断罪
境はぼんやりと天井を眺めていた。部屋の中には、一人だけだが、ときどき楓の笑い声が聞こえてくる。それが、ただの幻聴なのか。万象神覚を通じて楓が呼びかけているのか、分からなかった。
「境」
襖の向こうから、紬の声が聞こえた。昨晩の出来事を思い出す。彼女の気持ちを知って、少し驚いた。ずっと、一緒にいた……姉のように思っていたから。しかし、もちろん女として好意を抱く唯一の女だった。楓と出会わなければ、自分たちは……。
「相馬さんがきたよ」
紬の声は妙に平坦だった。怒っている、わけではない。落ち込んでいるのとも、少し違うようだった。
「たぶん、玄天狐党を追いつめるために、重要な話を教えてくれると思うから……出てこれるようなら出てきて」
紬の気配が遠ざかり、境はゆっくりと体を起こし、大きな息を吐く。
「……いつまでも、こうしていられねえよな」
呟くと、また楓の笑い声が聞こえた。
――境なら大丈夫だよ。
確かに聞こえた。語り掛けてくれたのだ。
「だよな。行くとするか」
広間の方へ行くと、葛城と紬、相馬が座っていた。
「境殿」
最初にこちらを見て笑みを浮かべたのは、葛城だった。紬は視線を落とし、こちらを見ようとしない。相馬と目を合わせると、彼は小さく頭を下げるだけだった。
「あんたが現れたってことは、向こうで大きな出来事があった、ってことだろうな。何があった?」
できるだけ、普段通りの口ぶりで腰を下ろすと、相馬が真っ直ぐとこちらを見つめてきた。敵意に近い、何かがある。
「あんたも大変だったみたいだな」
きっと、妖怪たちに囲まれる日々が続いて気が立っているのだろう。労いの言葉をかけると、敵意が少しだけ和らいだように感じられたが、彼は視線を落としたまま、黙り込んでしまった。
「相馬さん?」
葛城が声をかけると、相馬は顔を上げて、小さく頷いた。
「これまで、私たちは玄天狐党と戦いを続けてきましたが……それも終わりました」
「終わった?」
言い切る相馬に、境が意味を問う。
「はい。玄天狐党の妖怪たちは、自らの主である蝕を殺し、既に崩壊状態です」
「蝕を殺した、だと?」
相馬は頷く。
「既に蝕の戦意が失われていたためです。気力のない指導者に苛立ちを覚えた一部の妖怪が、彼女を殺してしまった。指導力のある妖怪はもういない。そう察した彼らは、思いのまま、散り散りになって逃亡を始めたのです」
「呆気ないものですね」
葛城が相槌を打つが、なぜかその口元には笑みが浮かんでいる。自由を勝ち取り、喜んでいるわけではない。どこか自嘲するような笑みだった。相馬は続ける。
「私も杠葉が死んでから、囚われていたのですが、混乱に乗じて逃げてこられました。これで……やっと休めます」
玄天狐党はもう樒ヶ里村に害をなすことはない。だとしたら、今回の依頼は済んだことになる。しかし、それでは終われない。境にとって決着とは、玄天狐党の壊滅ではないのだ。
「識のやつは……どうなった?」
葛城も興味があったのだろう。静かな瞳を相馬に向けるが、当の本人は大きな息を吐いた。
「自害したそうです」
「なに?」
「連れていた女を殺されて、錯乱したとか」
境は鼻で笑った。
「あの馬鹿は、その女を自分のものだと言っていたのか?」
「誰もがそう言っていました。私が見る限りでも、そういう仲だと思われましたが……」
まるで、下らない冗談でも聞いたように、声を上げて笑う境。口元に笑みを浮かべたまま、相馬に睨み付けた。
「楓はあの狐野郎の女なんかじゃない。馬鹿な野郎だぜ。あいつが勘違いして、連れ去らなければ……楓は死ぬことはなかったんだ!」
途中から声の中に怒りが膨れ上がり、境は拳を畳に叩きつけた。その音が染み渡るように、静寂が広がるが、境は何事もなかったかのように話を続ける。
「あの野郎が死んだとは思えない。まだ、何か狙っているはずだ。心当たりはないのか?」
これまで、識は生きるためなら、わずかな機会も逃さなかった。そして、目的を達成するため、強い信念を持っている。その目的が何か分からないが……簡単に死ぬことはないはずだ。しかし、相馬は落ち着いた声で答える。
「御神楽衆に追いつめられた玄天狐党は酷い状態でしたから。何が起こってもおかしくないですよ」
「いえ、識は生きているでしょう」
唐突に、黙っていた葛城が口を開いた。その表情はなぜか楽し気に綻んでいる。だが、相馬の方はあくまで否定的だ。
「どっちにしても、識はもう村に踏み込むこともありませんよ。すべて、終わったのです」
「ふふっ」
言い切る相馬だったが、葛城の方は何かが弾けてしまったかのように、笑い始めた。
「ははっ、あはははっ!! わはははっ!!」
異様だった。何もおかしいことはないはずなのに、腹を抱えて笑う葛城。ついに気が狂ってしまったのだろうか。そんな空気が漂ったが、葛城は急に笑みを消すと、相馬を見た。
「識はもう村に踏み込むことはない? ……それはないでしょう、相馬さん」
「……どういうこと、でしょうか?」
「だって、識は貴方じゃないか」
その言葉に、緊張感で千切れてしまいそうな沈黙が駆け抜けた。だが、相馬は落ち着いた態度を崩さず、葛城に確認する。
「葛城さん、何を言っているのですか?」
「……貴様が識だ、と言っているのだ」
落ち着いたと思われた葛城の表情が、一瞬で怒気に染まる。そして、彼は今まで見せたことのない姿で叫ぶのだった。
「私の妻を殺した識は、貴様だろう!!」




