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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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結実

 識はどうにか山の中に逃げ込んだ。焦っていたため、長年腰に下げていた刀すら、村に置いてきてしまう。それでも、己の弱さを象徴するような面を忘れず手にしているところが情けなかった。



(しかし……思った以上の収穫はあった)



 まずは葛城を殺したことだ。御神楽衆の応援がやってきてから、村の男たちが戦いに加わることはなかったが、葛城の死は彼らに動揺を与えるはず。杠葉も死んで女たちが解放されたとなれば、彼らが御神楽衆に手を貸すことはないはずだ。そして、もう一つは……。



(あれでは、紬は戦えないだろう)



 蹲って嘔吐を繰り返す紬の姿。そして、彼女が犯された後だと知ったときの境の顔。思い出すだけで笑みが零れた。



(やつらは凪の神楽を完全に失った。これなら数の優位性も跳ね返せるはずだ)



 ここ最近の戦いは、万象神覚と凪の神楽に悩まされてばかりだった。しかし、今の御神楽衆に戦える巫女は一人もいない。数が減ってしまった玄天狐党の妖怪たちでも、十分に渡り合えるはずだ。



(あのとき、紬と接触したことが、これほど良いように転ぶとはな)



 あれは葛城や境に、翳の屋敷を落とすよう促す直前だっただろうか。何やら思い悩む紬に声をかけ、心の隙間に入り込む余地を作ったのだ。境を崩すためのきっかけになれば、と考えていたが……想定したよりも、大きい成果と言えた。



(もう少し……のはずだ、が)



 御神楽衆がやってきてからと言うものの、ずっと消耗するような戦いばかりだった。勝ちと言う勝ちはなく、逃げながらどうにか仄と翳を討ったが……識の体も歪が出始めたのだろうか。強い頭痛に襲われた。



(万象神覚に触れ続けた反動か)



 その痛みに、思わず座り込む識。この頭痛が続くのならば、どう足掻いても自分の死は近いものだろう。そんな弱気な考えに支配されてしまうほど、彼は弱っていた。自分でも気付かぬ間に、身も心もすり減っていたのだ。



(そうか。楓に無理をさせたから)



 あのとき、なぜ彼女が自分に助けを求めなかったのか。きっと、彼女もこのような頭痛に襲われていたのではないか。復讐などと言う下らない行為にこだわらなければ、彼女を死なせることはなかった。父が残した玄天狐党に同情を抱かなければ、彼女を死なせることはなかった。



「だからこそ、やり遂げなければならないのだ」


 そうだ。尊いものを失ったからこそ、犠牲にしたからこそ、この復讐は遂げなければならない。


「まずは境。そして……」



 識はどうにか立ち上がり、山を登り始めた。玄天狐党を使って、御神楽衆を引き付け……今度こそ境を斬る。そのためにも、まずは妖怪たちがいる社(やしろ)に辿り着かなければならない。しかし、識には大きな懸念があった。



(彼らはまだ……山に残っているのだろうか)



 御神楽衆の妖怪狩りは完全に止(や)んだ。凪の神楽による影響も消えたとなれば、自由に動ける。だとしたら、玄天狐党の妖怪たちは逃げ出せば良い。蝕が戦うことを放棄しているのだから。



「戻ったところで、何があると言うのだ」



 誰も識の帰りなど待っていない。彼らに、そんな義理はないのだから。ならば、このまま朽ちるように死ぬのもいいかもしれない。そしたら、楓に会えることだって……。


 識は諦めかけ、足を止めるが、背後から冷たい風に吹かれた。まるで、山を登れと鼓舞されたかのような、勢いのある風。



「楓、なのか?」



 やはり、返事はないが、識は彼女の後押しだろうと解釈し、山を登った。きっと、この先に何かがある……と。



「識殿!」



 もう少しで社に到着するというところで、すぐに自分の名を呼ぶ声があった。



「ご無事でしたか!」



 帳(とばり)であった。そういえば、彼は自分を支持してくれている。もしかしたら、彼だけは待っていてくれたのだろうか。



「何とか生き永らえた。偉そうなことを言ったが、散々だったよ」



 足をもつれさせた識を帳が支える。



「そんなことはありません。皆(みな)、貴方が戻るこのときを待っていたのですよ」


「皆……?」



 帳に肩を借りながら、どうにか社の場所まで歩くと……そこには識を迎える熱を持った視線があった。



「識だ!」


「俺たちの恩人だ!」


「玄天狐党を導いてくれ!!」



 何が起こっているのか、識はなかなか理解できなかったが、妖怪たちが自分を称えているのだ、と理解する。しかし、なぜ彼らの心を動かせたのか、まるで理解できず、識はただ呆然としていた。すると、横の帳が小さく笑った。



「何を驚いているのです。ずっと貴方は彼らを救い続けていた。これくらい、当たり前ではないですか」



 そう言われても、識はなかなか受け入れられなかった。玄天狐党は、月蝕の三姉妹が率いる妖怪集団。自分の正体を知れば牙をむくはず。そのため、欺き続けなければならないと考えていたからだ。



「よく考えてください」



 まだ納得しない識に、帳が続けた。



「翳殿の屋敷が落とされ、長を失った彼らをここまで導いたのは貴方です。つい先ほどだって、彼らを絶望に落とした凪の神楽を止めたのですよ? そんな貴方に敬意を抱かない妖怪は……ここにはいない」


「そう、なのか……」



 よくよく耳を傾けてみれば、誰もが感謝の気持ちを言葉にしていた。面で顔を隠して、紛れるしかなかったはずの玄天狐党だったが、その中心に自分がいると言うのか。



(無駄ではなかったのか)



 ただ失うだけの日々だった。楓を失ったときは、もう何も手にすることなく、自分も死ぬのだろう、と未来を諦めたほどだ。それが、報われた。そんな風に思えるのかもしれない。ただ……心の中にある孤独と言う穴は埋められそうになかった。



「大変なところ申し訳ないのですが」



 帳が躊躇いがちに言った。



「蝕さまが貴方をお待ちです。帰ってくるのなら、すぐに呼んでほしい、と」


「……分かった」



 何を話すつもりなのだろうか。識は恐怖を抱かずにはいられなかった。

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