焦燥
時間は遡る。識は弓を手にして、楓と共に山を降りていた。異様な力を持つ巫女の舞いを止めるためだ。
「……識、こっち!」
御神楽衆の包囲は厳しかったが、二人だけならば問題ない。楓の万象神覚が正確に包囲の隙を見つける。何度も何度も進行方向を変え、その度に剣士たちの数に驚いたが、順調に山を降りるのだった。
「この先にいるよ!」
楓が指を差した方向は、万象神覚に頼らなくても、確かに人の気配が感じられた。だとしたら、あとは自分一人でやるだけだ。
「楓。ここで待っていてくれ」
「うん、分かった」
彼女は心配した様子もなく頷く。こんなところで一人にされることが不安ではないのだろうか。いや、不安なのは自分だ。恐怖しているのは、自分なのだ。
「大丈夫」
そんな気持ちを察したのか、楓は面の上から識の頬に触れる。
「巫女の守りを除けば、この辺りに御神楽衆はいない。私は死なないよ」
「……信じている」
楓は頷いた。
「私は識を悲しませたりしないよ、絶対に」
「すぐ帰ってくるから」
自然と識の手も楓の頬に触れた。これが終われば、義理を果たせる。蝕を斬ることも、境を斬ることも……忘れよう。識は楓に力強く頷くと、背を向ける。必ず戻ると誓い、山道を駆けるのだった。
楓から離れ、少し走ると斜面の下に、境たちの姿を見つける。そして、例の巫女の姿も。
「木の枝が邪魔するか……」
弓を構えるが障害物が多い。何度か立ち位置を変え、確実な場所を探すが、どこも変わらなかった。
「やるしかない」
改めて弓を構えるが、やはり木の枝が多く、確実に巫女を狙える場所ではなかった。
「楓……力を貸してくれ」
識は集中力を高め、万象神覚に触れる。目を閉じ、万象神覚を通した景色から、巫女を捉えた。
(見える)
軌道が見えた。自らの手元から、巫女に届くまでの軌道が。これに沿って矢を放てば、確実に巫女を仕留めるだろう。翳に矢を放ったときよりも、その確信は強かった。
(ここだ……!!)
矢が放たれる。その軌道は万象神覚を通してみたものと、寸分の狂いなく、巫女に向かって吸い込まれて行く。そして……。
「うっ……!!」
確かに、巫女の胸に突き刺さった。
「やったか?」
しかし、巫女は倒れない。倒れるどころか、境たちに向かって何やら指示を出している。識は初めて人間の女に、この種の恐怖を感じた。楓や柊と出会ったころに感じた、不可解からくる恐怖ではない。同じ生物として、その生命力に恐怖を感じたのだ。
「化物め……」
識は呟きながら、すぐにその場を立ち去る。しかし、凪の神楽は止まった。識の体も先程に比べたら、かなり軽くなっている。
「これなら、逃げ切れる!」
仲間たちだけではない。境が追いかけてきたが、距離は十分にある。追いつかれることはないだろう。早く楓と合流して自分たちも逃げ出すのだ。この苦しいだけの現実から、別の場所へ。
「楓!」
しかし、戻った場所に楓はいなかった。もちろん、思い出されるのは柊の無残な姿である。
「そんなわけが……!!」
あのときの柊と違って、楓は万象神覚によって危険を感知できるはず。彼女の身に何かあったとしても……。
(頼む、楓……応えてくれ!!)
識は万象神覚を通じて、楓に呼びかける。今の自分であれば、声を届けることはできるはず。
――識!
返事があった。
(楓! どこだ!?)
――こっち、助けて!
楓が居場所を伝えようとしている。それは分かるが、彼女からの呼びかけは、小さく、か細い。彼女の力を考えれば、これほどの弱い呼びかけは異様と言えた。
「こちら……なのか!?」
識は自身の万象神覚に従って、楓が逃げている方向へ走った。
(御神楽衆の剣士に見つかったのか!?)
十分あり得る。あの巫女に報告するため、山頂へ向かっていた剣士が数名戻ってきて、楓と鉢合わせてしまったのかもしれない。
「だとしても、楓なら……」
危機を察知できるはずだ。思考が堂々巡りだ。今は考えても仕方がない。識はただ必死に走るのだが……。
「死ねぇ!」
横手から刃の煌めきが。識は身を低くして、首を狙う一撃を躱した後、自らも刀を抜いて、素早く反撃する。が、不意打ちを仕掛けてきた敵は、素早く身を退いてから叫ぶのだった。
「いたぞ、狐の面だ!!」
敵は黒装束が一人、と思われたが、彼が叫ぶと次々に同じ姿の剣士が現れる。
(五人か……。やれるのか!?)
背後の黒装束が斬りかかってくる。だが、識は瞬時に察知してから、振り向きざまに神速の一撃を振るうと、刀を天に掲げた剣士の腹が裂けた。
(やはり、凪の神楽が止まっている。これなら、この程度の敵に時間はかけまい!)
識は半妖だ。そのため、凪の神楽が効きにくい体質ではある。とは言え、完全に負荷がかからないわけではない。凪の神楽の影響が及ばない今は、これまで以上の力を発揮させた。
「楓!」
五人の剣士を斬って、再び山の中を駆ける。
――識、助けて。
まだ楓の声は聞こえる。だが、先程よりも弱々しいような気がした。
「間に合ってくれ!」
必死に走る識だったが、その前を阻まれる。
「いたぞ、例の狐の面だ!」
「取り囲め!」
御神楽衆の剣士たちは、どこからともなく現れる。識は必死に刀を振り、その面を赤く染めるのだった。




