紬②
「境は弱くないでしょう? ここにきてから、鍛えられているじゃない」
そう言っても、境は首を横に振った。
「俺は……何度も殺されかけた。妹を守るために、必死に戦おうとしたけど、いつもねじ伏せられた。どんなに頑張っても、俺が弱いから……どうにもできない。このまま何もせず、死ぬしかないんだ……」
紬は何となく彼の言いたいことを理解した。きっと、奪われるばかりの日々を過ごしていたのだろう。ただ、生きているだけなのに、傷付けられ、迷惑をかけまいと逃げていても、踏み躙られる。
それは、己が弱いばかりに陥る、普遍的な事実なのだと、彼は解釈しているのだ。紬は彼の傍に座ると、その体温を分け与えるように寄り添った。
「そんなことないよ。あのね、人は変われるんだって」
それは紬が唯一覚えている、親の言葉だった。
「変わるつもりで頑張れば、変われるんだよ。だから、境も弱い自分を変えられるって私は思うな」
境は地面を睨み付け、またも黙り込んでしまうようだったので、紬は言葉を加えた。
「実際、私も変われたんだよ。昔は怒られてばかりで、何もできなかったけど、変わろうと思ったら変われた。今では男の子たちより腕っぷしが強いって、境も知っているでしょ?」
自慢するように力こぶを作って見せると、境の視線が動いた。それは、すぐに地面の方へ戻ってしまったが、彼は会話を途絶してしまったわけではないらしい。
「どうして……俺を助けてくれるの?」
誰も手を差し伸べてくれなかった人生を送ってきた彼にしてみれば、紬の献身は理解できないのだろう。紬は笑顔で言う。
「それは……私が境のものだからだよ」
「俺の、もの?」
紬は頷いた。
「討者と巫女って、そういうものなんで。討者は自分の巫女を守る。巫女は自分の討者を守る。だから、私は境を守る。どんなに危なくなっても、必ず守ってあげるからね」
「……守る?」
それから、境は何も言わなかった。だが、食事の準備を手伝ってくれたし、火を起こすための枝も拾ってきてくれた。黙っているが、彼の中で何かが変わったようだった。それから、数日後のこと。
「ぎゃあああ!」
いつも境を揶揄っていた子供の悲鳴が聞こえ、紬は巫女の訓練を抜け出した。何があったのかと討者の訓練場に駆け付けると、尻餅をついた状態で泣きべそをかく子供の前に、境が突っ立っているではないか。そして、その子供は叫ぶ。
「口なしが殴ったよぉ!!」
どうやら、境は自分の強さを信じて一歩踏み出したようだ。遠くから眺めつつ、ほっとしていると、境がこちらに気付く。紬が力強く頷くと、境が笑ったみたいだった。
さらに、そこから訓練を積み、二人は成長を重ねた。境は相変わらず大人しく、他の子供たちに比べて技量が決して高いというわけではなかったが、初めて仕事に就く日も近付き始めた。そんなときのことだ……。
「紬、迎えがきたみたいだよ」
突然、孔雀威から御神楽衆を抜けるように言われた。
「迎え、ですか……?」
「そう。君を買い戻すって」
どうやら、紬を御神楽衆に売った商人の男が、何を思ったのか、買い戻しにやってきたらしい。孔雀威は言う。
「もちろん、御神楽衆に残りたいなら残って構わない。でも、それは本人に伝えなければならないよ。御神楽衆が行き場のある子を無理やり妖怪退治の道具にしていると言われたら、困ってしまうからね」
商人の男に会うのは……少し不安だった。もちろん、恐ろしさで言えば孔雀威の方が何倍も上だ。御神楽衆の訓練に比べれば、あの商人のもとで暮らした日々は生ぬるいと言って間違いないだろう。ただ、あの商人の男は何とも言えない不快感があったのだ。そんな紬の漠然とした予感は当たってしまう。
「良かったよ、紬。ちょっとまとまったお金が入ってね。君を危険な仕事に就かせることが気がかりだったから、こうして迎えに来たんだよ」
商人の男は、紬を見るなり笑顔で言った。心の底から「良かった」と言っているように見える。だが、自分なんかのために、彼が金を払うとは思えなかった。
「紬が戻るかどうかは、最終的に本人が決めます」
孔雀威が言うと、男は不快感を見せる。
「御神楽衆は立派な仕事ですが、とても危険で過酷なものです。紬だって、私のところに戻ってきたいと思っているに違いありません」
「本人が決めることです」
自分が決めて良い。ならば、残りたい。紬はそう言うつもりだった。しかし、商人の男が紬の目の前に屈んで、その笑顔を近付けた。
「紬、戻ってきてくれるよね? 弟や妹のためにも……分かっているよね?」
紬は息を飲む。これは、男が良く使う言い回しだった。お前が言うことを聞かないのなら、弟や妹が酷い目に遭う。そう言っているのだ。
「……孔雀威さん、ごめんなさい。私、戻ります」
孔雀威の顔は見られなかった。が、彼女は短く「そうか」と言うだけだった。もっと引き止めてほしい。そう思うが、さすがの孔雀威も心の声は汲み取ってはくれない。そうなると、男はさらに明るい笑顔を見せて言うのだった。
「じゃあ、さっそく帰ろう! 皆が待っているからね!」
まとめるような荷物もないため、紬はそのまま男に連れて行かれることになった。鍛錬場を出て、男と二人きりになると、隣から不快な引き笑いが聞こえてくる。
「いやー、本当に良かった」
商人の男が紬の肩に手を置くと、上機嫌に語るのだった。
「実はね、ある方からお前くらいの年頃の女子が欲しいって相談されてね。その方は、ちょうどお前くらいの女子が好みで、初めてを奪うのが何よりも楽しみなんだそうだ。金はいくらでも払うからって言われて、うちで使っているやつらから探そうと思ったんだが、ちょうどいいのがいなくてねぇ」




