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徒花の巫女  作者: 葛西渚
第三章 蝕まれる世界
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零落

 納屋を出ると、美しい顔の若い妖怪が立っていた。まだ生まれてから、十年半。いや、もう少しは経っているだろう。そんな妖怪が識を見て、すぐに頭を下げた。



「すみません、中から声が聞こえたので、目覚めたのでは……と」


「聞こえたのか?」



 反射的に確認すると、後ろで楓が笑う気配があった。



「内容までは聞こえていません。邪魔してしまったでしょうか」



 どこまで察しているのだろうか。帳(とばり)は至って真面目な顔で聞いてくる。



「いえ、私もちょうど礼を言わなければ、と思っていたところでした」


「ならば良かった。蝕(しょく)さまが貴方にお会いしたい、と言っています。こちらに」



 帳が歩き出し、識は振り返って楓に頷くと、彼女も立ち上がって後を付いてきた。改めて、周りを見てみると、やはり山の中だった。時刻は日が昇る直前らしく、少し薄暗い。


 そんな中で、一緒に逃げてきた玄天狐党の妖怪たちも体を休めているが、誰もが疲れ切っていた。どうやら、蝕の手下たちが面倒を見てくれているようだが、気力が戻るまで時間がかかるだろう。



「助けていただき、ありがとうございました」



 識は帳の背中に声をかけると、彼は振り返った。



「いえ、貴方こそ……あの状況でよく妖怪たちを守れましたね。簡単ではないことだと思います」


「蝕さまが率いる玄天狐党が優れていただけです。私は何も」



 こういった調子で褒めれば、多くの妖怪は満更でもない、という顔を見せるものだが、帳はどこか決まり悪そうな表情の後、前を向いてしまった。


 すると、古びた社(やしろ)が見えてきた。きっと、翳が言っていた蝕の隠れ家だ。どれだけ手入れがされてないのか、今にも朽ち果てそうである。



「先程の納屋は手入れが行き届いていたのに」



 識の呟きに帳が答える。



「納屋の方は私が片付けていますから。こちらは蝕さまの指示で、手を付けていません」


「何か理由があるのでしょうか?」


「朽ちるものは、朽ちるままにしておくべきだ、と」



 どういった意味なのだろうか。改めて社を見上げると、それなりに大きいようだった。昔は多くの人間が参拝にきたのだろう。しかし、人間たちの住まいが変わって、少しずつ足が遠のいてしまったのかもしれない。


 廊下を歩くたびに、板の軋む音が響いた。まるで、力尽きそうなものが苦痛を訴えているようだ。



「では、この奥に蝕さまがお待ちなので」



 帳はそう言い残し、下がろうとした。



「貴方は同席しないのですか?」


「すぐそこに控えていますので」



 なぜか、帳は苛立ちを抑えているようだった。その理由は分からぬまま、識と楓は蝕の待つ部屋に進んだ。廊下と同じように朽ちた部屋で、装飾もない。唯一あるとすれば、壁の前に置かれる刀だけ。



(近くに川があるのだろうか)



 微かではあるが、識の耳には水が流れる音が聞こえる。ここまで歩いてきたときは、それらしいものはなかったはずだが……。


 そして、妖怪の気配に奥へ視線を向けると、奥に長い黒髪が揺れていた。彼女は縁側に腰をかけ、庭を見たまま振り返ろうともしない。識と楓は座ってから頭を下げたが、やはり反応はなかった。識は頭を下げたまま名乗る。



「私は識と言います。樒ヶ里村では――」


「よい」



 蝕は言葉を遮ると、やはり振り返らないまま言った。



「大方のことは杠葉から聞いている。それで……お前の望みはなんだ?」



 識は迷った。膝の横に置いた刀を取ろうと思えば取れる。蝕が叫んで助けを求めたとしても……。しかし、識は小さく息を吐いてから、蝕に頼みごとを告げた。



「翳さまからお預かりした妖怪たちを受け入れていただきたい。そして、蝕さまのもと、妖怪たちを団結させ、御神楽衆の包囲から抜け出すよう命じていただけないでしょうか」



 しばらく、蝕は何も言わなかったが、縁側から見せる景色が少し変化した。どうやら、日が顔を出し始めたようだ。それを見たせいなのか、蝕が口を開いた。



「興味がない」


「……何と?」


「興味がない、と言ったのだ」



 今度は識が黙る番だった。玄天狐党は、蝕が蒼月を殺してまで手に入れた集団だ。その存亡がかかっているのに、興味がないとは、どういうことなのか。



「しかし、蝕さまが彼らを導かなければ、玄天狐党は滅びてしまいます。誇り高き妖怪の種族が消えてしまっても、よろしいのでしょうか」


「滅びるものは滅びる。それでいいのだ」



 蝕は本気で言っているようだった。彼女の本心が分からないが、説得しなければならない。識は言葉を選ぼうとしたが、蝕が続けた。



「そもそも、妖怪という種族が滅ぼうとしている。これは、どう抗っても止められないのだよ」


「妖怪、すべてが……ですか?」



 蝕は頷いたようだった。



「昔の妖怪は強かった。意思と信念を持ち、強い個として行動していたが……今はどうだろうか。人間たちに怯え、肩を寄せるばかりだ。ただ仲間内で自分たちは妖怪なのだと確認し合い、どうにか自尊心を保とうとしている。そんなものたちに誇りなどあるわけがない」



 そんな妖怪たちの姿が目に浮かんだのか、蝕は鼻で笑った。



「我が妹……翳が死んだ時点で、強い妖怪が生きる時代は終わった。あとは揺るやかに数が減るだけ。私はそんな自然の摂理に逆らうつもりはないよ」


「しかし、それでは……御身の命すら危険に晒されてしまいます」


「構わん」



 蝕が振り向いた。光る赤い瞳を覗けば、どこにでもいる人間の女のようだ。着物も痛み、顔もやつれている。だが、その瞳だけは妖怪としての自分を主張するように、赤く輝いていた。



「私は死んでも構わん。なんなら、識、お前がその刀で、私の首を落としてもいいのだぞ?」


「……なぜ、私がそのようなことを」



 興味を失った、と言わんばかりに、蝕は庭の方に顔を向けてしまった。



「私の首を取る気がないのなら、ここを立ち去れ。どんなに言葉を尽くしたとしても、私の意思が変わることはないぞ」



 それでも言葉を探す識だったが、蝕の背中からは無言を貫く、という固い決心が見られた。



「失礼します」



 識は諦めて、崩れそうな部屋から出た。



「いいの?」



 付き添う楓に聞かれても、言葉が出てこない。困った、と低く唸っていると、帳が顔を出した。



「終わりましたか?」


「ええ。しかし、蝕さまは……」


「玄天狐党を導くつもりはない、と?」



 その通りだった。識が返答に困っていると、帳は呆れたように溜め息を吐く。



「やはり、そうでしたか」



 三人は社から出て、森の中で体を休める疲れ切った妖怪たちを見渡す。帳は憐れむような目で言うのだった。



「蝕さまは……ずっとあの調子なのです」


「あの調子、とは?」


「すべてに興味がなくなってしまった。この社と一緒に、自分自身が朽ちるのを待つかのように、何もしない。このままでは玄天狐党も滅びるだけです。我々も、どうするべきか……」



 若い妖怪が抱える将来の不安に、識は何を言ってやるべきか分からなかった。

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