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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第一章 私が男と眠るまで
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9 男を誘う夜Ⅱ

「いや、お願い、放してっ!」

「い、いいだろう。こんな……こんな、あの、その……」

「どうした。今していることを口にするだけだろう?」


 言いよどむクレイを促すために、私は肘で彼の右手の感触を強く意識させた。

 クレイの反応がまたひとつ良くなったように感じたが、それ以上はどうやら私の臀部でんぶつかえて動けないらしい。


「はぁっ! ここっ、こんない、いやらしいち……、か、カラダをして男を誘ってるお、お前がいけないんだ!」

「そう。その調子だ、クレイ」

「おい、そこで何をしているっ!」


 局所的に熱を帯びた私たちの芝居に割って入ったのは、やはり昼間の男だった。


 これで晴れて念願叶った訳ではあるが、私はすぐに白けてしまった。見え透いた正義感を振りかざした男がいかにもやりそうなことで、クレイのことが余計に愛しくなったくらいだ。


「フランからはな――」


 手早く体を入れ替えた私は飛びかかる男からクレイを守るようにして頭を引き、挨拶代わりに足で男のすねをしたたか打ちつけた。


「だあぁぁぁ!」


 驚逸きょういつした馬のような悲鳴を上げながらもんどり打った男は、既に傾いたどこぞの商会の腐りかけた用具棚を一掃してみせた。こうなってしまってはもう、神でさえそこに何があったのか思い出す気もおきまい。

 その一連の仕草はナチュラルで、それでいて人間臭く、役者としてはクレイより何枚も上手だったことだろう。


「立て」

「うう、あぁぁ……」


 とはいえ、私はそんなことに感心していたのではない。

 膝を震わせ、情けない声を上げる男の頭を強引に引き上げながら、よくもまぁ、これで私を助けようとしたものだと、むしろこちらに感心していたのだ。


「上出来だ、クレイ。ミッション成功だな」


 私は足で男の体をあさり、引き当てた財布から札を一枚抜き取ってクレイへと放った。酒はもちろん、贅沢を言わなければ、火照(ほて)った下着を脱がせてくれる相手だって得られるはずだ。


「それでふさいだ気分でも晴らすんだな」

「お、おい。それは俺のか、ぐぅ……」

端役モブは黙っていてもらおうか?」

「くっ、誰が……うう」

「すまんな、クレイ。もう行っていいぞ」

「はい。あの、でも、それは……」


 クレイは心配そうな面持ちで私の手元を見つめていた。ドレスの裾をたくし上げ、男の財布をしまい込んだ折に太腿から取り出したナイフの行方を、彼は案じているのだった。


「あぁ、これなら何の心配も要らない。こいつは私の、恋人(コレ)でね」

「うげぇっ……」


 私はナイフを宛てた男の頬に音を立てて口づけをした。

 私に加担したクレイに余計な罪悪感を抱かせないための私なりの気遣いだったが、やって早々私は自らの振舞いを悔やむ羽目になった。

 男のそり残した頬ひげのざらついた感触が、いつまでも口元から離れなかったのだ。おまけにそれを見たクレイが、少し悲しそうな顔をしたのもよくなかった。


「は、はい。分かり、ました……」


 札を畳み、頭を下げて立ち去ろうとするその小さな背中に私は溜息をいたが、結局のところ私は去り行くクレイを呼び止めていた。

 何から何までパッとしない男だったが、私の即興のすべてに勇気を出して応えてくれた心優しい男でもあったのだ。


「クレイ」

「はい?」

「なりたい者にならなければ、人は、何になると思う?」

「あ、あの……フラン、さん?」


 割れ物でも扱うような声で、クレイは私を見つめていた。誰かの意を得ようと願うだけの、ただ澄んだ瞳で。せめて私の口から名前を教えておけばよかったと、今になって私の胸は少し痛んだ。


 だからかもしれない。私はポケットから取り出した、手に入れたばかりの大事な小瓶をクレイへと放った。まだどこか曇ったままの眼鏡の奥にある、あの澄んだ瞳に報いることができるだけのものを、今の私はそれくらいしか、持ち合わせていなかったのだ。


「あんな顔をして路肩に座り込んでいなくても、お前には誰かの願いを叶えてやれるだけの優しさがある。だから、また落ち込むことがあれば、それを見て思い出してほしい。今夜、私と過ごした時間のことを」

「フランさん……」

「クレイ。お前に見えているのは、お前の人生なんだ。遠慮することはない。頑張れよ」

「……はい!」


 私たちはこの限られた出会いの中で、互いに与えあったものを応分に分かつことができたのだろうか。自らを正すようにうなずいては、はにかんだ笑顔を見せて去りゆくクレイの背を見つめながら、私はそんなことを思った。

 

 クレイと別れたあとの、残された私たちを包む暗がりは見る影もなくよどんでいた。

 男と私はこんな虫の這う場所であべこべに抱き合っていたのかと私は笑いたくなったが、手元の男がそうさせなかった。


「……いい話だったのかもしれないが、人様にナイフを突き立てて言う科白じゃあないな」


 舌打ちくらいはしたかもしれないが、やがて気を取り直した私は男の顔を背後からのぞき込んで言った。むしろこの男こそが私の待ち焦がれた相手だったことを、ようやく思い出したのだ。


「さて。また会ったな。私はもう、知っているぞ?」

「そ、それは違うんだ。断りもなく調べたのは確かに悪かったが、あれには理由があってだな。と、とにかく俺は――」


 男は何かを言いたげに口ごもっていたが、私は意に介さなかった。この男が私にとって有益な存在でないのはすでに知っていたからだ。


 膝立ちにさせた男の正面に回り、ナイフで鼻先を指しながら、少し熱の帯びた声で私は得意げに指摘した。

 一度見た男の顔を、異なる場所において正しく認識できた自らの才幹にいくらかたかぶるものがあったのかもしれない。


「お前は、昼間の教育野郎だな?」

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