対峙
帳に先導されるまま、蝕のいる朽ちた社の方へ向かう識だったが、それを見守る妖怪たちから期待を託されるような眼差しを浴びせられる。社の中へ踏み入れ、帳と二人きりの空間になったところで、そんな疑問が自然と口に出てしまった。
「彼らは、私に何を求めているのだろうか」
前を行く帳がこちらを一瞥すると、穏やかな微笑みを浮かべた。
「あれだけ戦局を見る目があるのに、識殿は鈍いところがありますね」
「君には分かるのか?」
「当然です」
帳は足を止め、先程と違って体ごと振り向いた。
「玄天狐党はこれまでにない危機を迎えています。此度の御神楽衆による襲撃が決定的と言えますが、あくまで結果がそれだけだった、ということ」
「以前より、崩壊の兆しがあった……と?」
帳は頷く。
「識殿が見た通り、蝕さまがずっとあの調子でしたから。昔は妖怪たちを率いる女傑だったと聞きますが、今はその面影もない。そんな彼女を見て、私たちは絶望しかけていたのです」
蝕の全盛期を帳は知らないらしい。識が知る蝕は恐ろしい妖怪だった。幼いころは、頻繁に彼女の厳しい視線に突かれ、常に避けなければならなかったし、父以上に妖怪たちに厳しくする姿も見ている。あの頃のことを考えれば、確かに今の蝕は腑抜けていると言えるだろう。帳は続ける。
「そんなときに、貴方が現れた。長い間、自分たちが身を委ねていた文化が衰退していく。さらに、御神楽衆によって絶望へ突き落とされようとしたとき、貴方が我々を導いてくれたのです」
そこまでは分かる。だが、この先に何を求められているのだろうか。そんな疑問も帳は理解しているのか、力強く頷いた。
「これから玄天狐党が生き残るためには、圧倒的な指導者が必要となる。どんな苦難も葛藤も背負って、行くべき先へ導いてくれるような、指導者。それが……貴方だ」
「……私はただの流れ者でしかない」
「それでも、既に我々は夢を見ている。貴方という希望を夢見ているのです」
何を言うべきか分からず、識は黙ってしまったが、帳は少し興奮しているようだった。
「蝕さまも玄天狐党の現状や我々の意思を理解しているはずです。だから、この窮地に勝機を見出す、貴方に玄天狐党の全権を与えようと考えているのではないでしょうか」
「外の彼らも同じことを考えていると?」
「はい」
帳は確信しているらしい。が、識は深い溜め息を吐いてしまう。仄の屋敷が御神楽衆に包囲されたとき、生き残った妖怪たちを助けたときから、妙な感覚はあった。父が築き上げた玄天狐党は敵でしかない。そう思っていたのに、彼らの命のために奮闘する自分が、どこか矛盾を抱えているように思えたのかもしれない。
(俺にとって玄天狐党は取り戻すべき居場所ではなかったのだが……)
しかし、帳は深々と頭を下げて言うのだった。
「識殿、お願いします。どうか、私たちを導いてください」
識の心の中に、得体の知れない感情が渦巻く。この若者に真っ直ぐな願いを向けられると、無碍にはできないように思えるのだ。柊や楓に抱いた感情とは違う。その正体は分からず、識はただ混乱するのだった。
「実際に、そんな話があるのか、まだ分からない。あまり期待しないでほしい」
話を切り上げようする態度を見せると、帳はそれ以上は何も言わず、再び朽ちた廊下を進んだ。
「蝕さま。識殿をお呼びしました」
蝕の待つ部屋に辿り着き、帳が声をかけるが返事はない。帳は中に入るように識を促すと、自身は離れたところに腰を下ろしてしまう。識は気を落ち着かせるため、もう一度深い息を吐いてから、襖に手をかけた。
「失礼します」
中に入って、蝕に近付き過ぎないところで、膝を折って低頭すると、縁側から見える庭の景色に視線を向けたまま、彼女は言った。
「顔を上げよ」
「はい」
識は頭を上げてから、改めて蝕の様子を見るが、やはり何事にも興味はないと言った調子で、こちらに振り返ろうともしない。
「御神楽衆の進撃を止めたそうだな」
「玄天狐党の兵たちの力をお借りして……どうにか、といったところです」
蝕は識の謙遜を鼻で笑うかのようだった。
「外の連中はお前に期待を寄せているようだ。その自覚はあるか?」
「答えに困ります。先程、帳殿と話しましたが、私は流浪の妖怪でしかなかった。彼らの期待に応えられる器ではありません」
蝕はしばらく沈黙したかと思うと、ゆっくりとした動作で縁側から立ち上がった。何が起こるのか、と目を見張るが、彼女は覚束ない足取りで、識の前に移動して美しい形で正座する。
その顔は酷くやつれ、長い黒髪も艶はない。過去、玄天狐党の二番手と言えた蝕の朽ちた欠片が、どうにか現世に留まっているようだった。
(ついに相対することになった、か……)
そう、ついにこの瞬間がやってきたのだ。覚悟を決めれば、今この瞬間にだって、この女の首を絞めることもできる。そんな殺意が漏れぬよう、密かに固唾を飲む識だったが、蝕は枯れ果てた草木のような気配のまま言うのだった。
「朔月、その面を取りなさい」
直後、蝕の顔は当時の女傑そのものに戻っていた。




