体が判明したあと、紬は自らの手首に、刃を突き刺した。あれは、ただの自傷ではない。死ぬための行為だった。紬があんなことをするなんて……。


 境にとって、彼女は傍で笑っていることが当たり前の存在だった。彼女の笑顔を見るたびに、気楽だ、のんびりしている、と呆れていたが、今はそれが懐かしく思えた。



「うっ……!!」



 しかし、紬の顔を思い浮かべると、境は吐き気に襲われた。識に子種を植え付けられた女。そんな思いが過ってしまうと、どうしても激しい嫌悪感に埋め尽くされてしまう。たぶん、彼女に触れることも、傍に立つことも……今は抵抗があった。



(どうして、こんなことに……!!)



 当たり前の存在。それがこんな形で失われるなんて、とても受け入れがたい。それでも、境は確認しなければならなかった。込み上げる吐き気を抑え付け、襖をゆっくりと引く。


 中央に敷かれた布団の膨らみは、わずかに上下していた。間違いなく、生きている。境は付き添いの女に目を向けるが、彼女は首を横に振るだけだった。



(あの状態で戦えるわけがない。戦わせるなんて……できない)



 襖を閉めてから、境は部屋から離れる。少しでも紬から離れなければ、おかしくなりそうだった。



 次に境が向かったのは、孔雀威が眠る部屋だった。孔雀威が目を覚ませば、彼女が戦えというのなら、境は何も考えず、立ち向かって行けるはずだ。


 しかし、彼女も布団に横になったまま、目を覚ますは様子ない。孔雀威に至っては、呼吸すら怪しく思えるほどだ。



「調子は?」



 付き添いの剣士に訊く。彼は医療の知識も豊富であるため、今回の仕事に参加したのだろう。だが、そんな彼も首を横に振る状況らしい。



「手は尽くしましたが……あとは孔雀威さんにどれだけ目を覚まそうとする意思があるのか、といったところです」


「そうか。じゃあ、安心だな」


「そうですね。この方は地獄に落ちたとしても、近くまで旅へ出た程度の調子で帰ってくるでしょうから」



 そのあと、剣士は気を使ってくれたのか、部屋を出た。境は孔雀威の寝顔を眺めながら、不安を覚える。先程は仲間の前だったから、平気なふりをしたが、このまま目を覚まさなかったら、という考えが過ってしまう。



「頼むよ、孔雀威さん……。俺は、どうしたらいいんだ?」



 いつもそれを決めてくれるのは孔雀威だ。そんな彼女が何も言ってくれなかったら……。思わず、頭を抱え込む境。戦わなければならない。それは分かっている。だが、心は乱れて、御神渡を握る力が出ないのだ。こうなったら、誰でもいい。自分の背中を押してくれ。目を閉じて強く願う境だったが……


 さっ、と布がこすれる音がした。ふと、視線を上げる境だったが、孔雀威と目が合った。



「く、孔雀威さん!?」



 驚きのあまり、後ろに倒れそうになるが、どうにか両手で体を支える。自分が見たものは、何かの間違いだったのでは。そう思って、もう一度孔雀威の顔を覗き込むが……やはり、彼女は目を開いている。いつもと変わらない感情のない目で、こちらを見ていたのだ。



「……紬が死んだか?」


 開口一番はそれだった。


「し、死んじゃいねえよ」



 まだ驚きが消えない境だったが、どうにか答えると、真っ直ぐな孔雀威の視線が天井の方へ向けられた。



「そうか……。お前が取り乱したところを見ると、てっきり死んだのかと。良かった」



 良かった。孔雀威はそう言うが、境は素直に返事ができなかった。それをどう感じたのだろうか。孔雀威の目が再び境に向けられる。その真っ直ぐな瞳に、境は思わず目を背けるが、孔雀威は逃げることは許さないと言わんばかりに、視線を向け続けた。



「境」



 名を呼ばれては、どんなに怖くても、彼女の目を見なければならなかった。空洞のような何もかも飲み込んでしまいそうな瞳が、境を捉える。



「戦いなさい。お前は……何のためにここにいる?」


「そ、それは」


「妖怪を殺すためだ」



 境の意見など聞くことなく、孔雀威は断定する。



「お前は妖怪を殺すために、ここにいる。いや、妖怪を殺すために生きているんだ。そう私が育てた。違うか?」


「その通り、です……」


「なら、何を躊躇う?」



 それは、誰に頬を打たれるよりも、身が引き締まるような一言だった。



「考えるな。目の前にいる妖怪を斬る。それだけで、お前は誰よりも価値のある存在だと認められるのだから」



 分かっている。これまでは、ずっとそう思っていた。それなのに、動けないのだ。孔雀威の言葉があれば、再び戦える。そう信じていただけに、境の中でさらなる戸惑いが生まれた。


 境の中に渦巻く葛藤。孔雀威はそれを見透かすように、あの目を向けていた。だが、いつまでも黙る境から視線を外し、天井を眺める彼女は言うのだった。



「そうか。お前も……成長したのだな、境」



 孔雀威の口元には笑みがあった。いつもの冷たい笑みと違う。どこか温かな笑みが。



「私の言葉が届かなくなるほど、お前は自分というものを得たのだろう。ならば、お前は自由だ。逃げるも、戦うも、自分で決められる。それは少し寂しいが……誇らしくもある」



 孔雀威の見せた優しい表情。それは一瞬だった。再び凍り付いた瞳が境を捉える。



「だからこそ、言おう。境、戦え。戦って、妖怪を斬るのだ」



 息を飲む境に、孔雀威は平坦に言う。



「迷うのなら、苦しいのなら……困難な道を行け。その中に、本当の答えがあるはずだ」


「……孔雀威さん」


「お前が何を大切にして、何のために生きるのか……。その中で、自分が見つけた答えに、従うと良いさ。だが、死ぬなよ。絶対に、な」



 そう言い残して、孔雀威は瞳を閉じた。小さな呼吸が聞こえるため、生きているようだが、目を覚ますとは思えない、深い眠りのようだった。

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