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隠した顔

 相馬が屋敷を出て、庭を抜けようとすると、縁側に座る女を見つけた。人とは思えない銀髪を揺らす巫女。彼女は口元に茶碗を近付けていたが、手を止めて相馬を見る。目が合うとわずかに首を傾げた。



「あれー? 今日は付けてないんだねぇ?」


「……なんでしょうか?」



 唐突な質問に訝しげな表情を見せる相馬に、女は指先で目の横を叩いてみせた。



「お面だよ。狐のお面」



 相馬が押し黙ると、庭の空気が変わる。獰猛な獣が放たれたような緊張感が二人を包むようだったが、巫女は気付いていないらしい。



「識って言ったっけ? 昨日はお面で顔を隠していたじゃん」



 巫女が微笑むと、相馬の背後にある藪が揺らめいた。獣が飛び出す、と思われたが、相馬が手の平を向けて何かを制止する。



「柘榴、いい。動くな」



 相馬の声に、獣の気配が消える。いや、限りなく小さくなったようだ。



「奥に御神楽衆がいる。お前の気配を気取られるわけにはいかない。先に帰っていろ」



 わずかな沈黙の後、相馬は巫女を見る。



「万象神覚か?」



 相馬の目から温度が失われていた。先程まで、屋敷の中で頭を低くしていた男とは思えないほどに。しかし、巫女に動じた様子はない。



「楓」


「なに?」


「私の名前だよー。楓って言うの」



 相馬は……識は巫女の振る舞いを不思議に思う。妖怪を目の前にして、どうして平然としていられるのか、と。巫女ならば、その恐ろしさを十分に理解しているはずなのに。



「覚えておこう。で、万象神覚がなぜこの村に?」


「だから、楓って呼んでほしいなぁ。万象神覚なんて呼ばれ方、あまり好きじゃないよ。でも、どうして私が万象神覚を持っていると思うの?」



 何かを推し量られている。そんな視線に識は慎重に答えた。



「私の師がそうだった。特別な力だ」


「特別? そうでもないと思うけどなー」


「どうして?」



 識が知る限り、柊とこの楓の他に、万象神覚を持つ者は知らない。特別と言って間違いないはずだ。しかし、楓は平然と言う。



「だって、私が万象神覚を持っているとしたら、識だってそうだから」


「私が?」



 楓は頷く。



「ここ、座ってよ」



 隣に座れと言われるが、躊躇わずにはいられない。だが、なぜか体が勝手に動き、識は楓の横に腰を下ろすのだった。驚くべきことは、それだけではない。座った識の手に、楓が自らの手を重ねてきたのだ。



「やっぱり。識の心は私の色と似ている気がするんだよねー。何かきっかけがあれば、私と識は理解し合えるよ。誰も味わったことないような、深い理解を……私たちだけが共感できる」



 囁くような楓の声は、識の記憶を呼び起こす。



 ――私だけがお前を理解できる。



 柊の声と体温。それを思い出すだけで体が震え出しそうだった。しかし、そんな識の感銘は一瞬で打ち消されてしまう。



「後は境も同じだね。彼は識と違って野性的だから。心の声に素直なんじゃないかなー」



 識は平静を取り戻す。境とは、先程屋敷の中にいた討者か。妙な不快感に識は顔をしかめ、手を引っ込めた。



「あ、もしかして!」



 何を思いついたのか、楓は明るい表情を見せる。



「貴方が相馬って人なの? うわー、意外だねぇ」


「万象神覚を持っていても、意外なことがあるのか」


「当たり前だよ。何でも分かっちゃうような便利なものじゃないって」



 楓は率直な識の感想を笑った。



「でも、どうして妖怪が人間を助けるの? 何か訳があるのかな」



 嘘をつくこともできる。だが、万象神覚にそんなものは通用しないと識は分かっていた。



「月蝕の三姉妹、という妖怪がこの村に蔓延っている。やつらを討ちたい」



 正直に言ったつもりだったが、楓は心の内を読み取るように、識を見つめてくる。その瞳の奥に、師の面影を見るようで居心地が悪かった。だが、彼女は再び笑みを浮かべてから言う。



「識の願いは簡単に叶うものじゃないよ。近いうちに、その心は濁ってしまう。やめておいた方がいいんじゃないかなー?」



 心が濁る。その言葉に識は思わず失笑するところだった。



「心など既に濁っている。今更、気にすることではない」



 どれだけの命を奪っただろうか。人間だけではない。妖怪の命だって、数えきれないほど奪ってきた。そんな自分の心に、まだ濁る余地があると言うのか。


 おかしくてたまらない。そう思う識だったが、楓は同情するように温かな笑みを浮かべるのだった。

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