紬③
紬は理解した。この男の不快感は子供を売るような下衆な心からくるのだ、と。男は続ける。
「もう少し待ってから売ることもできるけど、ちょっと金に困っているところだったから、本当に焦っていたんだよ。お前のことを思い出して本当によかった。あっ、御神楽衆で初めてを奪われてはいないだろうね?」
男に確認され、紬は背筋が凍っていくようだった。これから自分は、物好きの男に売られる。そう思うだけで、心がゆっくりと潰されて行くようだ。確かに、御神楽衆の日々はつらかった。
でも、これが誰かの役に立つと思うと、もしかしたら、別れた両親、血のつながらない弟や妹の命を助けられるかもしれないと思うと、何度だって立ち上がれたし、諦めずに頑張れた。それなのに、次の場所は違う。ただ、自分の体を貪られるだけ……。
「待て!」
沈み込む紬だったが、背後から少年の声があった。振り返ると、境の姿が。彼がこんなに大きな声を出せるとは。そう驚いていると、こちらに向かって彼が駆け出す。
ああ、最後にお別れを言いに来てくれたのか。どうにか笑顔を浮かべようとするが、逆に涙が出てきてしまった。
「なんだ、あの子供は?」
眉根を寄せる男だったが、境は真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。どうしよう、泣き顔を見せてしまったら……と紬は顔を伏せた。しかし、そんな心配はどうでもいいことだった。
「う、うわぁ!?」
商人の男が情けない声を出して倒れる。何があったのか、横を見てみると境が男を突き飛ばしたようだった。事態を飲み込めず、呆然とした表情で境を見上げる男だったが……。
「こいつは……俺の女だ!」
境が男に向かって叫ぶ。
「俺が守るんだ。泣かせるんじゃねえぞ!!」
そして、境は男に馬乗りになって、殴りかかるのだった。あの大人しかった男の子が、こんなにも変わるとは。いつも自分に助けられていた年下の男の子が……。
紬は驚きのあとに、今まで感じたことのない嬉しさと安堵が押し寄せ、さらに涙が零れてしまうのだった。そんな紬に気付いた境は、驚きの表情を見せた後、男を見下ろして怒号を浴びせる。
「よくも紬を! こいつは! 俺のものなんだぞ!!」
すぐに孔雀威たちが止めに入り、男は激昂したが、紬は本心を吐き出した。
「嫌です! 私、行きたくない……! 御神楽衆にいたいです!!」
男は諦めなかったが、どうにか孔雀威が言いくるめ、その場は収まった。その後、しつこく現れるのでは、と思ったが、御神楽衆が裏で動いたらしく、男は商売を続けられなくなり、働いていた子供たちも適切な場所で生活できているらしい。孔雀威が言うには「もっと早く教えてくれれば、どうにでもできたのに」とのことだが、子供の紬には相談するという発想にすら至らなかったのだ。
これが紬と境の出会いだ。この日から、境の性格が大きく変わり、体も男らしいものになった。多くの経験を共に重ねる経緯で、紬は自然と彼を慕う自分に気付く。あの頼りない少年に、自分が恋に落ちるなんて。どこかおかしかったが、自分でも驚くほど、それは強い感情になってしまった。
「そういえば、あのとき……ありがとうね」
いつだったか、大きな仕事を終えたとき、紬は境に言った。
「あのときって、いつだ?」
「いや、だからさ……。私が御神楽衆を抜けそうな日、あったでしょ?」
自分にとっては、昨日のように鮮明に覚えている想い出なのだが、境はまったく心当たりがないのか、眉を寄せて首を傾げる。
「そんな日、あったか?」
「あったよ! 境が助けてくれたの、覚えてないの!?」
「はぁ? 俺がお前を助けるなんて、当たり前のことだろ? いちいち覚えてねえよ」
助けるなんて、当たり前。それが妙にくすぐったかった。
「そっか。でも……」
紬は照れくささを誤魔化すように視線を落としながら言う。
「えっと、覚えていなくてもいいんだけどさ、あのとき、境は私の大切なものを……守ってくれたんだよ」
「大切なもの? なんだよ、それ」
「なんでもいいじゃん! でも、とにかく大切なもの!」
「……なんでもいいけどよ」
本当にどうでもいいのだろう。境は話を終わらせようとしている。それには少し腹が立ったが、あの日のことや、それ以前の境の姿を思い出すと、どうしても許してしまう。
「でね、その大切なものは、いつか境にあげたいなぁー、って思っているんだけど、どうかな?」
紬にとっては、とんでもなく大胆な告白なわけだったが、境はもちろん気付かない。当然のように返した。
「もらえるものなら、何でももらうぞ」
「……なんか、有難みのない感じ」
「そりゃあ、何をもらえるのか分からないんだから仕方ねえだろ!」
本当に愛想のない男だ。生意気だし、言うことも聞かない。紬を雑に扱うなんて、たびたびのこと。
だけど、誰よりも信じているし、誰よりも……。
きっと、この先も一緒に歩いていくのだろう。そして、自分の大切なものを彼に捧げたとき、二人は家族になるはずだ。だから、そのときまで……。紬はそう思っていた。
事を終え、呼吸も落ち着くと、紬は強い罪悪感に押し潰されてしまいそうだった。
「紬さん」
相馬が甘い声で呼びかけ、太股に付着した体液を手拭いで取ってくれるが、触れられるだけで、心臓を掴まれるような後悔に襲われる。
「自分でやりますから……」
手拭いを奪うように取ってから、体を綺麗にしようとするが、いつまでも不快感は消えない。
「あの、相馬さん……誰にも言わないでください」
「はい、分かっています……」
相馬に背を向けて着物を直すが、彼の表情が気になって仕方なかった。彼も一時の寂しさを紛らわしたかったのか、それとも、本気だったのか、少しでも知りたかったからだ。
でも、顔を見る勇気がない。彼がどんな表情だったとしても、自分は罪悪感と嫌悪感に襲われるだけだと分かっているからだ。
「先に出ていてください。私も後から行くので」
「そうします」
思いのほか、相馬は呆気なく納屋を出て行ってしまった。やっぱり、ただ寂しさを紛らわすために使われたのだろう。すると、余計に嫌悪感が強まるが、彼を責めることはできない。自分だって、同じように彼を利用したのだから。
「もう、どうすれば……」
手の平で瞼を覆い、浅はかな自分の行為を反省するが、情事を思い出してしまい、胸が締め付けられた。
「境……」
今の自分は、好きな男の名を呼ぶことも許されない。そんな気がした。




