↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
123/140

紬③

 紬は理解した。この男の不快感は子供を売るような下衆な心からくるのだ、と。男は続ける。



「もう少し待ってから売ることもできるけど、ちょっと金に困っているところだったから、本当に焦っていたんだよ。お前のことを思い出して本当によかった。あっ、御神楽衆で初めてを奪われてはいないだろうね?」



 男に確認され、紬は背筋が凍っていくようだった。これから自分は、物好きの男に売られる。そう思うだけで、心がゆっくりと潰されて行くようだ。確かに、御神楽衆の日々はつらかった。


 でも、これが誰かの役に立つと思うと、もしかしたら、別れた両親、血のつながらない弟や妹の命を助けられるかもしれないと思うと、何度だって立ち上がれたし、諦めずに頑張れた。それなのに、次の場所は違う。ただ、自分の体を貪られるだけ……。



「待て!」



 沈み込む紬だったが、背後から少年の声があった。振り返ると、境の姿が。彼がこんなに大きな声を出せるとは。そう驚いていると、こちらに向かって彼が駆け出す。


 ああ、最後にお別れを言いに来てくれたのか。どうにか笑顔を浮かべようとするが、逆に涙が出てきてしまった。



「なんだ、あの子供は?」



 眉根を寄せる男だったが、境は真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。どうしよう、泣き顔を見せてしまったら……と紬は顔を伏せた。しかし、そんな心配はどうでもいいことだった。



「う、うわぁ!?」



 商人の男が情けない声を出して倒れる。何があったのか、横を見てみると境が男を突き飛ばしたようだった。事態を飲み込めず、呆然とした表情で境を見上げる男だったが……。



「こいつは……俺の女だ!」


 境が男に向かって叫ぶ。


「俺が守るんだ。泣かせるんじゃねえぞ!!」



 そして、境は男に馬乗りになって、殴りかかるのだった。あの大人しかった男の子が、こんなにも変わるとは。いつも自分に助けられていた年下の男の子が……。


 紬は驚きのあとに、今まで感じたことのない嬉しさと安堵が押し寄せ、さらに涙が零れてしまうのだった。そんな紬に気付いた境は、驚きの表情を見せた後、男を見下ろして怒号を浴びせる。



「よくも紬を! こいつは! 俺のものなんだぞ!!」



 すぐに孔雀威たちが止めに入り、男は激昂したが、紬は本心を吐き出した。



「嫌です! 私、行きたくない……! 御神楽衆にいたいです!!」



 男は諦めなかったが、どうにか孔雀威が言いくるめ、その場は収まった。その後、しつこく現れるのでは、と思ったが、御神楽衆が裏で動いたらしく、男は商売を続けられなくなり、働いていた子供たちも適切な場所で生活できているらしい。孔雀威が言うには「もっと早く教えてくれれば、どうにでもできたのに」とのことだが、子供の紬には相談するという発想にすら至らなかったのだ。



 これが紬と境の出会いだ。この日から、境の性格が大きく変わり、体も男らしいものになった。多くの経験を共に重ねる経緯で、紬は自然と彼を慕う自分に気付く。あの頼りない少年に、自分が恋に落ちるなんて。どこかおかしかったが、自分でも驚くほど、それは強い感情になってしまった。



「そういえば、あのとき……ありがとうね」



 いつだったか、大きな仕事を終えたとき、紬は境に言った。



「あのときって、いつだ?」


「いや、だからさ……。私が御神楽衆を抜けそうな日、あったでしょ?」



 自分にとっては、昨日のように鮮明に覚えている想い出なのだが、境はまったく心当たりがないのか、眉を寄せて首を傾げる。



「そんな日、あったか?」


「あったよ! 境が助けてくれたの、覚えてないの!?」


「はぁ? 俺がお前を助けるなんて、当たり前のことだろ? いちいち覚えてねえよ」



 助けるなんて、当たり前。それが妙にくすぐったかった。



「そっか。でも……」



 紬は照れくささを誤魔化すように視線を落としながら言う。



「えっと、覚えていなくてもいいんだけどさ、あのとき、境は私の大切なものを……守ってくれたんだよ」


「大切なもの? なんだよ、それ」


「なんでもいいじゃん! でも、とにかく大切なもの!」


「……なんでもいいけどよ」



 本当にどうでもいいのだろう。境は話を終わらせようとしている。それには少し腹が立ったが、あの日のことや、それ以前の境の姿を思い出すと、どうしても許してしまう。



「でね、その大切なものは、いつか境にあげたいなぁー、って思っているんだけど、どうかな?」



 紬にとっては、とんでもなく大胆な告白なわけだったが、境はもちろん気付かない。当然のように返した。



「もらえるものなら、何でももらうぞ」


「……なんか、有難みのない感じ」


「そりゃあ、何をもらえるのか分からないんだから仕方ねえだろ!」



 本当に愛想のない男だ。生意気だし、言うことも聞かない。紬を雑に扱うなんて、たびたびのこと。


 だけど、誰よりも信じているし、誰よりも……。


 きっと、この先も一緒に歩いていくのだろう。そして、自分の大切なものを彼に捧げたとき、二人は家族になるはずだ。だから、そのときまで……。紬はそう思っていた。




 事を終え、呼吸も落ち着くと、紬は強い罪悪感に押し潰されてしまいそうだった。


「紬さん」


 相馬が甘い声で呼びかけ、太股に付着した体液を手拭いで取ってくれるが、触れられるだけで、心臓を掴まれるような後悔に襲われる。



「自分でやりますから……」



 手拭いを奪うように取ってから、体を綺麗にしようとするが、いつまでも不快感は消えない。



「あの、相馬さん……誰にも言わないでください」


「はい、分かっています……」



 相馬に背を向けて着物を直すが、彼の表情が気になって仕方なかった。彼も一時の寂しさを紛らわしたかったのか、それとも、本気だったのか、少しでも知りたかったからだ。


 でも、顔を見る勇気がない。彼がどんな表情だったとしても、自分は罪悪感と嫌悪感に襲われるだけだと分かっているからだ。



「先に出ていてください。私も後から行くので」


「そうします」



 思いのほか、相馬は呆気なく納屋を出て行ってしまった。やっぱり、ただ寂しさを紛らわすために使われたのだろう。すると、余計に嫌悪感が強まるが、彼を責めることはできない。自分だって、同じように彼を利用したのだから。



「もう、どうすれば……」



 手の平で瞼を覆い、浅はかな自分の行為を反省するが、情事を思い出してしまい、胸が締め付けられた。



「境……」



 今の自分は、好きな男の名を呼ぶことも許されない。そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ああ、紬が……やっぱり俺は識が一番嫌いですねぇ… 境があまりにも不憫すぎます。なぎこさん節、恐るべし!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。