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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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展望

 どうにか山の中へ逃げ込み、楓が待つ地点まで識は走った。少しでも一人にさせてしまったら、またも失われるのでは。そんな不安は識の集中力を下げたが、どうにか今回も生き延びたようだ。



「識!」



 木の影から楓が姿を出し、こちらに手を振る。駆け寄ってきた彼女を抱きとめると、識の体が生きている実感で満たされた。



「無事で良かった……」


「楓こそ、危ない目に遭わなかったか?」


「私は大丈夫だよ。ずっと隠れていたから」



 そう言いながらも、彼女は震えていた。識から離れようにも、体が固まってしまったらしい。いつ御神楽衆に見つかるかも分からない状況……いや、仲間の妖怪だって、どんな気を起こすか分からない状況なのだ。楓が不安なのも無理はない。そんな彼女の背中を優しく撫でる識だったが、周囲に妖怪の気配を察知した。



「識殿、無事でしたか」


 反射的に楓を背中に隠し、刀の柄を握ったが、それは帳(とばり)であった。


「識がいない間、偶然会ったんだ」



 短い時間にどんな会話を交わしたのか、楓は帳を信用しているらしい。だが、識の警戒心は違う。なぜ、蝕(しょく)の側近と言える彼が自分のいない間、楓に近付いたのか、という不信感があった。



「嫉妬かな?」



 後ろから囁く楓を睨み付けるが、彼女は穏やかな微笑みで受け止める。



「私が一人のとき、ずっと守っていてくれたんだよ。それに、識が危ないって言ったら、助けてくれたのも帳くんなんだからね」



 帳くん。その響きも気に食わなかったが、彼が手にする弓を見て、境に後ろから襲われたとき、誰が助け舟を出してくれたのか、十分に理解した。



「危ないところを助けていただいたようだ」


「いえ、お役に立てたようなら」



 何を企んでいるのか、と識は万象神覚によって、彼の腹を探ろうとする。だが、楓が言うように、万象神覚はそこまで便利なものではない。帳の心を知ろうとして、知れるものではなかった。



「余計なことをしたのでは、と少しばかり不安でした」



 帳が微笑む。冗談を言ったようだが、識に笑う余裕はなかった。



「それで、御神楽衆の大将は討ち取れましたか?」



 情けないことだが、識は首を横に振るしかない。



「あと一歩だったが邪魔が入った。腹に穴をあけてやったが……あの巫女、まだ凪の神楽を舞う力を残しているらしい」


「あれだけの敵を前にして、しっかりと爪痕を残すだけで立派です」


「いや、あと一息で殺されるところだった。偉そうな顔はできないよ」



 肩をすくめる識だったが、後ろから楓が裾を引いてくる。



「殺されるところだったって……やっぱり、境なの?」



 楓がどういうつもりで聞いてきたのか、それは分からない。だが、嘘を吐いたところで意味がないことを十分に知っている識は、正直に頷いてみせたのだが、彼女が裾を掴む手に力が入ったようだった。


 識は安心させるため、楓の手を取ったが、彼女の笑顔は暗い影を含むようである。だが、そんな二人の様子を見ていた帳が指摘した。



「お二人は……夫婦というやつですか?」



 識は楓から手を離し、帳の方を見る。そんな識の反応に帳は驚いたみたいだった。ただ、楓は口を抑えながら笑いながら、やんわりと肯定する。



「まぁ、近々そうなるかもしれませんね。どうですか、識さん?」


「……揶揄(からか)うな」



 面をしていてよかった、と思う識だが、帳はどこか浮かない顔で言った。



「蝕さまは……妖怪が他者を愛してしまうと、弱くなると言っていました。特に人間を愛した場合は、それが顕著である、と」



 そんなことを言っていたのか、と意外に思う識だが、どうも帳は蝕に対して思うところがありそうだと感じた。



「……蝕さまは協力は最低限に、と命じていたはず。なぜ、帳殿は私を助けてくれたのだろうか」



 相手が何を考えているか、まだ分からない。だが、この程度ならば……と踏み込んでみたわけだが、帳の方はそれほど警戒心を持っているわけではないようだ。彼は本音らしいものを話してくれた。



「既にお伝えした通り、蝕さまは妖怪という存在を見放しています。どうせ滅びるのだ、と言って、玄天狐党の将来についても関心を持っていません」



 確かに、蝕は同胞の妖怪たちに興味を示さなかった。いや、この世すべてに対し、興味がないようにも見えた。帳は続ける。



「蝕さまのお部屋で、川の音が聞こえたでしょう?」



 妖怪の聴力では無ければ聞こえない、かすかな音ではあったが、確かに識も耳にした。



「あの近くには妖怪の傷を癒す湧き水が出ているそうです。しかし、蝕さまはそれを隠してしまい、探すことも禁じてしまいました。我々に生きるな、と言っているようなものです。お前たちは、滅びる存在なのだから、と」



 帳は冷静な若者だが、言葉に強い感情をこめているようだった。



「しかし、私はそんな風に考えたくない。蝕さまはお前が若いからだ、と笑うかもしれませんが、自分の命が滅びの道を進んでいるからと言って、未来を諦められるでしょうか。蝕さまのような、ゆるやかな自殺は厭世的な考えが過ぎているように思えます」



 帳は識を見る。若く、力強い視線で。



「確かに、蝕さまが言うように玄天狐党は弱っています。ただ、新しい指導者のもと生まれ変われば、さらに長い時代を生き長らえるはず。そして、その指導者は……貴方のような人が相応しいと、私は考えています」


「私が……?」



 これには驚きを隠せない識だったが、帳の方は至って真面目らしい。



「はい。実は、翳さまの屋敷から逃げ出した仲間たちが、貴方に率いられて、山の中をさ迷っていることを……私たちは早い段階で知っていました。しかし、蝕さまは放っておけと言ったのです」



 彼にとって、それは許せないことだったのか、握る拳に力が入っている。



「だからと言って、私は仲間を放っておけなかった。貴方たちが自分の力で我々のもとに辿り着くまで、見守っていようと決めたのです。その際、貴方の素質を見た。こんな若輩者が言うのは失礼かもしれませんが、妖怪たちを取りまとめるものとしての何かを持っている。それが何なのか……私には分かりません。ただ、私が頭の中で描いていた、玄天狐党をまとめる存在は、貴方のような人だったのです」



 それで助けた、ということらしいが、なぜ帳が自分を評価するのか、分からなかった。蒼月の血を引くものだ、と知っているのならまだしも、彼の評価はそういうものではないらしい。だとすれば、彼は本心から評価しているのだろうが、識は妖怪たちを導く自信は持ち合わせていなかった。



「とにかく……社(やしろ)まで戻りましょう」



 熱くなった自らの頭を冷やすように、帳が言った。



「またいつ御神楽衆が動くか分からない。早めに立て直す必要があるでしょう」


「そうだな」



 頷く識だったが、楓が遠くを見つめていることに気付く。



「どうした?」


「……社に戻るのは、難しいかもしれない」



 黙って続きを促すと、楓は識の方を見て言った。


「山の中は御神楽衆だらけだよ」


 どうやら、既に識たちは御神楽衆に包囲されているようだった。

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