反響
境は目を覚ます。どれくらい寝たのだろうか。部屋の中に光が差し込んでいた。
「楓は!」
すぐに体を起こし、部屋の外に出ると巫女の姿が。楓が妖怪と一緒に去ってしまった光景は、すべて夢だったのだ。そう安堵しかけたが、その背中は紬のものだった。
「起きた?」
振り返った紬が微笑みを見せるが、その表情は濃い疲労が刻まれている。ただ、境は彼女の身を案じる余裕もない。紬の両肩を掴むと責めるように言うのだった。
「楓は見つかったのか!?」
「い、痛いよ。境、落ち着いて!」
「落ち着いていられるか!」
だが、紬は力いっぱい境の胸を押して、彼を遠ざけてから、乱れた裾を直した。
「楓さんはまだ見つかっていないよ。識を見つけたって言う話もない」
「逃げられたのか……?」
紬は首を横に振る。分からない、ということだ。
「忽然と足跡が消えたらしいよ。だから、孔雀威さんの妖怪狩りも今は止まっているところ」
それを聞いて、境は一つ安心する。妖怪狩りが止まっているなら、楓が仲間に殺されることはないはず。もちろん、妖怪たちの中にいれば危険であることは間違いないのだが……。
「よし、なら探しに行くぞ」
「行くぞって……今から?」
部屋に戻り、着替え始める境だが、紬は驚いたようだった。
「当たり前だ! こうしている間にも、楓は危ない目に遭っているかもしれないんだからよ!」
「……裏切者なんだから、助ける必要ないよ」
「なんだって?」
境は帯を締めながら振り返るが、紬は視線を落としていた。
「あいつは裏切者じゃない。お前だって分かっているはずだ」
「でも、識と手を取って逃げたんだよ? 孔雀威さんの言うことも分かるよ……」
「お前……」
楓とは、この村にやってきてから、何度も一緒に戦った。彼女がいなければ、命を落としていた場面だって何度もあったはず。何も知らない孔雀威が、裏切者だと言うのは分かる。しかし、紬はずっと見てきたはずだ。
「どうして、そんなことを言える!」
怒鳴る境に、紬は視線を落としたまま答えた。
「境の方こそ、どうして楓さんをそこまで信じられるの?」
瞳を持ち上げ、紬は境を睨み付ける。
「私たちは、あの人に出会ったばかりなんだよ? どんな人か、何をしてきた人なのか、何も知らないじゃない! それなのに、境はあの人の心配ばかりで……どうして信じられるのよ! 裏切者じゃないって言い切れる理由はどこにあるの!?」
「それは……!!」
それは、境だけが理解できることだ。万象神覚を通して、お互いを理解しあった二人は、強い絆で結ばれている。分かり合っている。普通の人間なら、十年や二十年かけて作る深い関係を、この数日で築き上げたのだ。そんな彼女を否定できるわけがない。
「俺と楓は……万象神覚で心がつながっている。離れていても、お互いを想い合っているんだ」
強く拳を握る境だったが、紬は冷たい視線で指摘する。
「じゃあ、どうして識と一緒に逃げたの? 境と想い合っているなら、そんなことしないよね?」
これには、返す言葉がなかった。いや、これこそ、境が一番分かっていることなのだ。万象神覚を通じて話し合ったとき、彼女は明確に言ったのだ。自分で識を選んだ、と。
「それは、あの野郎が無理やり……」
「私はそんな風に見えなかったけど」
紬は、まるで境を追いつめるようだった。押し黙るしかできない境は、まるで少年のようである。幼少期、妖怪や盗賊から逃げ回る日々を過ごしていた境は、誰も信じていない無口な少年だった。成長するにつれ、周りの影響を受けながら変わっていた彼だったが、今はその鎧が剥がされ、もとの自分を晒されてしまったかのようである。そんな境に対し、紬が決定的な言葉をかけようとした。
「楓さんは――」
「紬殿。あ、境殿」
しかし、御神楽衆の剣士が一人、姿を現わす。
「孔雀威さまがお二人をお呼びです」
紬は黙ったまま、境を睨み付けていたが、そっと目を反らして、屋敷の外へ向かった。変なところで声をかけてしまった、と剣士は察したのだろう。紬の顔色を窺いながら、その背を見送った後、爪先を見つめたまま動かない境に言うのだった。
「紬殿は、ずっと眠る境殿の傍にいましたよ。討者と巫女の関係とは……いいものですね」
それでも、境は何も言葉が出てこなかった。剣士が立ち去り、廊下で一人になってから、境は目を閉じて楓に呼びかける。少し睡眠を取って集中力を取り戻した今なら、きっと声を届けられるのでは……と期待があったが、相変わらず、楓の方が心を閉ざしたままのようだった。
「境、調子はどうかな?」
村のほぼ中心地に、御神楽衆の拠点が設置されていた。そこで指示を出す孔雀威は、感情の見えない笑顔で境を迎える。
「問題、ありません……」
気が入ってない返事に、孔雀威は笑みを消すが、特に何か言うこともなく、北の方に見える山を見るのだった。
「まだ傷も癒え切っていないところ申し訳ないけれど、ちょっと妙なことがあってね。先にこの村に入っていた、二人の意見をどうしても聞きたかったんだ」
「妙なこと、ですか?」
確認する紬に孔雀威は頷く。
「そう。先程、向こうの山から三味線の音が聞こえたんだ」
「三味線って……もしかして!」
驚きを見せる紬に、孔雀威は淡々と説明する。
「向こうの山は、例の妖怪たちが潜んでいるはずだから、何かしらの罠とも考えられるんだけど……その反応は何か知っている、ってことなのかな?」
紬は頷く。
「はい。恐らくですが、杠葉と言うこの村の村長です。毎日のように夜会を開いては、村の女たちに三味線の音色を聞かせていたとか」
「ああ、報告にあった男か。確か邪視を使って女たちを惑わすとか。三味線については、報告がなかったね」
「す、すみません」
きっと、大した情報ではないと綴らなかったのだろう。しかし、孔雀威は威圧的な笑顔で紬に「次からは漏らさず報告してね」と言った。そして、情報を得た孔雀威は時間をおかず、次の判断を下す。
「人間であれば、大した脅威ではないだろう。とは言え、油断することなく、音が聞こえた辺りを調査するように」
その指示に従い、十名ほどが山の方へ向かうが、待っていたと言わんばかりに三味線の音が聞こえてきた。孔雀威の口元に笑みが広がる。
「さて、何を仕掛けてくるのか……。様子を見てみようか」




