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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第一章 私が男と眠るまで
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8 男を誘う夜Ⅰ

 大方の目星をつけた私は通りを()れ、脇にある狭い暗がりへと身を寄せた。


 私を女と認めるような男であれば――幾人かの者がそうだったように――、すでに姿を現しているだろう。

 あるいはそこに悪意を絡めた男なら、こんな場所にいる私を放ってはおかないはずだった。


 そして女ではない私を求める者となると、この町には一人を()いて他にいないのだった。そう、私につまらぬ訓示を垂れようとして腰を抜かしていた、あの昼間の男のことだ。

 

 すでに決別した男ではあるが、ニキと出会った今となっては新たな用件もあった。

 町への執着が増したこと。また、この数日のうちに再び神のねぐらへと赴くことを考えたなら、こうして私の周りを興味本位で飛び回る虫の羽を()()()()()必要があったのだ。

 

 もちろん男は文字どおりの羽虫ではないのだから、口だって封じておかなければなるまい。私はこの暗がりで、そのための最も確実で後々憂いのない方策を練っていたのだった。



 通りに戻った私はまず、煙草を買うことにした。ニキとじゃれ合っている際にうっかり落としてしまったがために、彼女に箱ごと没収されてしまったのだ。これを持っていれば、彼女はきっともう一度私をたしなめてくれるだろう。


 次に私は通りの辻々を行き交う人々をあれこれと見渡した。私の作戦を実行に移すにはもう一人、別の男が必要なのだった。それも私に下心を持たない、都合の良い男が。


 持久戦をいとわなければ、いずれ羽虫の方から姿を現すのかもしれないが、再び輝きを取り戻したこの夜にもう一度男と出くわすのであれば、それは必ず私のタイミングでなければならないと、そう考えていたのだ。


「Satis(上出来だ)」


 次の角を折れたところで、路肩に座り込んだ塑像(そぞう)のような小男を認めた私は小さく微笑んだ。まるで私の思いつきを叶えるためにたった今、神がそこに置いたと言わんばかりの影の薄い優男だった。


「おい、そこのお前」

「え? ああ、あの、ボク、ですか……」

「そう、お前だ」

「……す、すいません。えっと、あの、お、お金でしたら、その――」


 私を揺すりか何かと勘違いしているらしいが、そんなことはいいと、私はすぐに制した。この男に話を預けていては、標的を誘き出すどころか、先に朝が来てしまうからだ。


「名前は?」

「え、えっと、クレイ、です。クレイ――」

「よーし、クレイ。お前はこれ以上ないくらい、いいところに座っていたな」

「へ? はぁ……」


 私に勢いよく肩を叩かれた男は、その度にぺったりと寝かせた髪の先を揺らしながら、怯えたように私を見つめていた。

 背格好といい、年齢といい、私とそう変わらないらしいが、この男には手垢で(いたずら)に曇らせた眼鏡のことを指摘してもらえるだけの相手がいないらしい。

 

 頼もしいパートナーとは言えなかったが、だからといって贅沢を言っていられる時間もない。男がこちらの通りに現れるまでに、私にはすべての仕込みを終えておく必要があるのだ。

 それに私の見立てでは、このクレイという男にしたところで、路肩に座り込むよりはまだ、愉しい夜になるはずだと、そう信じてもいた。



「……作戦は伝えたとおりだ。あとは手はずどおりにできるな、クレイ?」

「は、はい。え、えと、その、あぁ、でも……」


 クレイの戸惑いはもっともだろうが、物事にはタイミングというものがある。私はそのことをすぐにでも眼鏡を拭かせたこの男に理解させる必要があった。


「ふあぁ!」

「女の願いくらい、叶えてやらないとダメだろう。なぁ、クレイ?」


 要するに、私はクレイの耳元でささやくように鼓舞しながら、彼の股間をつかみ上げたのだ。衣越しながら、眠りに落ちた小動物を得たような弛緩した温もりが、開くまでもなかった私の指の内をゆるゆると伝っていく。

 慎ましいものに、不思議と出会う夜だと私は思った。


「ふ、ふぁい」

「いい子だ、クレイ。では、かかるとしよう」


 そうして微笑んだ私はひとりで歩き出し、通りの中ほどまで歩いたところで突然背後から男に腕をつかまれるのだった。


「ちょっと、なにするのっ!」

「う、うへへ。ねね、姉ちゃん、そ、そこで、おお、俺といいことしようぜ?」


 騒ぎ立てる私の口をクレイの小さな手が覆うと、彼は蝿も潰せぬほどの柔らかな力で私の腕を引いたまま、暗い路地へと私を連れ込んだ。

 汗で湿りきった手で口元を覆われたのには(いささ)か閉口したが、首尾としてはまぁ、こんなものだろう。


「ああ、あの、い、言われたとおりにできたでしょうか?」

「……今大切なのは、私が男に無理やり暗がりへ連れ込まれたという事実だけだ」

「は、はい」


 神妙にうなずくクレイの名誉について考えをめぐらすならば、私は彼の演技については沈黙しなければならなかった。

 それでも彼が見せた動揺なり、緊張というものがそもそもこの男の何に由来するのかを思うと、私は女なりの親情を示さずにはいられなかった。そういうことだろう。


「もうじきカモが来る。これは()()だ」

「え? ええっ!」


 ほんの数秒程度のことだろうが、私はクレイの右手を私の胸に宛がわせておいた。それほど豊かなものだという自負はないが、それでも彼の手のひらには十分余るものだろう。

 男というのはいつも誤解しているが、女には乳房を与えてもよいと思える瞬間がある。ただそれは、男の時間においてはついに現れることがないというだけのことだ。


 程なくして私はクレイをからかった。このささやかな私の労いが、先ほど捕まえた小動物の眠りをどうやら妨げてしまったらしいのだ。


「役得だな、クレイ」

「あの、その、すす、すみません……」


 私たちはそうやって、ターゲットが現れるのを少しく待った。

 ひくん、ひくんと、二度ほど臀部でんぶをくすぐるクレイの感触を惜しみながら私は、これほど屈託のないパートナーを体に持ち合わせている男というものを、どこか(うらや)ましく思った。

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