全盛
杠葉は自らの居場所、自らの夢、自らの理想を取り戻すため、山の中で三味線を弾き続けた。その音色によって、女たちを操り、御神楽衆を統率していると思われる巫女を狙う。
「さぁ、私の音色で再び酔わせてやろう。あの夜を取り戻すのだ!」
女たちは長い間をかけて、杠葉の三味線に意思を操られ続けていた。そのため、妖術が効きやすい体になっている。離れた場所からであっても、自由に操ることができた。
「いたぞ、あれが杠葉だ!」
御神楽衆の剣士が現れる。
「刀で私の演奏を止められると思うな!」
そうは言いつつも、杠葉に戦う術はない。蝕に借りた数少ない妖怪が、彼を逃がしてくれるのだった。
「まだだ、私の演奏は終わらない! 女たちに、もっと聞かせてやるのだ!」
御神楽衆から逃れると、再び三味線を弾く。
「どうだ! 私の音色は美しいだろう!!」
一心不乱になって、山の中に、村の人々に、その音色を届ける。この時間が続けばいい。自分の演奏が人の命や心を左右するという刺激は、彼の魂を震わせた。きっと、御神楽衆を追い出せば、そんな時間が続く。自分が死ぬまで続くはずだ。
「邪魔はさせないぞ、絶対に!」
だが、再び御神楽衆に見つかり、逃げ出さなければならなかった。
「識……早くあの巫女を殺してくれよ!!」
得体の知れない仮面の妖怪は、いつの間にか自分の傍にいた。いつも、不安を煽るようなことばかり言って、杠葉にしてみると煩わしいだけの存在だった。
さらに言うと、ここ最近は仄や翳に近付き、自分よりも重宝される姿を見て、憎らしもあったが……今は信じている。あの男なら、圧倒的に不利な状況もどうにかしてくれるのではないか、と。
「そうだ、識。お前のために、弾いてやろう!」
死と隣り合わせで弾く三味線は、いつも以上に彼を興奮させ、その音色に彩りを与える。
(そうだ、これだ……!!)
杠葉は自らが求めていた音を思い出す。若きころ、情熱を持って打ち込んでいたころの音。そして、そこに経験を積み重ねたことによる、技術が重なった。
「今こそ、私の全盛期だ! 私はこの音に出会うために、三味線を弾き続けたのだ!!」
集中力がさらに増していくが、またも御神楽衆に襲われる。彼を庇う妖怪たちは言った。
「行け、杠葉!」
「お前の三味線が我々を救うのだ!」
「玄天狐党を頼んだぞ!」
誰にも期待されることのない人生だった。三味線で食べて行くと言えば笑われ、夢を語れば軽蔑された。それが、この瞬間は求められている。卑しく、異形だと思っていた妖怪たちに。それは……単純に嬉しかった。
「おう、貴様らも私の音色に殉ずるのだぞ!」
走った。走った。
もう一度、あの音色を。
そうすれば、もっと先に行ける気がする。今まで見たことのない景色が、その音色を通して見えてくるはず。
「これが幸せというもの! 私はこんな人生を送りたかったのだ!!」
しかし、気付けば自分を守る妖怪たちはほとんどいなかった。
「杠葉、討ち取った!」
すぐ背後で声が。
「ぎゃあああ!!」
直後、激痛が走る。斬られた。だが、残り少ない妖怪たちが、御神楽衆を止めてくれたようだ。走り続けると、周りには妖怪も御神楽衆もいない。ただ、山の静けさだけが自分を囲んでいる。再び三味線を奏でるため、岩の上に腰を下ろすが、激痛が走って、思わず立ち上がる。
「血が……こんなに」
岩に付着した赤い血。それを見た途端、背中の痛みも増していく。息も荒い。
「はぁはぁ……私は、死ぬのか」
顔を上げると、見覚えのある場所であると気付く。
「……ふふっ、そうだな。最後は、あの場所こそ相応しい」
体を引きずるようにして、杠葉は歩く。彼が行き着いた場所は、村長である彼に用意された屋敷であった。その廊下には、帯のように血の跡が残る。
「さて、と……」
杠葉は、毎晩のように女たちと音の世界を楽しんだ空間に、腰を下ろす。誰もいない部屋は、あの賑やかな夜が嘘だったかのように寂しく、薄暗かった。気付けば、彼の座った場所は赤く染まっている。撥を握る手に力は入らず、弦を叩いても、張りのある音は出ないが……それでも満足だった。
「最後は……女たちに聞かせてやりたかったなぁ」
天を仰ぎながら、呟くと体の力が抜けて行った。死ぬ。それを覚悟した、そのときだった。涼しい風が杠葉の頬を撫でる。
「ん?」
清々しさに目を開けると、室内が明るかった。
「杠葉さま!」
その声に正面を見ると、部屋中に女たちが溢れている。誰もが楽しそうに、期待の目で、杠葉を見ていた。
「さぁ、今夜も美しい音色を私たちに聞かせてくださいな」
「杠葉さまの三味線は私の生きる糧だわ」
「そう、これがないと一日が終われないのよねえ」
女たちが笑っている。唯一、杠葉の音色を蔑むことなく、楽しんでくれた女たちが、そこにいる。彼女たちに応えるよう、杠葉も笑顔を見せた。
「ああ、今夜はこれまでで一番の音色を聞かせてみせよう。皆、楽しんで行ってくれ!」
杠葉は撥を握る。さっきまで、重たかった体が今は軽い。
さっきまで……?
自分は何をしていたのだろう。
酷く、つらい時間を過ごしていたような気がしたが……。
「まぁ、いい。私はこうして美しい音色と、喜んでくれる女たちがいれば、それで十分なのだから」
杠葉の音色に、誰もが幸せそうな顔を見せる。それを前にして、杠葉はいつものように思った。嗚呼、続けていて良かった……と。
樒ヶ里村の女たちが正気を取り戻してから間もなく、再び三味線の音が流れる。村の女たちは混乱しながらも、その音に涙し、二度と耳にできないのだ、と嘆いた。その姿を眺めていた孔雀威は言う。彼の三味線は本物だったのだろう、と。




