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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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交渉

「でも、識はどうしたいの?」



 社から離れて、二人は今後について話し合ったが、楓の問いに識は考え込んでしまう。玄天狐党の生き残りが絶滅したとしても、識にとっては関係のないことだと思っていた。彼らを引き連れ、御神楽衆から逃げたのも、ただ蝕の命を狙うため。そして、境を斬るためには、まだ玄天狐党が必要だと思ったからだ。



「境は斬らなければならない。そのためには……やつらを守らなければならない」



 境を斬る。そもそも、彼を斬ることにどんな価値があると言うのだ。楓に問われてしまったら、答えられない。それは、目の前で柊を斬られた憎しみによるものだからだ。しかし、楓はそれを確認することはなかった。



「じゃあ、玄天狐党の皆には頑張ってもらわないと困るよねぇ」



 そう言って、彼女は妖怪たちの様子を見渡すが、誰もが生気のない顔をしている。



「この調子じゃあ、難しそうだけど……」


「蝕の命令がなければ、彼らが奮闘することはないだろうな」



 玄天狐党は蒼月という圧倒的な指導者によって大きくなった。仕えるべき大妖怪のためなら命もいらない、という気概はあるが、自らの命のために戦う意思は薄いのかもしれない。これまでは、その役割を翳が果たしていたのだろうが、残った蝕にその気はないとなると……。



「そうだ」



 隣で楓が手を叩いた。



「識が皆のまとめ役になればいいよ」


「私が?」


「そうそう。皆、識の強さは分かっているし、統率力だって認めているでしょ? 識の言うことなら聞くんじゃないかな」



 これには識も苦笑いを浮かべる。確かに、玄天狐党は父である蒼月が残したものだ。しかし、一度追放された自分が戻ってきたところで、彼らが言うことを聞くわけがない。物事はそんなに単純ではないのだ。



「それも難しいだろう。彼らが月蝕の三姉妹に付いてきた妖怪だ。私の言うことなど聞くわけがない」


「そうかなぁ……」



 楓は納得していないようだが、これは間違いない。蝕がいなくなった玄天狐党は、すぐに分解されてしまう。だからこそ、どうにか結束が残る今のうちに、どうにか蝕に動いてもらわなくてはならないのだが……。



「識! こんなところにいたのか!!」



 手段を見失いつつあった識のもとに、一人の男が声をかけてきた。それはなんと杠葉だった。



「蝕さまと話し合ったのか? 彼女は何と言っていた! 村には帰れるのか!?」



 杠葉はただ無駄に戻って三味線を弾きたいだけなのだろう。現状が見えていない人間の男に識は言葉がなかった。この沈黙は杠葉を絶望させるに違いない。彼は今にも崩れ、膝を付いて泣き出すと思われたが……杠葉は識の予想とまったく反した行動を見せた。



「貴様……いつまで悠長なことをやっているのだ。この役立たず!!」



 まさか、罵られるとは思っていなかった識は、面の奥で唖然としてしまったが、どうにか言葉を返す。



「耳が痛い。しかし、蝕さまも戦う気がなく、どうにもならない状況なのです。憤るのも分かりますが、こちらの都合も察してほしい」



 打つ手のない状況なのだ、と伝えたつもりが、杠葉の鼻息は荒くなるばかりだった。



「それは貴様の交渉が下手だからだ! 私を蝕さまに会わせろ! すぐにあの方を動かして見せるわ!!」


「無理を仰らないでいただきたい……」



 杠葉がどんなに騒ぎ立てたところで、蝕が動くわけがない。識はそう信じて疑わなかったが、楓に裾を引っ張られた。何か言いたいことがあるらしい、と顔を寄せると、彼女が耳元で囁く。



「やらせてみよう」



 彼女の万象神覚が杠葉の成功を告げた、と言うのだろうか。本気だろうか、と楓の顔を窺うと、彼女は微笑みを浮かべながら頷くのだった。



「分かりました。蝕さまの説得をお願いします」


「ふんっ、最初から私を頼るべきだったのだ」



 楓は信じるが、杠葉は信じられない。だが、何もしないより幾分かましだろう。識は帳に頼んで、杠葉を蝕に会わせることにした。



「お久しぶりです、蝕さま」



 杠葉が頭を下げても、やはり蝕は振り返りもしない。これでは、結果は同じだろう、と識は内心で呆れるが、杠葉が急にすすり泣きを始めるのだった。



「取り乱してしまい、申し訳ございません……。しかし、私は悔しくて仕方がないのです!」



 振り返りはしないものの、蝕から耳を傾ける気配があった。杠葉は続ける。



「仄さまも翳さまも……御神楽衆に討たれてしまった。私に良くしてくれた、お二方に恩を返せないと思うと……嗚呼!!」



 大袈裟にひっくり返ってしまいそうな杠葉だが、本人は本気のようにも見える。識はただ見守るしかできなかった。



「私は仇を討ちたい。あの二人の仇を……! ですから、どうか……!!」



 泣き落としが通じるわけがない。識は立ち去るか迷ったが、次の杠葉の言葉は意外なものだった。



「三味線を一挺、貸していただけないでしょうか??」



 今まで経験したことのない、嫌な重たさのある沈黙に晒される識だったが、杠葉は自信に満ちた声で言った。



「三味線があれば……私は一人であろうと、憎き御神楽衆を討ち、その音色で仄さまと翳さまの魂を癒してみせます。だから、どうか! 三味線を一挺! それ以外は何も望みません!!」



 あれだけの自信をのぞかせて、まさか要求が三味線だとは。まさか、最後の一曲を演奏して自害するつもりだろうか。杠葉に心底愛想を尽かす識だったが……朽ち果てた社に蝕の笑い声が響いた。



「杠葉、お前は面白い人間だ。仄が気に入るわけだよ」



 信じられないことだが、蝕が振り向くと、部屋の外に控えている帳を呼んだ。



「帳、この男に三味線を用意してやれ。それから、妖怪もいくらか貸してやるといい。その数はお前の判断に任せる」


「承知しました」



 なぜ、上手く行ったのか。識には少しも理解できなかったが、社を出てしばらくすると、帳が本当に三味線を持ってきた。



「おお、何と久しい!」



 杠葉は嬉しそうにそれを受け取ると、頬をこすりつけるような勢いであった。



「一曲披露したいところだが、駄目か?」


「駄目です。御神楽衆にここが見つかる」



 その直後、どこから集めてきたのか、帳が大勢の妖怪を連れてくる。人間狩りに繰り出された御神楽衆の剣士たちに比べれば、大した数ではないだろう。しかし、その気がないと思われた蝕から、これだけの数を用意してもらえるのなら十分ではないか。驚く識に、杠葉が得意げな笑みを見せた。



「どうだ、これが私の交渉術だ」


「おみそれしました」



 識は素直に頭を下げるが、これですべてが解決したわけではない。



「しかし、ここからどうするおつもりで?」



 状況が最悪であることには変わりない。だが、杠葉は覚悟と狂気を混ぜた笑みを見せるのだった。



「見ていろ。私の三味線を軽んじていたものたちを……後悔させてやるのだ!」

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