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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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遺言

 天涯孤独の身だと思われていた自分に兄弟が……。もちろん、言葉は失われ、思考も止まってしまった。この事実をどう受け止めるべきなのか、少しも分からない。


 そんな識を蝕は見ていなかった。ただ、過去の想い出に溺れるが如く、甘く溶けるような表情で語り続ける。



「あの方を殺す前に、必死にせがんだのだよ。駄々をこねる子供のように、腕にしがみついて、抱いてくれと何度も繰り返した。……ふふっ、お前は柘榴を抱いてやったか?」


「彼が蒼月の息子であることは……妖怪たちは知っているのですか?」



 話を逸らす識だったが、蝕は素直に答える。



「私の息子だということは周知だ。だが、蒼月さまの息子だとは話していない。だって、惨めじゃないか。月蝕の三姉妹の長姉(ちょうし)である私が、人間で言うところの妾みたいに扱われていたなんて」



 恥じらっているのだろうか。蝕は苦々しい笑みを浮かべるが、そのあとの話は、さらに明け透けなものだった。



「蒼月さまに抱かれたとき、私は満たされていた。あれは、子を残すための交配ではなく、私の愛されたいという気持ちから生まれた、欲情を満たすための行為だったのだろうな」



 蝕は立ち上がると、識に背を向け、しばらく動きを止めた。何を考えているのか、目を見張る識だったが、やがて彼女は動き出し、またも縁側に座るのだった。



「帳(とばり)が生まれてから……よく分かったよ。妖怪は他者を愛すると弱くなるのだ、と」



 蝕の声から感情が失われたようだったが、その表情は庭先に向けられ、実際のところは分からない。



「私自身、蒼月さまを愛していると自覚してしまってから、少しずつ弱くなった。あの方が死んでからは、帳が可愛くて仕方なくてね。同時に、さらに弱る自分が嫌になったものだ」



 彼女の語る感覚は識には理解できない。それは自分が半妖だからなのだろうか。



「妖怪とは……もともと強い個体だった。それゆえに強く、それゆえに気高く、高尚な存在で、孤独など恐れはしなかったのだ。もちろん、子を残すために交配は行うが、それは愛する気持ちが原動力ではない。ただの本能でしかなかった。それが、少しずつ変わっていった」



 蒼月もそうだったのだろうか。



「蒼月さまも、お前の母親に出会ってから、日に日に弱くなった。気付かなかったが……私も同じだ。他者を愛するとね、そればかり考えてしまって、本来の存在意義を忘れてしまうのだよ」



 妖怪の存在意義。識はそんなものは知らなかった。



「妖怪とはもともと原型がある。動物だったり、その辺りにある岩だったり、そういう原型が神秘を得て妖怪となるのだ。ちなみに、私たち月蝕の三姉妹は、もともと植物を原型に持つ。おそらく、仄はそれを知らない。翳すら、ぼんやりとしか覚えていなかっただろう。それくらい、原型に対する意識は薄れているのだ」



 蝕は淡々と語る。



「原型となる種を発展させるため、妖怪は動くものだったが、ここ数百年で他者を愛することを知ってしまい、その存在意義すら忘れつつある。 いや、ここ百年で生まれた妖怪たちは、そんなことすら知らないのかもしれない。蒼月さまを含め、玄天狐党の多くは狐が原型だ。だから、この事態を由々しく思った蒼月さまは狐の妖怪がどうあるべきか、常に考えていたのだが……あの方自身が他者を愛してしまった」



 だから、蒼月は死んだ。殺されるきっかけを作ってしまった。



「そして、私自身も弱くなっていった。あの方が人間の女を愛すれば愛するほど、私も一緒にもつれるように、あの人を愛して、弱くなる。信じられない話かもしれないが……」



 黙っている識が、疑っていると感じたのか、蝕はこんな話まで持ち出した。



「仄などが良い例だ。あいつは愛を貪ることにしか興味がない。私たちの妹でありながら、妖怪として力を振るうことすら知らない、弱い存在だったよ。逆に翳は妖怪そのものだった。愛を知らず、ただ力を求める妖怪そのものだったが……それが、なぜ負けたのだろうな」



 蝕は笑う。



「いや、簡単な話だ。あいつは私によく似た女だったからな。男の趣味も似ていたのだろう。蒼月さまに対して抱いていた、小さな憧れが、お前を見て膨らんでしまったのかもしれないな」



 つまり、自分が現れたから、翳は弱くなって命を落とした……。そう言いたいのだろうが。否定したい気持ちもあるが、翳の自分に対する態度は、確かに綻びと言えるような、一点の弱味だったのかもしれない。識自身が、それに付け込んだのだから。



「ついこの前も話したな。翳が死んだとき、私は妖怪の未来は潰えた、と。これからも、妖怪は誰かを愛する。きっと、お前のように混血が増えて、徐々に血が薄まるのだろう。だとしたら、妖怪だ人間だと言って騒ぐのも馬鹿馬鹿しい。消えゆくものを見守る。それだけで良いとは思わないか?」



 蝕は小さく溜め息を吐いた。



「久しぶりに長々と喋ったせいか……酷く疲れてしまった」



 そう言って笑う彼女の声には、確かに力がなかった。



「私の昔話は終わりだ」



 庭先に向けられた蝕の視線がこちらに向けられる。すべてを諦めたような微笑みを浮かべながら、彼女は識に問いかけるのだった。



「さて……朔月よ。お前はどうしたいのだ?」

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