証言
草木の中、識は目を覚ました。隣に彼女がいるはず。そんな期待を抱いていたが、すべては儚い幻だったことを思い出してしまう。
「楓……」
もちろん、返事はない。日が昇り始めるが、その眩しさが識の気持ちを濁らせる。朝がきたところで、明日を生きる希望などない。そんな悲観を引きずりながら、川を見つけて顔を洗う。
「御神楽衆は動きを止めているようだな」
戦い続けてきた習慣から、つい敵の動きについて考える。柊に続いて、楓まで失ってしまったこの世界で、そんなことを考える意味があるだろうか。識は水面に映る自らの顔を見て苦笑いを浮かべた。
「楓……。もし、万象神覚を通して私を見ていてくれるなら、応えてくれ」
目を閉じて万象神覚に触れる。今までは漠然と感じていた万象神覚だったが、識はその形を捉えようとした。だが、それは簡単なことではなく、巨大な壁に跳ね返されるような感覚に阻まれてしまう。それでも、識は何度も挑戦するが、しまいには激しい頭痛に襲われた。
(楓はこの痛みを超えて、万象神覚に触れ続けたというのだろうか?)
頭が割れてしまいそうだ。天井がゆっくりと落ちてくるような圧迫感まで感じる。少しでも気を抜けば、命もその何かに押し潰されてしまいそうだった。
(だとしても、楓の声が聞こえるなら……!!)
凄まじい痛みと恐怖に耐え、次第に万象神覚の形が見え始める。この世界の片隅。青空にぽっかりと空いた巨大な穴だ。その向こうに……楓がいるはず。
「ぐうっ!!」
しかし、強い痛みと同時に弾かれるような感覚があり、識は目を覚ました。もちろん、捉えかけていた万象神覚は失われてしまう。
「もう一度……!」
何度も繰り返して挑戦すれば、きっと辿り着く。そう考えたが、同じように万象神覚の形を捉えるような感触は二度と訪れなかった。
「楓……。俺のもとには現れてくれないのか?」
境は会話までしていたのに、どうして……。あのとき、彼女は自分の手を取って、選んでくれたのではなかったのか。それとも、あのときの理解し合えた感覚すら、幻でしかなかったとしたら……。
「分からない」
だが、やることは決まっている。境は斬る。斬らなくてはならない。柊も、楓も、あの男によって失われてしまったのだから。
「やるとしたら、今だ」
御神楽衆に指示を出していた巫女は倒れ、境も精神的に参っているはず。ならば、蝕の社で妖怪たちを集結させてから、樒ヶ里村に仕掛けるよりも、間髪入れずに攻めるしかない。それが、たった一人だとしても……。
「まだ手はあるか」
識は水面に映る自分の顔を見て、思いつく。御神楽衆だらけの村に攻め込み、境を討つ手段を。
「確か、この辺にあったはず」
識の足元に広がる植物は、烏頭草と言うらしい。この植物を潰した際に出る液は黒く、髪染めに使えるそうだ。
「楓の知識が俺を助けてくれる」
識は水面に映し出される自分を見ながら、銀に変色した髪を黒く染める。
「これで、私は相馬だ」
自分を納得させるように頷き、識は山を降りた。だが、樒ヶ里村を前にすると、恐怖が込み上げてくる。見慣れた景色だが、これまでとは違う。この村には敵ばかりなのだから。
想定以上に、村の至るところに黒装束の男たちが配置されていた。もし、彼らの目に留まってしまったら、身を改められるだろう。そしたら、怪しまれて拘束される恐れは十分だ。
(せめて、葛城の屋敷まで辿り着ければ……)
葛城に会えば、協力者だと証言してくれるはずだ。そうすれば、境の居場所を聞き出して……どうにでもできるはず。識は慎重に村の奥へ進む。
(くそ、こちらにも御神楽衆が……!!)
しかし、どこに行っても御神楽衆ばかりだ。迂回したとしても、御神楽衆が異常がないか、目を光らせている。
(どうにかならないものか)
それでも、万象神覚を駆使して、落ち着いて進めば、辿り着けるはずだ。識は冷静を失わないよう、少しずつ葛城の屋敷に近付いた。
(あと少しか)
半分は進んだだろうか。途中、立ち寄った空き家は相馬として変装する際に使う着物が隠されていた。どれも、折りを見て柘榴が用意していたものである。
識は血まみれの着物を捨て、相馬の姿を装った。見た目は相馬という人間になり切っているが、もちろん油断はできない。識は再び慎重に葛城の屋敷へ向かった。
(あと一歩と言うところか)
残すは、葛城の屋敷につながる細い登り坂を進むだけ。やり遂げたのだ、と一息吐く識だったが、そう簡単なものではなかった。
「そこのお前、止まれ」
背後から低い声に呼び止められる。このまま逃げ出せば終わりだ。何とか誤魔化さなければ、と識は足を止めた。
「見ない顔だ」
「村のものか?」
「現在、村は御神楽衆によって閉鎖されている。どこから入ってきた」
あっという間に、複数の黒装束を着た剣士に囲まれてしまう。正体が判明してしまったら、この剣士たちを倒して逃げるしかないが、刀も空き家に隠してきてしまった。
もしものために隠し持った苦無が三本あるが……圧倒的に不利であることには変わりがない。そんな識の弱味につけ入るかの如く、剣士たちは詰め寄ってきた。
「名前は? この村のものなら家の所在地を言え」
「私は……」
少し言い淀んだだけで、御神楽衆の目が光る。数名はいつでも刀を抜けるよう、柄を握るほどだ。
(あと少しだと言うのに)
こうなったら剣士たちを押し倒し、屋敷に飛び込むか。境がいないことも考えられるが……そのときは、そのとき考えるしかないだろう。識が覚悟を決め、次の動きのために重心を落とした、その瞬間だった。
「相馬さん!」
声があって振り返ると、葛城の姿が。彼は識の顔を見ると、笑顔で寄ってきた。
「御神楽衆の皆さん、この人は私の協力者です。身を改める必要はありませんよ」
「しかし……」
「紬殿や境殿とも顔見知りです。安心してください」
剣士たちはしばらく検討したが、葛城の言葉を信じたようだった。御神楽衆が立ち去り、識は葛城と二人きりになる。彼は自分たちの優勢が嬉しいのか、常に笑顔だった。
「相馬さん、そろそろ現れるころだと思いました。無事で嬉しいですよ」
「葛城さんこそ。何事もないようならよかった」
「ええ、私は……私は何事もありませんでした」
どういう意味だろうか。葛城の言葉には含みがあるように思われた。
「あ、何か情報を持ってきてくれたのでしょう? だとしたら、屋敷で待っていてください。私は御神楽衆の方たちと話すことがあったので、そちらを先に済ませてきます」
そう言われたので、識は屋敷の方へ向かうことにする。葛城は先程追い払った御神楽衆を追いかけるようだった。だとしたら、あの場で話せばよかったのでは……。
そんな疑問はあったが、無事に辿り着いたことに安心し、識は葛城に背を向けてしまうのだった。




