強要
孔雀威は横腹に刀が刺さったはずなのに、真っ直ぐと立って、妖怪たちが逃げた山を眺めながら言った。
「妖怪狩りを再開する」
その言葉に、境の胸は一瞬で凍り付くようだった。しかし、孔雀威が決断したのならば、それはすぐに始まってしまう。実際、彼女は振り返ると、並ぶ剣士たちに言うのだった。
「山の包囲を立て直すように。それが済んだら、範囲を少しずつ狭くして、やつらを追いつめる。恐らく、敵の拠点は山頂付近だろうね」
どうやら、孔雀威は妖怪たちが逃げた方向から、それを既に予測していたらしい。
「私も山の麓で凪の神楽を舞う。そうすれば、妖怪たちは為す術もないだろう」
そして、孔雀威はあの空虚な笑みを浮かべた。
「いいね? 妖怪たちは一人残さず殺さなくてはならない。立ち向かってくるなら、容赦なく正面から斬れ。逃げて背中を向けるなら後ろから斬れ。頭を下げて許しを請うなら首を落とせ。少し形が人間に似ているからって、同情する必要はないよ。やつらは、この世にいらないものなんだからね」
一同に返事する剣士たち。孔雀威の直下にいるものは、御神楽衆の中でも妖怪に対する恨みが強いものばかりだ。だからこそ、彼女のやり方について行けるのだろう。
そして、彼らはさっそく動き出す。自分はどうするべきなのだろう。境が心の内だけで動揺していると、孔雀威がこちらを見た。目を逸らすが……遅かったらしい。
「境」
彼女に名を呼ばれたら、顔を上げなければならない。笑顔の孔雀威は、まるで歩調を正確に定められたかのような姿勢の良さで、境に近付いた。小気味のいい音が青空に響く。
頬を打たれたのだ、と境は遅れて気付いた。予備動作のない平手打ちに境はおろか、万象神覚すらも察知できなかったらしい。唖然とする境に、孔雀威は言う。
「何を考えているか、言ってごらん」
「お、俺は……」
またも頬を打つ音が響く。
「言い訳はいらないよ。私が知りたいことを、ちゃんと話してほしい」
「妖怪を……斬ります!」
その答えは間違っていなかっただろうか。不安ではあったが、平手打ちは飛んでこなかった。だが、安心するのは早い。孔雀威はまだ冷たい目でこちらを見つめているのだから。
「じゃあ、なぜお前の剣は鈍っているのだろうか」
疑問として、問われた……というよりは、書かれた文字を読み上げるようだった。しかし、現在の境が抱える問題を確実に捉えている。境は酷く動揺し、答えが遅れると、孔雀威は追撃するように言う。
「私が気付いてないのとでも思ったかな? 明らかに、境は本気で戦っていない。そのせいで、私の腹には穴が空いたわけだけど、自覚はあるのだろうか」
「す、すみません……」
「自覚、あるの?」
「……」
俯く境だが、やや姿勢の低い孔雀威が下から覗き込んできた。
「自覚があるなら、なおのことだね。そうか、境は私に死んでほしいのか」
「ち、違います!」
「じゃあ、どうして本気で戦わない。お前が手を抜いたせいで、私はこの様だ。悲しいよ。手塩にかけて育てた、弟のようなお前が、裏切者の女のために、私を殺そうとしているなんて」
「だから……違うんだ!」
孔雀威に万象神覚はない。それは境だからこそ分かる。それなのに……孔雀威は境の心のうちをすべて理解しているようだった。特に弱い部分は、見逃そうとはしない。
境は助けを求めるように紬を見るが、彼女は視線を落としたまま、手を差し伸べてくれることはなさそうだった。
「境、言ったよね。嘘を吐くのは、妖怪だけじゃない、と」
孔雀威が額をぶつけてくる。何度も、何度も、繰り返し。
「妖怪は浅ましいやつらだから、平気で嘘を吐く。けど、悲しいことに人間も同じなんだ。ただね、人間は信じてもらおうと努力できるんだよ。妖怪と違って、善であろうとする心があるからね。私が言っていること、分かる?」
「分かります……」
「嘘じゃないね?」
「行動で……示します!」
声を上げると、孔雀威は離れると見せかけて、境の鼻っ柱に頭を叩き付けた。衝撃に背中を反らせる境。痛みに耐えるが、姿勢を戻すと、鼻血がゆっくりと落ちてきた。
「私が聞きたい言葉、それだけだと思う?」
分かっている。孔雀威が何を言わせたいのか。こうやって、子どものころから意思を、考え方を作られてきたのだから。
「俺が……殺します」
「うん。誰を?」
生きるためには、飯を食べるには、安心して眠るには……この女の言うことが絶対なのだ。境は言う。
「……銀髪の巫女は、俺が殺します!!」
それは絶叫に近かった。助けを求めるような、死を拒絶するような、決して肯定的なものではなかったが、孔雀威の満足を得たらしい。彼女の口元に笑みが広がった。
「よく言った。さすがは境だ。じゃあ、確実に殺すんだよ。裏切者の女は、下手したら妖怪の子種を仕込まれているかもしれない。早めに殺さないとね」
「そ、そんな……」
考えたくもなかった。思わず否定の言葉が出かけるが、孔雀威の視線が向けられ、境は口を結ぶしかない。境は考える。楓を助けるとしたら……御神楽衆よりも先に彼女を見つけ、逃げるしかない。何もかも捨てて、二人で逃げるしかないのだ。
孔雀威が立ち去り、境は崩れるように膝を付いた。紬は境に対する苛立ちから、詰問される彼を助けなかったが、こうして弱々しい姿を見ると、胸が締め付けられる。思わず、傍らに膝を付き、その背を撫でてしまった。
「境、大丈夫だよ……」
何が大丈夫なのだろうか。紬は出した言葉を引っ込めたかったが、もう遅い。孔雀威はやると言ったらやる。殺すと言ったら、殺す。そういう人なのだ。大丈夫なんて、誰も……。
だが、こうしていると昔を思い出す。境はよく孔雀威に怒られて泣いていた。それを慰めるのは、もちろん自分である。膝の上で泣きじゃくる境を見て、何度愛しさを感じただろう。今だって……。
「楓……」
しかし、彼の呟きは、過去の温かい記憶すら壊してしまう。紬はゆっくりと境から離れて、大きく息を吐く。そして、何気なく辺りを見回して、違和感を覚えた。
「……あれ? 葛城さんは?」




